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60&70sブリティッシュ・フォークのサウンド

私の好きな録音エンジニア:ジョン・ウッド②

 ジョン・ウッドが根城にしていたスタジオは、自身が設立に関わったチェルシーのサウンド・テクニクス。ほかにレヴィーズ(初期)やオリンピック、アイランドのベイジン・ストリートといったスタジオでも録音を行なっている。彼が録音した傑作群は、多くはアイランド・レコードのカタログにみられる(以下のリンクは、すべてアイランド作品)。私がジョン・ウッドの名前を知ったのもアイランドから出ていたフェアポート・コンヴェンションの一連のアルバムだった。

 ウッドの音作りの特徴は、一体感のあるドラムキットのサウンドを土台にした比類なきピラミッドバランスにある。特にドラムとアコーステック楽器の音が絡みグルーヴを生み出す様は圧倒的だ。例えばフェアポート・コンヴェンション「リージ・アンド・リーフ」の『The Lark In The Morning』からのメドレー。

 デイヴ・マタックスのドラムは、おそらくマイクの本数を抑えることで一体感と同時に迫力感も生み出している。ウッド自身、冗談まじりに「うまいドラマー」がいることが良い音を録ることの条件、とも言っている(スタジオの予算の都合でマイクが潤沢ではなかった事情もあったが)。うまいというのは手数のことではなく、キット全体をひとつの楽器のようにしっかりと鳴らすことができるという意味だろう。マタックスはまったきそういうドラマーである。

  そうした妙味は、69年の「リージ・アンド・リーフ」よりもハイファイ味を増して1972年の「モリス・オン」でも聴ける。

マタックスのドラムが力強い『Staines Morrs』。

 また、声をきれいに録ることにかけても素晴らしい仕事を残している。ヴォーカル録音の名手といえばジョージ・マッセンバーグを思い出すが、マッセンバーグのようなともすると神経質なサウンドではなく、おおらかでウェット感があるのだ。その例が、フェアポート時代から幾度となく録音を共にしてきている、サンディ・デニー。ウッドが録音した彼女のソロ作は、いずれもバンド以上に声を聞かせてくれる録音だ。

 1972年の「サンディ」の冒頭曲。



 特に愛聴している、デニー最後のアルバムで1977年の「ランデブー」。リンダ・ロンスタットなども歌っていた『銀の糸と金の針』を、メランコリックなサウンドでカヴァーしている。

https://www.youtube.com/watch?v=jlQNnM0jokA


 いっぽうで、ウッドは音響の人でもあり、ハイファイでありながらも幻想的な音作りも得意としていた。サンディ・デニーのソロもそうだったが、ほかにはリチャード&リンダ・トンプソン「アイ・ウォント・シー・ザ・ブライトライツ・トゥナイト」では、二人のヴォーカルの対比もさることながら、リチャードのエレキギターを全面に押し出し、録音の中でしか聴くことができない架空の「ブリティッシュ・フォークの世界」を作っていた。こうした志向性は、のちのアメリカーナ的なサウンドの嚆矢だったのかもしれない。

 

 さらに、私が偏愛するジョン・マーティンの「ソリッド・エアー」もそうした架空の「ブリティッシュ・フォークの世界」に通じる幻想的で、プログレッシブなサウンドだ。このアルバムは、ハイファイ感がとにかくずば抜けている。

 アコーステックギターの深い胴鳴りの低域から爪弾くような高域、ウッドベースのうなり、硬質なエレピ、リバービーで奥行きあるヴォーカル。一転してエレクトリックでアグレッシヴな曲もある。どれも頭打ち感がなく、広々としたサウンドステージが眼前に広がる、ジョン・ウッド畢生の仕事と言えるだろう。サウンド・テクニクス録音で、バックはデイヴ・マタックスらが固める、まさにウッドの庭で作られているのだ。

 なお、現代の新しいジャズミュージシャンたちの作品とも通底する、本作が1973年(録音は72年)に生み出されたということも、当時のアイランドの懐の深さ、音楽性の高さを物語っている。

 もちろん、ジョン・ウッドの仕事はフェアポート関連以外にも、ニック・ドレイクを代表作にあげる人もいるだろう。アイランドのブリティッシュ・フォーク、トラッド系のサウンドは(というか、影響力はもっと広範だが)、ウッドなくしてはありえないことは論をまたない。インクレディブル・ストリング・バンドの録音も代表作に数えられるはずだ。

 また、イギリス人でありイギリスで主に活動していたウッドだが、彼のサウンドはアメリカからも聴こえてくる。次回はそれについて書いてみようと思う。



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