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COVID-19パンデミック時代の異文化間対話とメディアリテラシー

COVID-19時代のSDGsと国際協働学習
ー困難な時代の異文化間対話とメディアリテラシーを考えるー

                                                     (JEARN活動報告会基調講演 2020.6.13)

本日はこのような機会を作っていただき、ありがとうございました。最初に栗田智子先生から依頼されていた報告書の原稿のテーマは「SDGsと国際協働学習」でした。しかし「COVID-19=新型コロナウイルス感染症」(以下、新型コロナと略)によって、世界中の学校が大きな影響を受けました。私の大学でも現在はすべての授業がオンラインになっています。

5月になり、世界中でCOVID-19の影響が深刻化し、ご存知のようにアメリカでは大きな人種問題が起こり、この事件もまた世界中に大きな影響を与えつつあります。こうした問題を抜きに国際協働学習について語ることはできないだろうと思います。そこで原稿のタイトルに「COVID-19時代」をいれることにしました。

ちまたではすでにアフター・コロナやポスト・コロナという言葉も使わていますが、まだまだアフターともポストとも言えるような状況ではありません。はたしてCOVID-19パンデミックはSDGsや国際協働学習にどのような影響をもたらすのでしょうか。

栗田先生はiEAERNの国際協働学習を「海外の多様な他者との対話・協働を通し、グローバルとローカルの両面で課題を考察し、成果物を作成する」学習として定義されています。COVID-19パンデミックは、国際協働学習にとってまさにグローバルとローカルの両面での課題となりました。しかもこの課題は世界史的規模であり、歴史を大きく変える可能性さえ持っています。

私は2009年から異文化間対話プロジェクトを行っています。首都圏の中学高校、福島県の小学校、そしてカンボジアや中国、ネパールの子どもたちとの映像を使った交流です。学生たちの支援によって子どもたちにビデオレターを作ります。映像によるメッセージの読み解きや創造はメディア・リテラシー教育だと考えています。こういう実践を始めるきっかけは2003年に淡路島で開催されたiEARN国際会議でした。そこで発表された様々な実践にとても影響を受けました。

今年の3月には、須賀川市立白方小学校5年生が作ったビデオレターと子どもたちが集めた衣類を持っていく予定でした。しかし、COVID-19パンデミックの影響で、ネパールへの渡航は中止するしかなくなりました。カトマンズはロックダウンとなり、訪問する予定だったネパールの学校も休校になりました。

ネパールの山岳地帯にはインターネット環境のない学校がたくさんあります。ビデオレターによる交流はデジタル・デバイドを克服するための一つの方法でしたが、直接訪問できるからこそこうした方法も採りえるので、渡航そのものが不可能になれば、このような国際交流もできなくなります。

COVID-19パンデミックはかつてないほどの規模で世界中の国際交流を中止に追い込んでしまいました。ネパールを福島の子どもたちの交流相手として選んだのは、ネパールが震災を経験したからですが、新型コロナという災害は、皮肉なことに震災経験の交流を中断に追い込んでしまったのです。 COVID-19パンデミックはこのような既存の国際交流を不可能にしただけでありません。

さらに、COVID-19は人の心にまで影響をもたらしました。日本では中国人への差別やヘイトスピーチが問題になりました。例えば、3月4日の神奈川新聞によると、横浜中華街の老舗中華料理店に「中国人はゴミだ!」と中傷する手紙が送らました。その3日前には都内で極右団体がCOVID-19を口実にした中国人排斥デモが行われました。3月11日には、さいたま市がマスク配布を行ったとき、朝鮮学校の付属幼稚園部を排除していたことが判明し、大きな問題となりました。このように、COVID-19は排外主義を加速させたのです。

こうした事例は日本だけにとどまらず、欧米では日本人を含めたアジア人への暴力行為やヘイトスピーチが頻発しました。

『世界』5月号に、「感染症と排外主義 新型コロナウィルスが可視化したもの」と題した森千香子先生と小島祥美先生の対談が掲載されています。お二人は、もともとあった排外主義がCOVID-19によって見えるようになったと主張しています。そして、その背景にあるのは命よりも経済を優先する論理だといいます。

森先生は、「いのちが数値化され、自国民と他者の間に二重基準のあることが問題だったものが、今はさらにそれに優越するものとして、資本の論理が先に立ってしまっている」と指摘されています。

そして、「グローバル化の中で『わたしたち』なるものがガラガラと崩れゆくなか、どこかにスケープ・ゴートを作って責任転嫁をしないと秩序が維持できない。排外主義が世界的に感染爆発したかのような時代」に我々は生きているとおっしゃっています。

