女の子が生きていくとき
こんにちは(*'▽')
是枝監督の映画『海街diary』を観ました。鎌倉が舞台で、三人姉妹(綾瀬はるかちゃん、長澤まさみさん、夏帆さん)に母親の違う妹(広瀬すずさん)が加わって、同じ屋根の下でそれぞれの思い出を語ったり影響しあって四人姉妹になっていきます。
作中、いろいろな女性が登場しますが、それぞれの性格や生い立ち・生き方に理由(背景)や意味があるのかなぁと想像する余白もあります。
物語の序盤、長女の香田幸さんが「うちは3人とも働いてるから、中学生を預かって育てる/一緒に暮らすくらい、大丈夫」というようなことを言ってるとこ、かっこいいなぁと思います。
女の子が、どうやって人生を切り開くのか。
今から30年前、田舎のフィリピンパブで皿洗いのバイトをしてて、そこの日本人ママに、こんな話を聞いた。
あの頃、パブで働くフィリピーナたちは、どういうわけか、みんな、遠距離交際中の白人の彼がいた。なぜって、白人の男と子どもをつくると、とびきりきれいな子が生まれるから。
昔のフィリピンという国は、貧しいとこはとことん貧しくて、出稼ぎが主な産業で、風俗系のは特に多かった。
お母さんがフィリピーナ、お父さんが白人の女の子なんて、そりゃもう、抜群にきれいだから、ダンサーとしてプロダクションから高い契約金がもらえるし、場末の風俗に勤めなくて済む。器量が悪い子とは、ギャラがまるで違ってくるから、そうなれば、お母さんの生活も安泰。弟や妹たちを学校に行かせることもできる。
異国の夜の街で働くフィリピーナたちにとって、それが、今の暮らしから抜け出すための最短の有効な手立てだったと。
そういう中で、鴨ちゃんとタイに行った時に会ったフィリピン女性は、ちょっと違っていた。タイで食堂をやっていた彼女は、それぞれ国のちがう白人男性の子どもを産んだ。
父親が違う3人の娘たちは、それぞれ飛び切りの美人に育ったけど、ダンサーとして契約しなかった。お母さんの食堂を手伝いながら、コツコツ勉強して暮らしていた。
世界じゅうの貧困のはじまりは、母子家庭にある。
かなしいことだけれど、これは今も昔も変わらない現実。
シングルマザーになった母親と同じ数だけ、本当は逃げた男がいるわけで、でもその男たちはなんの責任もとってない。慰謝料も払わないなんてザラ。
あの人たちになんの罰則規定もないっていうのは許せないよね。
母子家庭で大変な思いをしているお母さんたちはいっぱいいるけど、それで男たちが責められたためしがない。
幼い子どもがいて、面倒をみてくれる人が近くにいなかったら働けないもん。
低収入になるに決まってるよね。
その子どもも、なかなかそこから抜け出せない。
そのフィリピーナの熟れた3人のパパイヤ娘の破壊力は、毛利元就の三本の矢より、ずっと強力で、店に来た男客全員がその場で恋に落ちてしまうほど。
美して賢い3人の娘たちは、客の中からそれぞれ安全で治安の良い国の男性と結婚して子どもを産み育て、そこで永住権を取得した。
難民のニュースを見ていても思うけど、国境を越えて安全な土地に住むというのは、途方もなく大変なこと。
このフィリピンママのやったことは究極の脱出だったんだなあって。
異国の地に見事に根づいた、賢くたくましい娘たちの人生は、風に飛ぶきれいなタンポポのわた毛みたいだなあって思った。
ギリシア語に「ディアスポラ」という言葉がある。私の大好きな言葉で「まき散らされたもの」という意味。現在では、他国に住む民族コミュニティのことを指します。
タンポポみたいに、もっと遠くに種を飛ばそう。
そうすれば、そこで根を生やし、きれいな花を咲かせてくれるかもしれない。
フィリピーナのお母さんにとって、その娘さんたちは、まさに「ディアスポラ」。
世界中にまき散らされた希望の種ですよね。
いっぽうに、こんな悲しい現実もある。
日本で売春のとりしまりをやってる警察関係者に聞くと、子どもに売春をやらせている親が、けっこうな数いるらしい。
お母さんが稼げなくなると、子どもに体を売りにいかせる。
