ツイッターで書いた妄想物語25

6/10
彼のことが信用できると思ったのは、この会話がきっかけだった。
「おれさあ、○○しか勝たんってやつ、苦手なんだよね」
「なんで?」
「んー。なんかこう、『しか勝たん』と口にした瞬間、あなたの愛は伝わるけど、別のなにかを推している誰かを傷つけたり悲しませたりする可能性は頭をよぎらないのかなって。わざわざ他人を敗北させて自分の好きなものを表明するって、ちょっともやっとするっていうか……」
彼はごにょごにょと言いよどんだあと、ふいっと窓の外へ顔を背けてこう言った。
「誰かを推すのに他人を下げる必要ある? みたいな」

あれから5年。彼は娘の背中にむぎゅむぎゅと抱きつき猫をたぐり寄せ、わたしの顔を見上げながら
「みんな可愛い〜〜みんな等しく可愛い〜〜〜」
と言って、ふにゃふにゃ笑っている。

(了)

6/20
かつてこんなにも歯医者が待ち遠しかったことがあっただろうか。
僕は生まれつき右下奥歯の永久歯が1本足りず、ずっと赤ちゃんの歯が頑張り続けていたのだが、先日ついにお空へ旅立ってしまった。
きらきらと美しい光に包まれ手を振りながら上ってゆく赤ちゃんの歯。
空白部分を埋めなければならないため、両隣の歯を山型に削り尖らせ、三連の仮歯をはめてもらったのが先週のこと……

違和感がすごい。全力の3割くらいでしかものが噛めない。早くちゃんとしたやつに替えてもらいたいつらいかなしい歯医者がこんなにも恋しかったことがかつてあっただろうか!
僕は泣きながら、微妙に隙間の空いた歯肉と仮の橋の隙間を舌でなぞる
つらいかなしい。旅立ってしまった赤ちゃんの歯を思い返すこと
苦楽を共にした君とは別れを告げ、僕はこれから、偽りの歯と一蓮托生になった両隣の二本とともに生きていく

(了)

6/24
僕が最近気づいたのは、高校時代の友達を「友達」の基準にすると、大人になってからは友達ができなくなるということだ
己の学力(または勉学をどれだけサボりたいか)のみで集められた者たちがランダムに振り分けられ、国が定めた学習指導要綱に沿って知識をちぎって脳みそに詰め込まれながら、学校が定めた行事に沿って親睦を深めたりすると、大人が号令をかけずとも休み時間や放課後に集まるようになり、友情が育まれる
そんな空間も時間も大人には無いので、もう「友達」はできなくなる
最近はリカレント教育なんてものが提唱されて大人が学校に通ったりもするけれど、そこにははっきりと自己研鑽または生涯の趣味としての意識・それに投じる自己資金も伴うので、やはり高校時代基準の友達とは質が違う

そのような結論に至って僕が選んだ職業が、映画監督である。僕は永久に高校時代水準の「友達」を創造し続ける

(了)

7/17
「子供のころって、なんであんな、夢の有無で褒められたり呆れられたりしたんだろ」
大人に訊かれる夢というものは、夢という割に夢見心地では許されず、学年相応の現実味や筋道を求められていたように思う。
褒められる夢を持てた人間は、大人に安堵されていた。たゆまぬ努力する奴はでかい夢を賞賛されていた。
夢が無いと、心配されたり呆れられたり、いいことがない。その割に、大人に受ける口触りのよい夢というのも、案外嘘だと見抜かれるものだったように思う。
情熱とか信念とか、注ぎ込むべきものを用意されすぎていて、どれがダウトなのかを見極めることから、子供の能力の選別が始まっていた。
身分相応の夢を考え、正しい努力を見せてみろ。……そんな見えない圧があちこちにあった。

そのことを彼女に話したら「主語がでかい。やり直し」と言われた。
一般化を極端に嫌う彼女に、僕の夢が君をもらうことだと言ったら、怒られるだろうか?
男の夢だろ、とか言ったら。
(了)

9/11
*「別に誰かに推薦したり布教したりしたくない場合も、推しと呼ぶのですか? 僕はこの方のことがただただ好きで、ファンとしてついていきたいだけで、人に推すつもりもないのですが……それでも呼称は推しですか? 担当でもないです。誰かと分担したいわけじゃないので。孤独に好きな場合の正解を」

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