見出し画像

人生の節目と沖縄

1995年、番組の取材で初めての沖縄に行った。
変わっていたのは、沖縄本島ではなくいきなり八重山諸島、西表島だった。レギュラー番組の構成作家の肩書で、一週間ほど島内をロケハンした。圧倒的な自然、文化の違いにショックを受けた。
素潜りで見た海の美しさに感動して、番組収録後、一ヶ月後には家族を連れて再訪した。
その時は、島を知れた、という感動。
テレビの仕事、環境、紀行ものの一番忙しくなり始めた頃。
その後、西表島では鳩間島をテーマにしたDVDや、沖縄の音楽をテーマにした旅番組など、沖縄をテーマにした企画を懸命に出し、JALの機内ビデオの仕事ももらい、沖縄本島、慶良間諸島、久米島、宮古島、八重山諸島、奄美諸島などを訪ねていった。

テレビ番組から大学のe-learning制作へと仕事を移行する中で、安全保障の政治学講義の第一回目は沖縄ロケにしたい、という教授の指名で、嘉手納基地の安保の見える丘でインタビュー収録。平和の礎での対談収録。
テレビ番組でも、音楽や文化の背景に沖縄の政治状況を潜り込ませてはいたが、真正面から、沖縄の歴史、政治と文化を見つめることが出来た。

そして、先月の末、長野県と沖縄県の交流事業の一環として、初めて飛ぶという松本空港、那覇間のJTAチャーター便に搭乗した。
日本財団の「子ども第三の居場所」事業における交流。
沖縄の子どもたちを長野へ迎える、そして、長野の子どもたちが沖縄へ行き、自然や文化を学び、経験してくる。その準備。
4日間の沖縄滞在で、30代から40代の構成作家時代。40代から50代の映像コンテンツプロデューサー時代の感触、匂いを感じた。

60代半ばを過ぎたという節目でまた沖縄と会えたというめぐり合わせを大事にしながら、子どもたちの未来への経験を、しっかり渡していきたいと思った。