聴雨

こんにちは(^^)

雨降りの日に、こんなことばはいかがでしょう?黒木華さんと樹木希林さんがお茶の生徒役と師匠役で映画化もされているこの本から。


私は「耳」そのものになった。

急激に聴覚が膨張するような感じがし、そして、一気に何かを突き抜けた…。

(あっ……!)

一瞬、耳がつまったような感覚があった。

「----」

突如、だだっ広い場所に、私はいた。

ここはどこだろう?

私をさえぎるものは何もなかった。

手順を間違えてはならないという緊張も、抱え込んだままで常に気にかかっている仕事も、今日帰ったらしなければならない用事も、何もなかった。

自分はもっと頑張らなくてはダメだという思いも、他人から好かれ評価されなければ自分は無価値なのではないかという不安も、人に弱みを見られたくないという恐怖感も、消えていた。

とてつもなく自由だった。生暖かい大粒の雨を、肌に痛いほど激しく浴びているかのようだ。

嬉しくて楽しくて、子どものように歓声を上げながら、目も開けられないほどのどしゃぶりの雨に洗われているみたいだ。こんな自由、今まで知らない。

どこまで遠くへ行っても、そこは、広がった自分の裾野だった。

ずーっとここにいたし、どこかに行く必要もなかった。

してはいけないことなど、何もない。

しなければいけないことなど、何もない。

足りないものなど、何もない。

私はただ、いるということだけで、百パーセントを満たしていた。(略)

「聴雨」

(…「雨を聴く」!)

(略)「雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある」

私たちはいつでも、過去を悔やんだり、まだ来てもいない未来を思い悩んでいる。どんなに悩んだところで、所詮、過ぎ去ってしまった日々へ駆け戻ることも、未来に先まわりして準備することも決してできないのに。

過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ。過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気づくのだ。

森下典子

『日日是好日  「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(飛鳥新社、2018年)より


四季折々、その日そのときその瞬間☆

(なんとなく五七五になりました。)

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