そういう袋小路みたいな負の連鎖がある中で、あのフィリピーナのお母さんみたいに、自分は石にかじりついても、娘にはそういうことはさせない、どうにかしてここを脱出させるんだという強い意志を抱く人もいる。
そうは言っても現実に、貧困は、すべてを押し流す濁流だ。どんなに愛情深いお母さんでも、あっという間に飲み込まれてしまう。どんなにちゃんと手をつないでいても、離れてしまう。そこに行かないためにはどうすればいいのか。
ルワンダが軍事政権下にあった時代に、3か月で100万人もの人が殺された。国民の10人に1人が殺されるという世界でも類を見ない悲劇が起きて、大量の難民が出たんだけれど、彼らのうちの何%かが、たどりついた先のヨーロッパで高等教育を受けることができたんです。そして、彼らが、再びルワンダに戻ってきたことで、あの国は急成長を遂げた。今ではアフリカでも指折りの治安のいい先進国になることができたのは、まき散らされた難民が、希望の星となって祖国に帰ることができたからでした。そんな素晴らしい事があるんです。これは「ルワンダの奇跡」と呼ばれる、本当にあった話です。
私が大好きな写真家の、セバスチャン・サルガドの写真集に『EXODUS 国境を越えて』という1冊がある。
サルガドが6年の歳月をかけて撮影したのは、貧困や戦争、政治的な弾圧など、さまざまな理由で生まれ育った土地を逃れ、難民となった人々。彼らもまた、ここではないどこかに脱出することで、その先にきっと希望があると信じた。
「エクソダス」というのは、聖書の「出エジプト記」に記された言葉で、多くの人たちが国境を越えて脱出すること。
もし自分が脱け出せなかったとしても、女たちは、次の世代、また次の世代に、希望を託してきた。
せめて子どもには、今の自分より、少しでも幸せな人生をあげたい。
それって、代々、ちょっとずつ、ちょっとずつ、糸をつむぐように、女から女へ橋渡しされてきた希望の種なんだと思うんです。
今の場所が最低だと思うなら、そこを脱け出す戦略を立てる。
それだけは、どうかやめないで。
もちろん親心としては、自分の子どもには失敗してほしくないし、傷つくような目にはあってほしくないというのが本音。でも万一失敗したとしても、それは悪いことじゃないよってことは、伝えたい。
人って、失敗からもたくさん学べるから。
どんどん失敗してください。うまくいかないことがあったっていい、でも、それでくさらない女性であってほしい。そう願っています。
結婚はしても、しなくても、どっちでもいいから、無職で子どもは育てないでね。それだけはお願いね。
どんな時でも、次の一手は、自分で考えて、自分が選ぶ。
王子様を待たないで。
幸せは、自分で取りに行ってください。
西原理恵子
『女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと』(角川書店、2017年)より 「終章 女の子たちの〈エクソダス〉」
昨年、衝撃をもってきいたニュースがあります。女子高生がどこかのトイレで出産した赤子を殺した容疑で逮捕された、というもの。女子高生を責める気持ちは1ミリも湧いてこず、周りの大人はなにをしていたんだろう? とただただ思いました。行政的なサービス(出産費用や検診について)、産んでも育てない選択があること、なにかいろいろ、知らせておくべきことがあるんじゃないか、寝た子を起こすななんて言ってる場合じゃなく、と思います。女子高生の逮捕という形は、一番弱い存在にツケが回ってしまったということ。彼女にだけ多大な不利益が降りかかるのは、どう見てもおかしいことだ、と言っておきたい。
女の子に限らず、男の子も生き抜いていくのは大変な社会ではありますが、女の子が女性であるという理由で不利益を被らない状況に早くならないかなぁと切に願っています。ガラスの天井があるなら、一回でも多く叩いて壊してやれ~♪ あと、家父長制、なくならないかなぁ。
Sow seeds in your field for your bright future ☆
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