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ロシアで役者の仕事をするには④

「ロシアで役者の仕事をするには」シリーズ④は
「日本人の私たちはロシアの現場でどういう演技を求められるのか」
です。前回は書いてるうちに「日本人としてどうあらねばならないのか」の「海外日本人侍精神論」的になってしまいました。今回はロシア人の俳優さんたちとロシアの現場で一緒に仕事をする時に「日本人としてどういう演技を求められるのか」に具体的に言及していきたいと思います。

舞台芸術の国ロシア。そこの演劇大学の授業は「いかにそこに実際に存在するか」を極めていくことに終始すると言っても過言ではありません。お芝居も映画もそれは虚構です。しかしそこで演ずる俳優さんはそこに実際に存在しなくてはいけません。スタニスラフスキーの言葉の中に

「せめて舞台の上だけはお芝居しないでください」

というようなのがあります。まさにこれが役者の全てだと私は感じています。この言葉の本当の意味と深さを感じ、なるほど~、と思われたならそれは素晴らしい感性を持っている役者さんということだと自信を持ってください。そして後はいかにそれを映画や演劇の現場で体現していくかだけです。この言葉には演技論を超えた人間根本の無意識や意識の問題も関わってきます。

役者は肉体を使い、役を通してそれを体現していきますから、それに伴う様々な肉体トレーニング方法や精神の解放、コントロールなどの方法が世の中に存在しています。先生によってそれを行っていく様々な自分なりのメソッドがあり、ロシアの学生たちはそれに触れて大学の4年間や5年間でいつの間にか自然にそれが出来るようになっていきます。おそらくこの部分は日本でもプロでバリバリやっている俳優さんならば、それぞれに自分の編み出した肉体トレーニングや本番への集中の仕方などの「自分メソッド」をもっていると思います。

現場においては、ロシアの俳優さんは限りなく解放していくことで役にアプローチしていくのに対して、日本の俳優さんは限りなく集中していくことで役にアプローチしていく、という違いがあると感じています。研ぎ澄ませていく日本の俳優さんの本番へのアプローチと、どんどんオープンに開いて解放していくロシアの俳優さん。

この違いは本当に面白いです。ともすれば日本の現場はピリピリ感が支配し、大御所の神経質な俳優さんが現場に入ると空気がピーンと張り詰めて、無駄口など叩こうものなら即睨まれてクビになるような緊張感があります。ゆるい雰囲気だと「気が緩んでるぞ、お前。そんなので芝居ができるのか」くらい先輩の俳優さんや監督から叱られます。その点ロシアは、普段自分を縛るものや支配からなるべく解放されて、世間のしがらみなどを一切身に感じさせない状況で役に立つ、という解放メソッドですから、俳優さんにとっては人生のいろんな状況の中で最も束縛感のない場所が、撮影の現場であり、舞台の上だと言えます。

そもそもそこに大いなる違いのあるロシアと日本。精神の状態を学校の休み時間と授業中に例えると、現場が休み時間なのがロシアの俳優さん、授業中なのが日本の俳優さん、みたいなものです。なので、ロシアの現場で一緒になった俳優さんで、ビクビクしていたり緊張していたりする人を一度も見たことがありません。失敗したらどうしようとか、NGだしたらみんなに迷惑かけるな、とか微塵も思ってないし、日本のように評価を気にして芝居したりするということもありません。この部分は私にとっては本当にカルチャーショックでした。最初は適当に見えて腹も立ちましたが、解放されたリゾート気分でビーチにいる人に、お前何寝そべってるんだ、と言っても言ってる人が頭おかしいわけです。そもそも現場での精神状態のアプローチ方法が違うのです。

そういう中で日本人的にビシッと規律正しく集中して演技するメソッドは、逆にロシア人には本当に新鮮らしいです。

セリフも最初からほぼ完璧で、芝居の動きも言われた通りにパーフエクトに動ける日本人の正確な演技に監督もカメラマンも本当に驚きます。特に一度説明したら説明した通りに体現できる細かい動きは日本の俳優さんの世界に誇るテクノロジーです。こういうテクノロジーは日本の緊張感バリバリの現場でなければ鍛えられない部分の技術です。怖いカメラマンに怒鳴られたり、監督に何度も繰り返し現場でやらされたりする中で、若いころから現場で鍛え上げられた技術は日本の俳優さんの才能の一つ。実はこれは世界中でものすごく高く評価されています。

