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「サード・キッチン」から

こんにちは(^^)

海外に留学した人の話を聞くと、はじめ異国での生活や学業面でついていくのに精いっぱいで周りの学生から孤立してしまい、ある種のブレイクスルー体験を経て、自分らしさを発揮したり仲間と打ち解けていったりするみたいです。本日の一冊は、はじめにどん底の心細さ&惨めさを感じるところからして、留学したらこんなかんじかな?と疑似体験できるように思います。

それに、日本の地を離れて人種のるつぼのような場所に飛び込むと、あらためて「日本/日本人とは?」と考えざるをえなくなるのでしょうか。サッカー選手として渡欧した中田英寿さんは、チームメイトに日本の風習や文化・伝統を尋ねられても満足に答えられなかった経験をして、いまは日本の伝統工芸などを世界に発信する仕事を精力的にされているようです…!


私の包丁さばきは他の料理長からも信頼を得て、いつの間にか“アイアンKP(Kitchen Preparation/台所準備)”と呼ばれるようになっていた。アメリカで、初めてついた私のあだ名だ。日本のTV番組「料理の鉄人」から来ていることは、アンドレアが教えてくれた。あの番組はアメリカの料理チャンネルでも大人気だという。

「手先が器用、仕事は正確で緻密。君は正に理想の日本人だ! まるで素晴らしい日本製品、そう、ソニーやトヨタのような!」

食後にサルマンが誰かの真似なのか大仰な口調で言うと、「うっわー、さいってい!」とテレンス、「こンのポコチン野郎!」とマライカ、「どこの田舎のスノッブおじさんよ」ニコルまで、テーブルのみんなが囃す。

単純に世界的企業になぞらえて褒められたのだと受け取った私は、みんなの反応に混乱した。そんな私を見て、サルマンが「くだらなくて、本当にごめん」とたくましい眉毛を下げる。日本や日本人に対する“ステレオタイプ”を揶揄するジョークだったのだと言う。

「ステレオ、タイプ……?」

ステレオのように左右から声高に喋る人を想像する。だけど文脈が繋がらない。

「例えばよく言われる日本人のステレオタイプだと、他にはそうだな……気を悪くしないでほしいんだけど」

女性は控えめでおとなしく、男を立てる。

旅行先では集団行動、写真を撮りまくり、女性はブランド品を買い漁る。

ビジネスマンはみんな満員電車に乗って、死ぬほど働く。

皆が挙げる“クソみたいな”ステレオタイプの例は、私からすれば頷かざるを得ないイメージだった。実際にそういう日本人はたくさんいる。でもサルマンによると、これらも差別の一種だという。

「どこの国の人だって、おとなしい人、陽気な人、まじめなのも暴力的なのも、多様なのが当たり前なのに、ひとりひとり違う人間だってことを無視して、自分たちの勝手なイメージで集団として単純化するってことだから」

「『理想の○○人』ってのもそう。『模範的移民』とか。誰にとっての理想や模範かって話。結局は白人社会を脅かさないか、役に立つか否かって上から目線の考え方があからさまなんだよ」

いつもは穏やかなニコルが、珍しく強い口調だった。

「ステレオタイプを定着させて、増幅させた広告業界やショウビズも罪深いよね。日本人だけじゃなくて、例えばインド人はカレーばっか食べてる、とかさ」

今日の料理長であるインド系のプリヤが言うと、みんなで手元の皿を見下ろして吹き出した。さっきまで、そこにはほくほくと程よく煮込まれた、ひよこ豆のカレーが入っていたのだ。

「みんなおだまり。来週はビリヤニを作ってやるわよ」

「それ何?」とニコル。

「カレー味の米よっ!」

再び食堂中が爆笑する。サルマンが、ひときわ大きな、まるで怒っているような笑い声をあげて「だから僕ら君が大好きなんだよ、プリヤ!」と言った。

「ぼくら黒人のステレオタイプは、犯罪者かその予備軍。逆に振り切って、やたら陽気なサイド・キック(相棒)かトラブル・メーカーだね」

テレンスの言葉に、マライカも相槌を打つ。「それか、超自然的な力を持ってたりね」

二人は「あの映画もウーピーも好きなんだけどね」「うん、何回観ても泣けるんだけどね」と頷きあう。

「ゲイはフェミニンで、レズビアンは男勝り、みたいなイメージもよくエンタメに記号的に出てくるけど、型にはめんなって言いたいね」

ニコルが天井を仰ぐと、テレンスも頭突きをする勢いで首肯(しゅこう)する。やわらかな口調や華奢な体型のテレンスを、密かに“ゲイっぽい”と思っていた。二人に見透かされたようで、どきりとする。

子供のような英語しか話せない、おとなしくて内気な日本人。思えば私はきっと多くの人にステレオタイプ通りの日本人女子と思われていたのだろう。

私はどういう人間か。それを、よく知らない他人に決められるということ。

いやだ――ほとんど反射的に、そう思う。

でもふと考えて途方に暮れる。私が日本で自然に受け入れてきた膨大なイメージたちも、ステレオタイプだったんじゃないだろうか。

好きな漫画のお気に入りのキャラクターは、両耳の上にお団子を作り、チャイナドレスを着た中国人の女の子だ。男だったら辮髪(ベンパツ)に長い髭、語尾に「アルヨ」を付ければどこからどう見ても中国人の完成だ。現実世界では、そんな中国人、見たこともないのに。

毛皮の帽子とハンド・マフならロシア人。タンクトップに短パンでローラースケートを履けばアメリカ人。そんな単純化した表現も差別だったのだろうか。すべてはあくまで記号的な意味で、読む側の私には、そしてきっと描き手にも、それらの国の人々を蔑む気持ちはまったくなかった。たぶん、きっと。でも本当に?

