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親は死ぬ 理なれば

両親の結婚記念日に家族写真を撮りました。1年目の今回は6分の3しか集まらなかったけど、程よく賑やかで良い時間が過ごせたと思います。

そんなささやかな幸せを噛み締めつつ思うのは、”親がいつか死ぬ”ということ。それも確実に。100%。何が起きても死ぬ。哀しかろうが怖かろうが、どれだけ目を背けようが、その時はやってくる。

どんなことよりも確実に訪れるこの出来事に、なぜか今まで向き合ってこなかった。多分それは、生きてるものは漏れなく死ぬわけなので、「親が死ぬことだけが特別なことではない」と心のどこかで思っていたのかもしれない。はたまた、単に怖いものから目を背けていただけなのかも知れない。

いざ死ぬ段になって、やっと悲しくなる。

そんなの嫌なので、これからは長い時間をかけて丁寧に向き合っていこうと思います。

とはいえ両親は特に気難しくて、何をしたら喜んでくれるのかいまだにわかりません。だから、程よい距離感でLINEを送ったり、ねこを言い訳に実家に帰ったり、仕事を言い訳に実家に帰ったり、帰ったら父の好きなウィスキーを一緒に飲んだり、写真を撮るなら一緒に写ったり。それくらいのことがいまの自分には精一杯。

お金も時間もあんまり余裕がないから、僕は僕なりの親孝行をしていこうと思います。

突然ですが、僕は今日死ぬかも知れません。地震が起こって、車が突っ込んできて、ナイフで刺されたりなんかして。でも同じくらいの確率で、死なないかも知れません。

親孝行の正解はわからないままだけど、親より先に死ぬことが親不孝だってことくらいわかっています。なので、明日も元気で生きられるように、自分にしてあげられることにも精一杯努力しようと考えています。それは夢を叶えることだったり、時には自分を甘やかしてあげることだったり。

そうやって元気でいることをきちんと伝えるだけでも、ちょっとした親孝行になったりして。

親は死ぬ
理なれば
丁寧に

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