僕の月命日
僕は、2019年5月29日に、交通事故に遭った。
普通に信号待ちをしていたら、居眠り運転のトラックがエグい角度で左折してきて、避けきれなかった僕は、まんまと内輪差に巻き込まれた。
きっと、周りに居た人たちは全員『ああ、死んだな』と思ったはずだけど、奇跡的に、両足が砕けた程度で済んだ。
あれから1年が経ち、僕は普通に、あの時は『未来』だった2020年を生きている。
いやまさか、世界中に疫病が蔓延して、外へ出られない生活になっているとは思わなかったけど。
あの日、自分が九死に一生を得たのだと理解してすぐに思ったのは、『これならもう、自分の人生を粗末にしてもオッケーだな』という、なんとものんきなことだった。
本当は、トラックに轢かれて死んでいたはずなのだ。
それが何の因果か生きているのだから、今後どんなにクソみたいな人生になったとしても、一向にかまわない。
あの日を境に、僕は、『意識高く、充実した人生を送らなくちゃ』みたいな一切の義務感から、めでたく解放された。
なので、小説を書くことにした。
そして、毎月29日を自分の月命日とし、死んだものとして、追善供養をすることにしたのだった。
日々、新人賞に送るための長編を書きながらも、毎月29日には必ず、短編を1本書いた。
朝、起き抜け1番に書き始めて、死亡時刻の予定だった午後2時28分までに書き上げる。
もちろん月命日にも普通に仕事はあるので、29日はいつも早起きをして、ざーっと書いてから出社。
お腹が痛いフリなんかを駆使して少しずつ推敲し、昼休みはウィダーインゼリーで済ませて執筆。
なんでこんな月末の忙しいときに死にかけたんだろうとか、たまに恨みながら。
それでも一応、11ヶ月間、遅れることなく書き続けてきた。
特に、緊急事態宣言になってからはたっぷり時間が取れるので、なかなかのクオリティのものが書けた気がする。
そして本日、一周忌である2020年5月29日。
いまこの短編を書きながら、僕はそわそわしている。
なぜ、よりによってきょうが、新人賞の結果発表日なのか。
今年の正月、僕は、生まれて初めて書いた長編ミステリーを、N賞に送った。
いや、ミステリーと呼ぶにはあまりに粗末な、中途半端な偶然で起きた事件をちょっとペットを死なせて可哀想にしてみた感じの、クソみたいな話だった。
これはただの習作で、本当は初めての新人賞のために1本書き下ろすつもりでいた。
けど、うまく書けなくて、出すものがないから仕方がなくそれを出したのだ。
それがなぜか、ラッキーパンチで一次選考を通過してしまった。
先月末のことである。
絶対に通るはずがないと思っていたし、『2020年N賞に出すという目的だけは果たしたい』とか『評価シートが欲しい』という気持ちしかなく、正直、喜びよりも戸惑いの方が勝ってしまった。
いっそ、『僕は天才かも知れない』なんて思えたら良かったのかも知れないけれど、そうとも思えなかった。
なぜならば、たくさん書いてきたからこそ、その話のどこにどういう欠陥があるかが分かっているからだ。
人間、期待していなかった幸運が舞い降りると、その次に来るものが何なのか、不安が増すのかも知れない。
一次通過なんて1ミリも思っていなかったときには、結果発表がいつなのかなど、全然気にも留めていなかった。
なんなら、僕が通過しているのに気づいたのは他の人で、祝われて慌ててサイトを見に行ったくらいだ。
そんな体たらくだったというのに、一次を通過してしまったらどうだろう。
二次というものがあることに気づいてしまったのだ。
一次を通過する予定のなかった僕にとって、二次選考というのはこの世に存在しなかった。
けれど、一次を通過した僕は、2020年N賞の二次選考が存在する世界線を生きることになってしまった。
ちょうど、死ぬはずだった僕が、なぜか生き残ってしまったように。
しかも、おあつらえ向きに一周忌に発表だなんて……なんだろう、しんみりしてしまう。
なお、この短編を書いたじゅんすたという人物も昨年死にかけたそうだが、トラックに轢かれたわけではない。
そしてじゅんすたが思ったのは、僕とは真逆の「何でもやろう、死んだと思えば」という、前向きなキャッチフレーズだったらしい。
聞くところによると、もっともらしい嘘をつくには、ほんの少し本当のことを混ぜるのがミソなのだそうだ。
というわけで、この短編のどこが嘘でどこが本当なのかは、読者諸氏の想像にお任せしたいと思う。
(了)
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