見出し画像

「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」より

こんにちは(*'▽')

本をよく読みます。書店、図書館、古本屋によくお世話になっています。でも、本の行商人なんて初めて聞きました。文庫本の帯にある、旅の格好をしたおじさんが籠にも空いた手にも本を持っているレリーフのメダルは、「金の籠賞」を記念したもののよう。イタリア版の本屋大賞、2020年・第68回露天商賞授賞式で内田洋子さんが受賞されたのだそうです。第一回露天商賞はヘミングウェイが受賞しているという……初耳だらけ!!


 <モンテレッジォ>と記された周辺には見知った地名がないどころか、あるのは山脈だけである。空白の多い地。フィレンツェが州都のトスカーナ州に属しているが、ジェノヴァが州都のリグリア州との境界線がすぐそばを走っている。(略)
「そういう大志があったかどうか……。昔から、モンテレッジォの男たちは他所へ物売りに行くもの、と決まっていましたのでね。それに倣ったのだと思いますよ」
 地元の経済基盤が脆弱ぜいじゃくなために他所へ働きに出る話は珍しくもない。老店主が熱心に説明するのを、そのうち先祖の立身出世話になるのだろう、と私はときどき適当に相槌あいづちを打ちながら聞き流している。物売りというからには特産品もあったからこそでしょう、とお愛想に感心すると、
「腕力です、男たちの。それもいよいよ売れなくなると、本を売り歩くようになりました」
 三代目は、ぐっとあごを上げて答えた。強いヴェネツィア訛りに加えて、前のめりに早口で話す。
 今、<腕力>と言いました? そして何ですって、<本>?
 に落ちずに聞き返した私に、
「男手を必要とする農地へ、出稼ぎに行ったのですよ。景気が悪くなると、他所にも働き口はなくなった。村には特に売る産物もありませんでした。それで本を売ったのです」(略)「モンテレッジォの収穫祭は、だから本なんです」
 ヴェネツィアの書店主から山村の夏祭りの話を聞いて、再び驚いた。鴨やフォカッチャの代わりに、本をさかなに踊るなんて。
 中世の写本の時代から、長らくヴェネツィアは西洋の出版の中心だった。時代が移るにつれ各都市国家にも印刷所や出版社が生まれていったが、深い山奥のその小村にも個性的な出版社があったのかもしれない。あるいは山の木々を原材料に紙が生まれ、その縁続きでの本なのかもしれない。または、飼っていた牛馬や羊の皮が本へと生まれ変わったとか……。
 ヴェネツィアの国立図書館で見た、数世紀前の写本や海図を思い浮かべる。卓上に収まりきるかどうかというほどの大判の写本は、美しい書体で記された古代ギリシャ語やラテン語の本文に、ページ頭の最初の文字には装飾がほどこされてあり、一枚の絵画を見るようだった。
「いや、ただの古本ですよ」
 私がいにしえの装飾写本を連想しぼんやりとしているのを見抜いたように、老店主は事も無げに言った。
「父もそのまた父も、私たちの先祖は皆、古本を売りに歩いて生計を立てたのです」
     ●
 帰宅して、再びじっくり地図を見る。老店主から聞いたことが、よくわからなかった。山から本への飛躍は突飛とっぴすぎた。村に特産物がないため、男たちは本を売りに他所を回った? 印刷所もない村の稼業が、なぜ本売りなのか。どこから仕入れて、誰に売ったのだろう……。(略)
「行ってみることですね」
 翌日、古書店を再訪すると、老店主はただそれだけ言った。<いってらっしゃい>。その背後で、店内の古本が揃って表紙をはためかせたように見えた。
     ●
 モンテレッジォの村祭りは、毎年夏に開催されているらしい。調べると、数年おきにときどき思い出したように本祭りのことは報道されてはいるのだが、どの記事も似たり寄ったりの内容だ。子引き孫引きされて、繰り返し掲載されているのだろう。
 引用の大元となっているのは、有志が立ち上げた、村を紹介するサイトのようだった。頻繁に更新はされていないけれど壁の石や山の木に至るまでを追い、村を取り巻く要素は漏れなく記録しておこうという気概に満ちている。何より驚いたのは、紹介文の冒頭にまず村の位置を示す緯度経度と標高が記されていることだった。まとめたのは、さぞ真面目で几帳面な人たちに違いない。細かく分けた項目のもとに、地名や人物名が小さなサイズのフォントで記載されている。本文や写真をクリックしても、関連リンクへ飛ぶようには作られていない。熱心に調べてわかった順から箇条書きするように、画面に貼っていったように見える。勤勉な学生のノートのようだ。
 画面を繰ってみるが、サイトには広告がひとつも掲載されていない。毎夏の村祭りで本を扱っているというのに、出版社の広告すらない。バスや鉄道会社のリンクもない。宿や飲食店案内も載っていない。モンテレッジォという村に関することだけが凝縮されかたまりとなって、インターネットというくうに浮いている。他力に頼らず、口をはさませず、誰にびることもない。いかにも素人の手作りという印象はいなめない。しかしそれが作った人たちの実直さと熱意を代弁しているようで、読み進めるうちにだんだん胸が熱くなってきた。
 この人たちは、心底モンテレッジォが誇りなのだ。
     ●
「………」
 電話の向こうは、返事に詰まっている。村についてのサイトの裾に事務局の連絡先を見つけて面会申し込みのために手紙を書き始めたのだが、少しでも早く村を訪ねてサイトを立ち上げた人たちに会いたい思いがつのり、矢も楯もたまらず直接電話をかけたのである。
 自分は、日本とイタリアの間でマスコミ関係の仕事をしていること。
 ヴェネツィアで知り合った古書店主から、モンテレッジォを知ったこと。
 代々村の男性たちは本を売って生計を立ててきた、と聞いた。
 本が主役の夏祭り、とか。
 その山になぜ本なのか。
 村についてのサイトを読んで胸を打たれ、こうして電話をしていること。
 等々、私は一気にまくし立てた。すぐにでも村を訪ねてみたいのだが、とひとまず締めくくり相手の返事を待った。
「私どもの村にご興味を持っていただき、まことにありがとうございます」
 ひと呼吸置いて、電話の向こうからおずおずとした調子で返事があった。
「サイトを立ち上げた有志代表の、ジャコモ・マウッチと申します」
 静かで丁寧な対応に、<想像していた通り>と私は舞い上がる気持ちを抑えながら、下調べを兼ねてこの週末にも村を訪ねたい、と伝えた。さらに続けて、村へ車で行く道順を訊き、早春のこの時期に道程みちのりには残雪や凍結した区間はないか、山道の傾斜は普通車でも上れるだろうか、お薦めの宿泊所はどこ、バールはあるか、など矢継ぎ早に質問を重ねた。気がはやっている。
 ジャコモは、うーん、と戸惑ったような声を上げ、再び黙ってしまった。
「申し訳ありませんが、少しお時間をいただけますか」
 最初の挨拶のときと同じく、静かで丁寧な声で彼は告げ、「それではさようなら」。
 私は、早々に切れてしまった電話を前にほぞを噛む思いである。村の緯度も経度も知っている。地図もある。有志代表の名前も連絡先もわかった。未知の場所を訪れるのには慣れている。いつもなら、可否の返事を待つことなく車に飛び乗り、現場へまず向かっていただろう。
 ところが、モンテレッジォは何か違うのだった。地図と少々の情報しか知らないというのに、心の奥をつかまれたような気持ちになっている。
 ヴェネツィアの路地の古書店。古書店から山の村へ。そして、本へ。
 何か特別な力に引っぱられていく。
     ●
「遅くなりまして、申し訳ありません」
 夕刻に受けた電話はジャコモからだった。
「今、村にいらしても、人がおりません。残ったわずかな住民も、この時期はほとんどが山から下りて他所で暮らしているのです。お一人で行かせるわけにはいきません。ただ私もラ・スペツィアに住んでいるので、土日以外はどうしてもお供できないのです」
 緯度経度に古代ローマ帝国が作った商いの道や港、中世の地図に記されたモンテレッジォと山頂の塔の絵が、頭の中でぐるぐる回っている。
「それで、明後日の日曜日のご都合はいかがでしょうか。ミラノまで私たちがお迎えにあがります」
 他所で暮らしている村人の中に、ミラノ住まいの人がいるという。村の紹介サイトを立ち上げた有志の一人で、私の問い合わせを受けてジャコモが彼に相談し、集まれる村人にも声をかけて日曜日に集合することに決めたのだ、と説明した。
 初対面の人たちである。せっかくの日曜日を邪魔するのは気が引けた。私が返事をためらっていると、
「この土曜日は、僕の誕生日なんです。ずいぶん前から妻がレストランの予約を入れてくれておりまして。まことに申し訳ありませんが、なんとか日曜日でお願いできれば……」
 恐縮するジャコモの声を聞きながら、訪れる前からもう村に魂をもっていかれてしまう。