人の命よりも経済を優先する思想とは新自由主義のことです。ネオリベラリズムとも呼ばれていますます。現代の著名な知識人はCOVID-19がもたらす世界への影響について、新自由主義の影響をこぞって指摘しています。

ショック・ドクトリン』で有名なナオミ・クラインは、トランプ大統領の政策を「社会保障制度の民営化から、国境の封鎖、大量の移民の囲い込みまで、そこら中に転がっているもっとも危険なアイデアをすべて盛り込んだ「パンデミック・ショック・ドクトリン」だといいます。

そして「私たちは多くの土地を失い、エリートたちに騙され、何十年もその代償を払うか、あるいはほんの数週間前には不可能と思われた進歩的な勝利を手にするかのどちらかだ」というのです。

クラインは2007 年に『ショック・ドクトリン』という本を書いたのですが、そこで彼女は惨事に便乗する資本主義を批判しました。この本では新自由主義思想のリーダーとして有名なミルトン・フリードマンが登場します。彼女は大惨事が起こるたびに、それにつけ込んで新自由主義改革を推し進める政治体制を批判しました。出版された頃にはリーマン・ショックが起きたのですが、今、トランプ政権は新型コロナ危機の中で同じことをより大きな規模で再現しようとしているというわけです。

アメリカではこの7週間で3300万人もの人が失業保険を申請したといわれています。ご存知のようにアメリカではCOVID-19パンデミックが貧困地域を襲い、貧しい多くの人が亡くなりました。一方、富裕層は別荘に移動して優雅な生活を送っています。CNNによると、富裕層の資産総額は新型コロナの感染が拡大し始めた頃から19%も増加したそうです。貧困層が生きるか死ぬかの時に、株式市場は大幅に値上がりしました。これが現実に起こっていることです。

また、チョムスキーもインタビューで新自由主義について話しています。アメリカではパンデミックの可能性が以前から指摘されていたのに政府はそれを無視してきました。パンデミックよりも経済を優先しました。

チョムスキーは、パンデミックの防御は可能だったにもかかわらず「新自由主義の疫病が阻止した」と語っています。その上で、「私たちは今、本当の意味での社会的孤立の状況にある。困っている人たちを助けるためには、どんな方法であれ、どんな種類のものであれ、社会的な絆を再構築することで克服しなければならない」と述べています。

問題は新自由主義だけではありません。『サピエンス全史』で著名なハラリは、3月30日の日本経済新聞のコラムの中で重要なことを指摘しています。中国などの独裁国家が徹底した国民の個人情報の収集と強権的な施策によって、一定程度COVID-19の制御に成功していることを引き合いにしながら次のように述べています。

「今回の危機で、私たちは特に重要な2つの選択に直面している。1つは『全体主義的な監視』と『市民の権限強化』のどちらを選ぶのか。もう1つは『国家主義的な孤立』と『世界の結束』のいずれを選ぶのか、だ」と。そしてハラリは、国を越えた協力以外に道はない」と主張しています。

こうしてみると、COVID-19パンデミックがもたらす課題の背景には、人の命よりも経済と権力を優先する新自由主義や独裁主義という政治の問題が横たわっていることを無視することはできません。

この問題に対抗するためには、グローバルな連帯や社会的な絆を再構築し、国際協働の意義を改めて教育の場で問い直すことが必要でしょう。私たちが目指さなければならないのは、子どもたちが目の前の「大惨事」をただ受容し、耐えるのではなく、その背後にある社会的文脈や構造を批判的に思考し、他者と協働しながら自分たち自身の物語を形作ることです。

そして、それをローカルとグローバルの両視点から、COVID-19がもたらす制約を乗り越えて異文化間の協働と対話の学習を作り出すことが必要です。

ところで、新型コロナの影響で多くの大学が授業で使用しているツールはZoomだと思います。私が所属する法政大学でも多くの教員がZoomを使っています。ほとんどの教員は、本当は使いたくないけど、仕方なく使っていると思います。その結果、「Zoomを使ったオンライン授業のやり方」といった名前のマニュアルやビデオがネットにあふれました。

学生たちはCOVID-19パンデミックだけではなく、オンライン授業に対しても不安を感じています。私の授業は比較的少人数の授業が多いので、参考にしかならないのですが、授業でアンケートを取ったところ、36 人の受講生のうち4分の3がオンライン授業に不安を感じると答えました。

