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博徒であった曾祖父さん

博徒であった、ひいじいさん
唯一覚えている曾祖父さんとの会話
昔、「じいちゃん、なんで背中に絵が描いてあるの?」
「おめぇも入れってみっか?」

そんな曾祖父さんに赤ん坊の頃に抱かれている写真が我が家にはある
母親の母親の父親

母親の父親(爺さん)と母親(婆さん)は離婚していて、爺さんの思い出と一緒に写った写真は無い
何回か私と会った事はあるみたいだが、覚えていない

主に曾祖父さんとは亡くなるまで、毎年一度は会っていた
曾祖父さんは栃木県では有名な博徒だったらしく、「眠りの金」と呼ばれていたとw
どういう事かと言うと自身がイカサマの名人だったらしく、そうなるとイカサマの手口を知っているから見破れると

「眠りの金」の異名は、寝たふりをして相手が油断してイカサマをした所、すぐさまイカサマを指摘する事からきている

曾祖父さんはイカサマをしたら、有無を言わさず畳針で手をブッ刺されたと
手のヒラを開けたら花札が隠れているのがバレるので、手を思いっきり振り上げ、花札を天井に血糊で貼り付けて、難を逃れたと

現代なら絶対にバレるだろうが、大正?昭和初期?の天井が低く蝋燭の灯りだけだから通じたと思う
ちなみにイカサマの上手い条件の一つは指が短くて手のヒラを閉じた時に指の隙間がない人

そんな曾祖父さんの奥さん、曾祖母にあたるのだが私とは血がつながっていなかった
結婚せず「二号さん」。まあ愛人でした
幼稚園の頃に毎年、曾祖父さんに会いに行っていたが、曾祖母は何か愛情を感じなかったのを覚えいる

ただ冷たくされた事はなく、泊まりに行くたびに米あられを作ってくれていた
血は繋がっていなかったが優しい曾祖母であった

私がよくあそびに行っていた時は博徒を引退していて、趣味で盆栽をしていた
趣味なので、「売ってくれ」と言われても売らなかったと

幼稚園の頃に曾祖母が亡くなった時は葬式に行き、人が亡くなると言うことが分からずにハゲていた曾祖父さんの頭を従姉妹と撫で回して笑っていた
子供とは残酷なものだ

たしか小学生の頃、西部警察の影響で曾祖父さんに鉄砲が欲しいと手紙に書いたら昔ながらのブリキの音が出る宇宙光線銃みたいのを送ってくれた
コレじゃない感が半端ではなかった

小学生低学年の頃、曾祖父が亡くなった
なぜか葬式には行かなかった
面識のない親戚と何かがあったみたいだ

可愛がってもらった分、葬式に行けなかったのは残念である

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