「THIS IS NOT A SAMURAI」より
こんにちは(^^)
家族の影響で、日曜美術館(NHK E)をときどき観ています。ビビッときた展覧会の図録をおもわず取り寄せました。現代のサラリーマンの悲哀とでもいえるのでしょうか、スマホを操作する鎧兜の男、親しい人の死に号泣し悲嘆に暮れているような姿の鎧兜の男、熊が下に向かって喋っているような形の兜をめんどくさそうに見上げている若者武者…。なんだ、これは?
はじめに
少年時代、絵を描く興味が鎧兜に派生したのは良いのだけれども、世間や日常から逃げて戦国武将や鎧兜の中に逃げ込みたくなった僕は、文字通り鎧という殻の中に心を閉じ込め、世界を逆恨みしたまま青春を棒に振ろうとしていた。
しかしその過程で、様々な人と出会い、別れ、意見を交換する中で、僕は時に自分を恥じて、時に意欲を燃やし、芸術を通じて自分の人生と向かい合う勇気が湧いてきた。そしてふと気が付くのだが、僕は描いたり作ったりすることと同じくらい、考えることが大好きだったのだ。描き、作り、そして考えることで大海原に漕ぎ出してみよう。鎧という狭い殻から抜け出して、大空の上から改めて世界や鎧を俯瞰してみよう。
挑戦や失敗を繰り返し、恥と意欲とがミルフィーユみたいに重なってゆく過程で、あんなにも不満だった世間に対して興味が湧き、いつしかこの世界のことをもっと詳しく知りたいと思うようになった。独りでふてくされていた僕は、美術を通して人生と向かい合い、いつの間にか世界と仲直りが出来ていた。
そして皮肉なことに、美術が仲を取り持ってくれたおかげで、僕は鎧兜ともっと自由にアダプトが出来るようになった。文明という熱い湯船に揺られながら、鎧は様々に変容してゆく。家紋というエンブレムからブランド・ロゴとの親和性を解凍し、人体を包む基本構造に支障がなければ、時代や国境を超えたあらゆる要素が甲冑のモチーフになり得るのだ。
未来を考え、過去を振り返る中で、様々な人生を内包したであろう鎧兜が僕の好奇心を掻き立ててくれる。鎧兜に命はないけれど、かつて命を守った外殻が人間の尊さを僕に教えてくれているような気がする。どこかで見たSF作品の名作で、命がないはずのロボットの人工知能がくじけそうになるパイロットを「信じて。」と力強く励ますように。
グローバルな世界の断片で、小さな僕は無数の文明に囲まれる不思議な充足感を味わっている。様々に混ざり合ってゆくアート、ファッション、友人、家族、そして歴史、全てが過去からの延長に息づいている。いつまでたっても侍の話が出てこないけれど、それは僕の表現したい事柄に侍という言葉が必要ないからだ。人間がいて、鎧がある。それらでどんな話が出来るだろう。
人種や世代を超えて普遍的に変わらないものの話題はどうだろうか。今は使われなくなった鎧の中にもそれが存在したと仮定しよう。世界中の文明や民族に共通する人生の輝きを日本の鎧兜の中に探しに行く、夢のような物語だ。
野口哲哉
『NOGUCHI TETSUYA―THIS IS NOT A SAMURAI』図録(朝日新聞社、2021年)より
図録のページを繰りながら進むと、シャネル(CHANEL)やヴァレンティノ(VALENTINO)ブランドの甲冑を身につけたおじさんが出てきました。フェルメール絵画のようにピアノを弾いている甲冑のおじさん、「稼働する事」シリーズでは男性ばかりの職場で頑張って働いてる若手女性のようにも見えるくたっと座る足軽ルックと工学の鎧(エンジニア風)。昆虫標本のような眠っている(夢を見ている?死んでいる…?)鎧兜身につけた人達。
わたしの拙い紹介では、この作品群の魅力や込められたメッセージをちゃんと伝えられていないと思うので、ぜひ一度見てみてください!
Don't call him SAMURAI ☆