レールの上の桃

 人は誰しも、出自を選べない。恵まれた家庭に生まれる子供もいれば、人生が始まった瞬間に詰んでいるような人もいるだろう。
 僕は、川から流れてきた桃から生まれた。
 これが幸せなのか不幸なのかは判断しかねるけれど、それなりに幸せにやってきたし、育ててくれた両親には感謝をしている。
 それに、桃から生まれたという特異性で、人に愛されてきた感じもしているし。
 だけどどこかで、自力で何かを成し得たいという気持ちが、ずっとあった。
『桃から生まれた桃太郎だから』という周囲の期待に応えるための人生でいいのかと、心の片隅で思っていたのだ。
 これからお話しするのは、桃から生まれた僕が、自己実現のための鬼退治を決意し、成し遂げるまでの、簡単な記録である。  

 鬼が暴れているらしい――それは、あまりに都合のいい話だった。
 苦しんでいる人を自己実現のダシに使うような、小さな罪悪感はあったけれど、変わるチャンスが来たのだと思った。
 鬼退治に行くと学校で言ったら、案の定「さすが桃太郎だ」ともてはやされた。
 いつもと変わらない反応。いまはそれでもいい。でも、帰ってくる頃には、僕は別の何者かになっているはずなのだから。
 僕の鬼退治の話題で持ちきりの昼休み。他人事のように眺めていると、魚屋の看板娘のミヨちゃんがこっそりやってきて、苦しそうに言った。
 鬼のせいで、家業が傾いている。
 彼女のためにもなるなら、この鬼退治もただのエゴではないと思えた。  

 家に帰って、両親に意気揚々と決意を話すと、強く止められた。
 喜んでくれるとばかり思っていたから、驚いた。
 でもまあ、よくよく考えてみれば、手塩にかけて育てた息子がみすみす命を落とすようなことを言い出したのだから、反対したくなる気持ちは分かる。
 初めての反抗だった。自分の思ったことをやって、自分の力で何かをしてみたいと、思いの丈を伝えた。
 三日に渡る説得の末、とうとう母が折れて、きびだんごを作ってくれた。  

 そういうわけで、大見得を切って鬼退治に行こうとしたわけだけど、僕はすぐに、『自分ひとりでは鬼ヶ島にたどり着くことすらできない』ということに気づいてしまった。
 誰かに船を借りればいいことは明白だったけれど、それは『自分の力で自分を変える』ということとはかけ離れた選択のように思えた。
 僕は、そこではたと気づいたのだ。
『桃から生まれたという奇跡』のために、周りの期待に添うだけの人生に虚しさを感じていたけれど……その出自にアイデンティティを見出し、一番とらわれていたのは自分なのだ、と。
 そんな風にぐずぐずしているうちに、ミヨちゃんが鬼にさらわれたと知った。
 僕は無力感にとどめを刺され、吠えるようにむせび泣いた。

 学校にも行かず、浜辺で、遠くの鬼ヶ島を眺める日々。
 ある日の放課後、悪友の猿が、僕に話しかけてきた。「なんでそんな小難しく考えるんだよ」と笑う彼を見て、こんな明るい人になりたいと思った。
 僕らを見つけた鳥も、話しかけてきた。そして「わたしは飛べるけど泳げない。でもそれでいいと思ってるよ」と言って、小首をかしげた。彼女のように、ありのままの自分を受け入れたいと思った。
 そして、ふたりの優しさに泣きそうだった僕の前に、犬が現れた。彼が言ったことを、僕は一生忘れないと思う。
――どうして人を頼らない? 僕らはいつもそばに居ただろ? それとも、ひとりで倒さないと『自力の成果』にはならない?
 僕の全てを見透かした彼の瞳と、穏やかに凪いだ海が重なる。
 僕は3人に協力を仰ぎ、猿の実家の船を借りて、鳥の先導の元、鬼ヶ島に向かった。  

 鬼ヶ島に着くと、すぐに、大量のザコ鬼と対峙した。
 その時初めて僕は、生き物を傷つけるということをした。一太刀で腹を切り裂いたときのあの感触は、いまもこの手に残っている。
 自分は正義なのだと言い聞かせ、誰かの命を奪っていくことを必死に正当化しながら、鬼を目指した。
 ミヨちゃんただひとりの命の重みに比べたら、手下の命など、いくら束になったところで軽いものなのだ。そう思わなければやっていられない。
 多分、泣いていたと思う。
 見かねた犬が、「ザコは俺たちでやるから、鬼のところへひとりで行け」と言ってくれた。
 僕は走った。  

 鬼のところへたどり着くと、なんと、ミヨちゃんが鬼をかばった。
 僕は、いかに鬼が悪く、ご両親を苦しめているかを語り、彼女を説得にかかった。しかし、どいてくれない。
 手こずっていると、追いついてきた犬が、ストックホルム症候群だと言った。監禁の恐怖が彼女を歪め、鬼への偽りの愛情を生んでしまったのだ。
 どうすれば、この子は戻ってきてくれるのだろう。
 彼女との思い出が走馬灯のように駆け巡り、最後に浮かんだのは、日の沈む海を眺めながら、ふたりできびだんごを分け合ったところだった。
 彼女にきびだんごを差し出す。祈るような気持ちだった。
 ミヨちゃんがそれを受け取った隙をついて、3人が鬼を倒した。  

 日常に戻った。
 結局鬼を倒したのは僕ではなく、僕はただ彼女にきびだんごをあげただけだった。
 それでも、初めて自力で何かを成し遂げたと思っている。
 満足だ。それで自分ががらりと変わったかと言えば、そんなことはないけれど。
 巨悪に立ち向かったからすごい経験になったわけでもなく、ただ『僕は僕でしかない』という、当たり前のことをかみしめただけ。
 でも、それで良かったのだと思う。
 なぜならば、桃から生まれた僕が、桃から生まれたという日常を生きるのは、ずっと変わらないことなのだから。
 僕は決して、レールの上を走るだけの桃なんかじゃなかったのだと、いまなら分かる。

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