特に一年生はまだ大学に行ったこともない状態で、授業が終わってもなかなか通信を切ろうとしません。聞いてみたらもっと話がしたいというのですね。二年生になると大学の友達もいるので、そうでもないのですが、一年生は強い孤独を感じていることがわかります。そこで僕は一年生の授業では授業が終わった後、雑談の時間を作ることにしています。

私は、Zoomによる教えこみ型の授業を「カイコ型オンライン教育」と名付けました。私の実家では昔、蚕を飼っていました。蚕が繭を作る格子状の棚を「まぶし」と呼びますが、まさにZoomの画面は「まぶし」に見えます。「カイコ型オンライン教育」では、教員はカイコに桑を与えるように教育内容を与えます。そしてカイコは永遠に飛ぶことができません。

一方通行の教え込み型ではないオンライン授業はなんと呼べば良いか考えました。いろいろと考えて「ミツバチ型」という言葉がいいと思いいたりました。カイコとは異なり、ミツバチは成長すれば飛ぶことができるし、蜜をとることもできます。自宅のすぐ近くにはクローバーの畑があり、その真ん中にミツバチの巣箱がいくつか置いてあるのですが、ミツバチは勝手に蜜をとってきます。でも人は何もしないわけではなく、ミツバチが育つ環境を整えないといけないのです。

COVID-19パンデミック時代に、どのようにしてミツバチ型の教育を行うことができるのでしょうか。とりわけ、iEARN のように国際協働学習を進めるためには、どんな方法が必要なのでしょうか。もちろんそれは、目の前の差別やヘイトスピーチが蔓延する現実を受け入れるのではなく、その背景にある社会的文脈や構造への視点を持ち、グローバルな結束や社会的な絆の再構築、民主主義のための連帯を追求する学習でなければなりません。

そのために必要なことは、教員がZoomなどのシステムを教えるためのツールではなく、学生とともに学ぶためのツールとして捉えなければなりません。教員も学生も同じ困難な時代を生きるものとして、ともに学び、今日の課題に取り組むことが求められています。

このような方向性を持ったプロジェクトがNPO 地球対話ラボのメンバーによるZoom を用いた「いま私たち市民にできること・リブート」です。名前が長いので私たちは「いまわたリブート」と呼んでいます。

「いま私たち市民にできること」プロジェクトはもともと東日本大震災被災地の映像取材を目的としていました。また、地球対話ラボは被災地の小学校とインドネシアのアチェの小学校間の映像による交流を行っています。私のゼミ生もこの活動に参加しています。

今回のCOVID-19パンデミックによる世界的な影響により、世界各地で困難な状況が発生しています。この状況下でZoomを用いた異文化間対話と取材を行うことが「いまわた・リブート」の目的なのです。プロジェクトは4月15日に始まり、インドネシア・アチェやニューヨーク、ニュージーランド、ドイツ、日本の間での双方向対話取材が行われました。

私のゼミでは、独自の異文化間対話プロジェクトも実施しています。それがネパールやカンボジアとの交流です。5月4日にはネパールのジャーナリストのヒマルさんとの交流をしました。こちらは英語を用いています。ゼミ生たちはこうした交流を通じて、COVID-19パンデミックの影響下でどのような異文化間対話や協働が可能なのか、検討を続けています。

大事なことは、Zoomを教えるツールとして用いているのではなく、対話と協働学習のツールとして用いていることです。この観点こそが「ミツバチ型オンライン学習」に欠かせません。しかし、こうしたZoomを使ったオンライン異文化交流は実践全体から見れば、一部に過ぎないことも理解する必要があります。

新型コロナ影響下のオンライン学習には、批判的思考を核とするメディア・リテラシー教育の視点も必要です。ビデオ会議システムによるオンライン異文化交流はその一部です。世界的に著名なメディア・リテラシー教育研究者のルネ ・ホッブスは新型コロナ影響下におけるオンライン学習をメディア・リテラシー教育の観点から整理しています。アクセス、分析、創造、振り返り、行動の5つのステップごとに学習者の活動をまとめたものです。

それぞれのステップは一方向ではなく、行動から再びアクセスに戻るサイクルになっています。ホッブスはこれらのステップの頭文字をとり、AACRAフレームワークと呼んでいます。このプロセスの中にはZoomを用いた同期型ディスカッションが含まれています。

異文化間対話や異文化間協働を実施する場合は、「振り返り」だけではなく、「アクセス」や「創造」のステップにもこれらの同期型コミュニケーションを入れることができるでしょう。ホッブスは「同期型ビデオディスカッションは、人間関係を発展させたり、感情を共有したり、経験を関連づけたりするのに適している」と述べています。