「アパルトヘイトはおぞましいし愚かしいけど、ある意味でわかりやすいんだよね。だけど、する方にもされる方にもずっと見えにくい、気づきにくい差別心はホントやっかい。Cultural appropriation(文化の盗用)とか」

カロリーナが言う“カルチュラル・アプロープリエーション”は、この間の社会学のクラスで、ちょうど出てきた言葉だった。いまいち理解できなくて、次のオフィス・アワーズで教授に聞こうと思っていた。

「ヒップホップやR&Bが、黒人に対する迫害と抑圧の歴史から生まれてきた音楽だって理解してる白人はどんだけいるかってこと。大半は、自分たちが加害者側に属するってことにも無自覚のまま、表面的なものだけ都合よぉーく取り入れてる。『ヨー・メーン!ソー・クール!』なんつって」

マライカがリンゴを剥きながら、器用にラッパーのようなポーズを取る。

「あと映画とかドラマの中で、金持ちマダムがバスローブ代わりに日本の着物を着てたりするでしょ。半分おっぱい出して」

あるある。あーやだやだ。ニコルの言葉に、皆が同意した。

「あれ……差別?」

中学の美術の教科書には、モネの妻が着物を羽織って微笑む絵や、浮世絵を背景にしたゴッホの自画像が載っていた。世界的に有名な画家たちがこぞって取り入れた“ジャポニズム”。そんな説明を聞いた時は、ちょっと嬉しくも誇らしくも感じたのを覚えている。着物ローブもその延長で、憧れられていても、蔑まれていたなんて、思いもよらなかった。

「日本人が不快に思わないなら、それはそれで外野がとやかく言うことじゃないと思うけど……」

ニコルは私の反応を意外に思ったようだった。ここでは正しい態度ではなかったのかもしれない。そう思うとみぞおちのあたりが落ち着かなくなる。

「ただ、彼らが『とってもエキゾチックなバスローブ』として着ているものは、本当はきちんとベルトを締めて、フォーマルな場所に着ていく伝統的なものなんでしょ?」

「たぶん、カジュアルな着物も、ある、けど、ベルト(帯)は、必須」

成人式の振袖や、結婚式で親族が着る紋付が正装なのは知ってるけど、それ以外の着物は具体的にどう違うのだろう――自国の文化もよく知らないで、人類学志望なんて、もう堂々と言えない。

「積極的差別ではないにしろ、他者の文化を理解しようって姿勢と敬意を欠いてると思う。逆に非西洋圏の人がテーブルマナーを間違って覚えてたり、規範から外れた恰好をしてたりすると、批判したりあざ笑ったりする奴が多いのに。その非対称性の根源は、やっぱり差別意識だと思うんだよね」

「……なるほど」

白人のアメリカ人であるニコルは、マライカたちとはまたぜんぜん違う立場で、シチュエーションで、そんな差別の瞬間を目の当たりにしてきたのかもしれない。

「そういうことを繰り返してきたのが、植民地の歴史でもあるからな」

サルマンがしみじみとため息をついて腕を組んだ。その貫禄と諦念は、やっぱり大学生離れしている。

人種差別問題と植民地問題が結びつくことも、考えてみれば自然なことなのに、今の今まで気が付かなかった。アジアではタイと日本だけが植民地化されなかったと小学校で習ったっけ――そこまで考えて、愕然とする。

植民地化されてないけど、植民地はあった。思わず食堂を見回す。ジウンは食べ終わったあと、すぐに帰ったようだった。

差別って何なのか。わからないということは、私だって知らずに差別をしているのかもしれない。自覚がなくても、差別は差別なのか。

ぐるぐると巡る考えを、私は皆の前で口に出せなかった。プリヤにも、カレーは日本でも鉄板の人気メニューだと話そうと思っていたけど、止める。実際、私が給食や家で食べていたものと、彼女が作るカレーとは似ても似つかない。「こんなのカレーじゃない、文化の盗用よ」と言われてしまったら? ラーメンやナポリタンは? サード・キッチンのみんなに、私自身や日本の文化が差別的だと思われたくなかった。

白尾悠(しらお・はるか)著『サード・キッチン』(河出書房新社、2020年)より

【※わたしなりの意図があるにせよ、転載・引用部分の分量が多いので、著作権や知的財産権を守る法律に抵触するような一線をもし超えていたら、お知らせいただけると助かります…! TOMO 】


むかし、使い捨てカメラのことを「バカチョンカメラ」と呼ぶ人がいて、それって差別用語ですよ、と理由も添えて指摘したことがあります。2度ほど言ったけれど、その人は言い方を直すこともなく、こちらもお世話になっている身だったので、あまりしつこく言わなかったんです。なんかモヤモヤしたままでいました。自分も知らない差別の背景がたくさんあるのに、他人に偉そうに言えないしという気もしましたし。できるだけ、すこしずつでも知っていきたい/知っていくべきかな、と背筋伸ばします。

ちなみに、ここで出てくるサード・キッチンとは、学生が運営する食堂(コープと呼ばれる)のひとつで、学生たちが食事の準備から片付けまで運営のすべてを担っているということです。わたしは初めて知りました。日本の大学にも、学生が運営している食堂ってあるのでしょうか? 他のコープは、ベジタリアン向け、ヴィーガン(農薬の使用や不当労働がないかなど、使う食品の生産過程に厳しい基準を設けていたり、卵や乳製品など動物由来の食品を完全に配する)向け、ハラール(ユダヤ教とイスラム教の規定通りに処理され、認証を受けた食品のみを扱う)等。

Different Strokes for Different Folks ☆


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