青野短、ネイルサロンに行く(フライング誕生日SS)

 お天道様、どういうことですか。こんなことが人生で起きるなんて、聞いてません。
 俺はいま、場違い甚だしいおしゃれなネイルサロンの真ん中で、ペンを片手に白紙とにらめっこしている。
 背中に冷や汗をかきつつ横を盗み見れば、短さんはネイリストさんと話に花を咲かせている。
 なぜこんなことになってしまったのか――ことの始まりは、いまから六時間前、昼食どきまで遡る。

 日曜の昼下がり。いつもどおり青野家でアルバイト――もとい、お昼ご飯をご馳走になっていると、インターホンが鳴った。
 短さんが顔を上げ、首をかしげる。
「はて……? 宅配便かしら。何も頼んだ覚えはないのですけど」
「あっ、俺出ます! 短さんは食べててください!」
 バイトらしいことをしなければと思い、一階の勝手口へ降りると、やはり宅配業者さんだった。
 薄い小包を手渡され、差出人を見てみれば、それは呉服店の一人娘・柳道子さんからの荷物だった。
 俺は居間へ戻り、ふすまを後ろ手に締めながら、そうめんをすする短さんに言った。
「道子さんからみたいですよ。やなぎ屋の包装ですし、やっぱり何か頼んだんじゃないですか?」
「いえ? 頼んでいませんけど……なんでしょうね。開けてみましょうか」
 短さんが丁寧な手つきで包みを開けると、シックな角帯と、一筆箋が添えられていた。
『青野先生 お誕生日おめでとうございます。少々早いですが、日頃の感謝を込めてお贈りいたします。また、お仕事の気分転換になればと思い、勝手ながら、ネイルサロンの予約をさせていただきました。料金はお支払い済みですので、六月中のご都合よろしいときに行ってみてください。 道子』
 短さんは目をぱちぱちしたあと、棒立ちの俺を見上げて首をかしげた。
「ぴこさん。最近の若い方は、男性でもサロンで爪の手入れをするものなのですか?」
「し、知らないですよ。ていうかその『最近の若い方』ってやつ、俺に投げかけないでください」
 俺は内心、悔いていた。
 青野短、六月三十日生まれ。ハッピーバースデー。忘れてたわけじゃないけど……まだ何も用意していない。
 先を越されたうえに、道子さんより気の利いたプレゼントなんて思いつける気がしないし。
 俺があわあわする間に、短さんはさっさとスマホを取り出し電話をかけ、夕方に行くと予約を取り付けてしまったのだった。
 そしていまに至る。
 ……と言いたいところなのが、もうちょっとだけお付き合い願いたい。
 俺が紙に向かってうんうんうなっているのには、まだまだ経緯があるのだ。

***

 正直に言って、短さんひとりで行って欲しかった。
 ネイルサロンなんて当たり前だけど行ったことがないし、その爪の手入れとやらにどのくらい時間がかかるのかは分からないけれど、手持ち無沙汰でじっとしている未来しか見えない。
 それなのに短さんは、『もしかしたら怪異がいるのかもしれませんよ』なんて言い始めた。
 ラインや電話では伝えられないような悪意のあるもので、こんな婉曲なメッセージでしか伝えられなかったのかも……なんて言われてしまったら、バイトの身としては、ついて行くしかない。
 でも、俺は分かっていた。
 この顔は怪異なんて期待してなくて、普通に爪の手入れに興味津々だし、俺を連れて行くのも社会勉強とかそんな感じだ。
 サロンの前に着いて、いよいよ怖気付いた俺は、ドア横の壁に張り付いた。
「俺、ここで待ってます!」
 しかし短さんは大変お上品に微笑んだだけで、俺の服の裾を引っ張って店内に声を掛けた。
「ごめんください。予約いたしました青野です」
 そして俺の予想は大当たりで、ネイリストさんはおしゃれだし店内もなんかいい匂いがするしおしゃれだし全体的におしゃれだし場違いああああああ
「この度はお招きいただきましてありがとうございました」
 そう言いながら、名刺を差し出すのをチラチラ見る。
 短さんの名刺は、真白に型押しの凸凹で、牡丹と蝶が浮き出したデザインだ。
 これは、花札で六月札が牡丹なことに由来する。
 まあね。こんなふうに洒落が効いて、お話も上手く何より美しいルックスの青野短先生は、この異空間でもばっちり様になってますよ。
 俺はどうしたらいいの。当たり前だけど、怪異の気配なんて全くない。
 ネイリストさんは、短さんを施術するところ(?)へ促した後、俺にも気を遣ってくれて、親切にいすをすすめてくれた。
 短さんは、店内を見回しながらネイリストさんに尋ねる。
「予約をしてくださった道子さんにお礼をしたいのですけど……ええと、あの爪のレプリカのようなものは……? ネイルチップ? なるほど。ではあれをワンセット作っていただけると。ええ? デザイン?」
 短さんは俺の方へ振り返ると、にっこり笑ってこう言った。
「せっかくですから、ぴこさんが考えてください」
 これが真相である。
 そう、いま俺は、『ネイルチップ』なるもののデザインを考えているわけである。
 白紙を穴が空くほど見つめて。なんてこったい。

