さがしもの
河南中州皇冠賓館(賓館は簡体字)とかかれた赤いボールペンがあった。作家のリービ英雄さんと取材で開封にいったときの鄭州にあるホテルの備品だ。
中国には学生のころ、まだ開放都市の制度があった80年代に初めて行った。その後行く機会はあまりなかったが、その取材旅行を切っ掛けにまた行くようになった。「プライベート・チャイナ」の撮影の最にもこのホテルには世話になったし、リービさんも鄭州をベースにするときはまだここを使っているに違いない。兎も角、この部屋に常備されていたボールペンはとても書き心地が良くて長い間このボールペンを使っていた。
新宿駅前は、渋谷と並んで何度も通った場所だ。駅前のクスノキを撮るためだが、いろいろと場所を変え、だいたいいつも同じ木を狙っていた。その日は夕刻から帰宅ラッシュが始まる頃をわざと狙ってフィールド用の軽量な4X5ではなく、普通のビューカメラを三脚につけたまま、アシスタントはたのまずに一人で交差点を行ったり来たりしていた。ようやく気に入った場所を見つけて撮影を始めた。人の動きを見極めながら、4枚ぐらい撮ったところでデータを書き留めようとしたとき、そのペンがないことに気がついた。さっきまであったはずだ。写真機を組み立てるときはあった。何気なくどこかのポケットにいれただろうか。ジュラルミンのカメラケースの中身を全部出す。メモ帳の間、胸ポケット、上からぱんぱんとたたく。自分の行動を思い返しながら、機材をしまって、今度はペンを探すために交差点をいったりきたりしたが、人混みに阻まれて上手く探せない。そして結局それをなくしてしまった。
写真展「photosynthesis」がはじまって、このときの写真は1000x1300ミリの作品になった。ギャラリーが暇になった午後の時間。何気なく自分の作品を見回っていたとき、あっ、と思った。なんだ、こんなところにあったのか。作品の画面の右下。横断歩道の白と黒の繰り返しの脇に、微かにクリップの出っ張りがわかる赤い筋が写っている。実際にはペンは戻ってこなかったが、私は違う形で取り戻したのだった。こんな事は、ままあるまいと思っていたが、写真展『立花隆の書棚』の時、精密に描写した本棚の写真の前で立花先生が、あ、この本ここにあったんだ、この本さがしていたんだよ、と言った。
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