内田洋子

『モンテレッジォ  小さな村の旅する本屋の物語』(文藝春秋、2021年)より


ぐいぐい引力に捕らわれたように、このドキュメンタリーを読み進めました。わたしが、農耕民というよりは狩猟民・山の民に親近感をおぼえるせいでしょうか。ファシズム時代にも、ファシズムに属さない自由業として本の行商をし、禁書とされた本を没収されることもあれば、禁書取り締まりに来た人の様子によってはそういう本をそっと差し出して代金も貰ってたくだりはたまらなかったです…( *´艸`)

日本でも、新聞と小説が庶民に読まれるようになってから「日本人」という共通意識が醸成されたような話を耳にしましたが、イタリアがひとつの国家として統一されていく時期に現在のイタリア語ができイタリア人としての共通意識がつくられてく、文化の共有みたいなことにめちゃくちゃ寄与したのかなぁ。

1815年までの数年間にカリブ海やインドネシア、鹿児島、フィリピンで火山が次々と噴火し、大量の火山灰により太陽光が遮断されて、1816年は各地で5月の霜や6月の積雪など「夏のない年」となったのをきっかけに、出稼ぎから行商スタイルになったのかな。異常気象って、200年前にもあったんですねぇ。

ほかにもエピソードいろいろ。本好きさんにおすすめの一冊!

Let's go to MONTEREGGIO by reading this book and find the treasure of people loving books ☆


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?