***

「うーん……分かんない、デザインなんて」
 ぶつぶつつぶやきながら、柄にもなくインスタを眺める。
 と言っても、フォロワー1(親友の和眞だけ)の人間にインスタが使いこなせるわけがなく、あてもなくキラキラした画面を眺めるだけで時間が過ぎていく。
 そういえば、短さんのプレゼントも考えなくちゃいけなかった。
 あれだけ花札が好きなのだし、牡丹の札にちなんだものがいいだろうか。
「牡丹ぼたんぼたん」
 インスタで牡丹のプレゼントを検索しようとするも、普通の花の写真ばっかり出てくる。
 ネイルのデザインも考えないと。
 ふたつの考えごとが混じってバグった結果、俺の手元には、ヘロヘロの線で描かれた謎の花らしき何かが出来上がっていた。
「…………いや、これは無い」
 こんなものを贈られた日には、道子さんは困り果ててしまうだろう。
 もらいものだし付けないわけにはいかないけれど、全然おしゃれじゃないし友達に笑われてしまうかもしれない。
 ボールペンだし消せないから裏返してもう一度……と考えていたところで、短さんが「あら」と声を上げた。
「いいじゃないですか、それ」
「ええ? こんなの指に付けられるわけないじゃないですか」
「そうです? 前衛的でいいと思いますけどね」
「前衛的って……それ褒めてないですよ、少なくとも爪のおしゃれには」
 ぶーたれる俺を黙殺して、短さんはネイリストさんににっこり微笑む。
「このデザイン、どう思われます? ……ですよね? 僕もいいと思います。なるほど、十本指分必要」
「は!? 十個も無理ですよ!」
「なるほど、あえて空白のものも混ぜて。ほら、ぴこさん、しゃんとして」
「えええぇぇ……こんなの絶対変ですよ。やめた方がいいです」
 俺は大反対したのに、ふたりはノリノリで話している。
 短さんの指先がつやつやになっていくのを眺めながら、俺は絶望していた。

***

 ……というのが数日前の話で。
 つい先ほど、件のネイリストさんから、出来上がったというネイルチップの写真が送られてきた。
 それがこちらである↓

「何これ!? すごっ! え、これ、俺の絵ですよね!?」
「だから言ったでしょう、良いデザインだと」
「いやいやいや、いや? いやっ、確かに俺が描いたやつだけど……なんか、全然違う! 何これ、魔法!?」
「プロの方はすごいですね」
 お露さんが画面を覗き込みながら、うらやましそうにしている。
「わたくしもこういうおしゃれをしてみたいですわ。幽霊用のもあったらいいのに」
「お菊さんに相談したらいいんじゃないか? 流行りものに詳しいかもしれないよ」
 新三郎さんとお露さんがいちゃいちゃし始めたので、俺はそっと目線を外す。
 短さんは、スマホに向かってさくさくと文章を作りながら言った。
「うちへ送っていただくことにしましたので、せっかくですから、ぴこさんが道子さんに渡してきてください」
「はあああ? おかしいでしょ、短さんのお返しですよ!?」
「こういうときにやる気を見せてこその江戸っ子ですよ」
 俺は江戸っ子じゃない、と反論しようとしたけれど、ピンと立てた人差し指の爪が美しすぎて、言葉が引っ込んでしまった。
「…………わかりました。届けます。けど、俺が考えたって絶対言わないでくださいね」
 どのみち、彼女に相談でもしない限り、短さんへのプレゼントは決まらないのだ。
 そういうわけということにして欲しいです。どうかどうか。

(了)

素敵なネイルチップを作ってくださったのは、ネイリストのItsumiさんです。
どうもありがとうございました!
公式サイトはこちら↓
https://lit.link/herzbullet


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