日本は競争社会ですから、日本の現場でそれが出来なければ次がありません。なので、全員必死で緊張感を持って現場で芝居しますから、生き残ってプロとして日本で仕事出来ている俳優さんは世界のどこに行っても、そのテクノロジーでやっていけるんだなと感じました。

それと、日本の俳優さんの演技はとてもナチュラルに外人には見えるそうです。

普段からゼスチャーの小さい日本人の動きや、周囲に合わせて感情をなるべくコントロールする日本人の日常性が芝居になると大袈裟さが無くて、外人から見ると丁度良い芝居になるんです。この部分は、「海外と比べて日本の俳優さんの演技が下手だ」と言ってる人とは逆の意見になると思いますから、ツッコミも山ほど来るかもしれません。これについて私は現場での事実を述べています。その証明として世界の名監督達は日本の俳優さんに対して私と同じことを言っています。実際に、ロシアの世界的な大監督であるソクロフもコンチャロフスキーも日本の俳優さんの技術が世界でもトップクラスだ、と全ロシア映画大学の特別講義で言っていました。

なので、ロシアの監督が日本人の俳優さんをキャステイングする時にはそういうイメージで見ながら、そこがどこまで出来る俳優さんかどうか、そして元々ロシア的なその場所で本当に生きて呼吸できているかどうか(これは世界中どこに行っても役者の根本的な部分ですね)、を見ています。

ロシアは第一弾で書きましたように、基本的にほぼオーデイションで役が決まっていきます。ということはそれを見て判断する人もたくさんオーデイションに触れているということです。ですから、そのあたりの選び方が自然に身についてますし、メインキャストは最終的に何重にもクリアしていかなけらばならないですから、意外に日本よりも役者さんの実力に対して真っ当に評価してくれている、というかきちんと実力通りにオーデイションが決まるなと私は感じました。

まとめておきますと日本人に求められるのは、

「日本人の俳優さんとしての集中力とテクノロジー。そこからくる微妙で繊細かつ正確な動き」

です。そしてもちろん役者としてそこに生きて存在する、というのは世界共通の役者としての条件です。ロシアの現場は何度かこのシリーズ内でも書きましたように、役者さんにとっては「解放していく」方向で時間が流れています。ですから、例えばセリフを間違ったとか、動きが反対になったとか、役者さんのNGでもう一回になったとしても誰も役者を責める人はいませんし、怒鳴る人もいません。日本のように現場で監督がネチネチ新人をいじめるとかいうことは皆無です。監督は役者さんに尊敬を持って接してくれますし、役者も監督にそういう態度で接します。なので、少なくとも役者さんにとっては束縛感が皆無な場所が舞台や映画の現場です。そういう現場だからこそ、普段ピリピリした教育的な現場で仕事している日本人の役者さんにとって、ロシアの現場は本当に安心して集中していける環境だとも言えます。日本から来た俳優さん達は口を揃えて「ロシアは本当に芝居だけに集中できて楽しい環境だ」と言ってくれます。

「日本人としてどういう演技を求められるのか」

に関して何となくでもイメージをつかんでいただけたでしょうか。一度でもロシアに来ていただいて現場で演技していただくと「なるほど、その通りだ」と思っていただけると思いますが、日本で仕事していると緊張感のない部分とかイメージが難しいかもしれません。

具体的な部分が具体的に伝わったかどうか微妙ではありますが「日本人の俳優さんの世界の中での特徴」の部分もかなり重要だと私は感じています。そこがなければ何人でも良いわけですから、やはり日本人の役者としての特徴は欲しいわけです。

俳優さんのギャラの条件とか現場がどんな感じかとかの部分にも質問があったので、次回はそれを解説したいと思います。やっぱりそういう部分はみなさん興味ありますよね。

今回も長い文章を読んでいただきありがとうございました。

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