しかし、それだけではなく、非同期型の掲示板やアノテーション、非同期型動画の制作など多様なデジタルツールを用いた学習活動を実践全体のプロセスの中に取り入れています。こうしたさまざまなデジタルツールを使いこなす能力をデジタル・リテラシーと呼びます。

ちなみに、ホッブスはメディア・リテラシーとデジタル・リテラシーを合わせたものをデジタル・メディア・リテラシーと呼んでいます。デジタル・メディアのリテラシーという意味ではないので注意してください。

メディア・リテラシーには批判的思考が不可欠です。メディア・リテラシー教育にするためには、これらのサイクル全体を考慮する必要があります。同期型のディスカッションや協働だけに焦点をあててしまうと、批判的思考までいたりません。

ところで、批判的思考とはどんな思考のことでしょうか。批判することではなく吟味することだという人もいますが、それだけでは答えになりません。あるいは情報の真偽を疑うとか、「送り手の意図」を正しく理解するという考え方もありますが、これらも十分とは言えません。

アメリカで有名なのは5つのキー・クエスチョンです。分析と制作の二つがありますが、ここでは分析のキー・クエスチョンをご説明しましょう。

(さ作者)誰がメッセージを作り出したか。
(ぎ技法)私たちの注意を引くためにどんな表現技法が使われているか。
(し視聴者)他の視聴者はどんな解釈をするだろうか。
(か価値観)どんな価値観や視点が表現されているか。あるいは排除されているか。
(な目的)なぜメッセージが送られて来たのか。

これらの頭文字を取って「さぎしかな」といいます。ぜひこの機会に覚えてください。メディア・リテラシーの批判的思考とは、メディア・メッセージに対してこれらの問いを問うことだと考えれば良いでしょう。

重要なことは社会的文脈を考えることです。とりわけマイノリティの視点です。「他者の視聴者」の中にマイノリティの視点を必ず含めなくてはなりません。今、世界的に人種差別が大きな問題になっていますが、こうした人権問題を含むメディア・メッセージを批判的に読み解くことが不可欠です。「送り手の意図」を正しく理解してもそれだけでは人種差別を読み解くことはできません。ここにはデジタル・シティズンシップ教育とつながる視点が求められます。

このような学習を国際交流や国際協働学習と同時に進めなければなりません。メディア・メッセージはいたるところにあります。テレビはもちろん、ソーシャル・メディアにもあります。そのメッセージは誰かによって何かの目的を持って作られたことを意識する必要があります。

COVID-19の影響によって、小学校から大学まで多くの子どもや学生にオンライン学習が求められています。文部科学省によると、休校中に同時双方向型のオンライン指導を行っている学校はたった5%だといいます。日本では日常的にこうしたデジタルツールを学習活動に用いることに後ろ向きで、新型コロナがもたらした危機に迅速に対応することができないのです。

このような状況でも子どもたちの学習を止めてしまうことは避けなければなりません。国際協働学習についても同じです。この現実と困難に圧倒されてしまい、学習を止めてしまうようなことがあってはなりません。

メディア・リテラシーやデジタル・リテラシー教育はSDGs教育にそのままつながります。ユネスコはSDGsを進めるためにさまざまなプログラムを進めています。その一つとして、メディア・リテラシーと情報リテラシー 、デジタル・リテラシーなどの多様なリテラシーを統合し、異文化間対話を進める「メディア情報リテラシーと異文化間対話」プログラムを世界中で推進しています。このプログラムは頭文字を取ってMILIDといいます。

ユネスコ・グローバルMIL同盟は次のように述べています。「私たちは紛争を防ぎ、不平等を正し、協力関係を作り出し、そして互いの理解と異文化間対話を育てていくための新しい道を見つけなければならない。このような背景のもとで、メディア情報リテラシーと異文化間対話ネットワークの構築が求められ、さらに私たちはその戦略的強化を追求するのである。ユネスコと国連文明の同盟は、メディア情報リテラシーとそのグローバル教育への貢献が、多様な文化や文明間の理解を促進するものと考える。」

COVID-19パンデミックの影響下で進めるべき国際協働学習はユネスコの「メディア情報リテラシーと異文化間対話」の理念と重なり合います。ユネスコ憲章前文には次のように書かれています。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」

私たちは、困難なCOVID-19パンデミックの時代に生きていますが、二度と戦争をしないために設立されたユネスコの原点にあらためて立ち返ることが求められていると思います。ご静聴ありがとうございました。

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