いまや腐臭を放つ「××さん」

こんにちは(*‘ω‘ *)

連続ドラマ「Doctor-X 外科医・大門未知子」シリーズ(テレビ朝日)が好きです。硬直した医局制度や出世争い、しがらみ等々なんのそので軽快&自由、患者の病を治してその人のその後の人生に送り出す、最優先事項がまったくブレません。


学校、職場、どこにいっても「おじさん」がいた。

人生は、ある意味「おじさん」への知見を深める場だった。瞬時に「おじさん」かどうかを判断できるほどには、日本の女性は「おじさん」の性質に詳しかった。「おじさん」が気づいているよりもずっと、「おじさん」はわかられていた。

一つ、「おじさん」に見た目は関係ない。だが、見た目で判別がつくことは確かに多い。特に、目つき。特に、口元。座り方もだらしない。

一つ、「おじさん」は話しはじめたらすぐにわかる。

一つ、どれだけ本人が「おじさん」であることを隠そうとしても無駄な努力である。どこかで必ず化けの皮が剝がれる。けれど、「おじさん」であることを隠そうとする「おじさん」は実はそんなにいない。「おじさん」はなぜか自分に自信を持っている。

一つ、「おじさん」に年齢は関係ない。いくら若くたって、もう内側に「おじさん」を搭載している場合もある。上の世代の「おじさん」が順当に死に絶えれば、「おじさん」が絶滅するというわけにはいかない。絶望的な事実。

一つ、「おじさん」のなかには、女性もいる。この社会は、女性にも「おじさん」になるよう推奨している。「おじさん」並みの働きをする女性は、「おじさん」から褒め称えられ、評価される。

思えば、「おじさん」が存在しない場所など、果たしてこれまでにあったのだろうか。

それなのに、数え切れないほどの「おじさん」との嫌な出来事に蓋をするようにして、まるでなんでもないかのように敬子は生きてきた。それ以外の生き方など想像したこともなかった。周囲の女性たちもそうしているように見えたから。これが普通なのだと思い込んでいた。

あの瞬間、前に働いていた会社の会議室で、敬子の主張などはなから信じる気もなかった数人の「おじさん」から見下したような目で睨(ね)め付けられた瞬間、敬子は覚醒した。

この目を知っている、この目が私はずっと大嫌いだった。私のことを物のように見る、人間扱いしないこの「おじさん」の目が。大嫌いだった。大嫌いだ。

そうわかるまでに、ここまで時間がかかったことが、敬子は信じられなかった。こんな特異な出来事が自分に降りかかってはじめて、ようやく気づくことができた。

松田青子著『持続可能な魂の利用』(中央公論新社、2020年)より


わたしに相談を寄せてくれる年下の友人は、なかなか社会の中で安定した足場を持てないこと、ナメられやすいことを悩んでいます。彼女の力不足とか、彼女の側になにか決定的な問題があるなどとは思ってほしくなく、「おじさん」に好都合な社会構造のせいにしてしまいます。穏当な表現でもって励ましたり労ったりしているけど、伝わっているかな?

昨年看護師が400人以上退職した系列病院・グループで、こんどは100人以上の医師が退職したというニュースを目にしました。さいきんでは、会社など経営陣の言う「人財」あるいは「人材」には(会社/自分の財産または資材であって)人間扱いをしないという裏の意味があるという、背筋ぞわぞわな話を小耳にはさみ、最低限人間らしく働ける環境を敷けないなら潰れてしまえばいいのに…と呪いの言葉を吐いてしまいそうです( ゚Д゚)

莫大なコロナ禍対策関連予算があっても、病院経営者には渡って、個々の医療従事者に危険手当てなど正当な報酬が行き渡らないのなら、昨年の特別定額給付金が世帯主にまとめて給付されてもDV(ドメスティック・バイオレンス、家庭内暴力)を受けている配偶者や子どもの手に渡らないのと同じ構図ということになるでしょうか。

Action a resistance movement everyday ☆

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