放射冷却の朝と文字ウイルス

 10年ほど前の、思い出話をしよう。
 僕こと奥本三重奏のデビュー作発売日に、『文字ウイルス繁殖・緊急事態宣言』が出て、全国の書店が休業の憂き目に遭った。

 文字ウイルスは、日本の文字を食い荒らした。
 ひとたび感染すると、爆発的に増えて、次々と文字を消してしまう。
 本、書類、手書きのメモ……日本語で書かれたものはなんでも感染するおそれがあったけれど、有効なワクチンがなかなが開発されず、文化的に重要な資料や国政に関わる文書なども失われていった。

 個人レベルでの予防が重要なため、文字ウイルスがおさまるまでは国民全員でローマ字を使うことが推奨された。
『ローマ字要請』である。
 しかし、小さな子供やお年寄りなど、ローマ字を使うのが困難なひとも多かったし、企業でも、仕事の能率が下がるという理由で日本語を使い続けたり、客足を気にしてローマ字メニューに踏み切れない飲食店も多かった。
 もちろん、どうしても日本語にせざるを得ない業種というものもあって……それが、僕たち作家業だったわけだ。

 第三波を受けて、書店休業が決まったあの日のことを、いまでもありありと思い出せる。
 発売日は1月の第3金曜日で、朝一番に、新宿へ向かった。
 東口広場の電光掲示板に表示された気温は、5℃。
 からりと晴れた空と、放射冷却で極寒になった空気が、心地良かった。
 僕は、書店が開くまで3時間ほど、カフェにも入らずぼーっと待った。

 本屋に自分の書いたものが並ぶことについて、思っていたより自分は冷静で、夢が叶ったのを見に行ったというよりは、淡々と見て回った感じ。
 K書店、あった。ブックF、あった。
 手に取ってぱらぱらと見て、棚に戻した。
 あとは僕の手の届かないところで販売し続けられるのだろうから、僕にやれることもないし……と、そのときは思ったのだ。
 まさか、たった1日並べられて、それから3年間も本屋が開かないなんて、考えもしなかったし。
 振り返ってみれば、もっと目に焼きつけておけばよかったと思う。
 でも、日本中の本屋が閉じる最後の日に僕の本が並んだなんて、ちょっとドラマチックだった気もする。

 ワクチンの開発よりも先に、日本語を自動でローマ字化するソフトが普及した。
 奥本三重奏のデビュー作は、半年後にローマ字版の電子書籍が出て、ちゃんと世界に発表された。
 全て細かいアルファベットになった600枚のゲラを見たときは死にたくなったけれど、発売から何年も経ってしまっていた多くの本は絶版になったのだから、僕は恵まれていたと心底思う。

 10年が経ち、文字ウイルスが無事収束したいま、僕の本棚には、タイトルと名前がすっぽ抜けたデビュー作がおさまっている。
 中身も虫食い状態で空白が目立つけれど、1番気に入っていたフレーズは残っていてよかった。
 何を書いたのか、全文を思い出すことはできない。
 でも、あの寒い冬の朝に、日本語がぎっしり詰まった書籍を見て帰ったのは、確かなことだった。
 西武新宿線の座席のぬくみと、満腹感と。

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