メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップの関係
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メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップの関係

2020年12月13日に開催されたJEARN主催、日本教育工学会メディア教育、メディア・リテラシー教育SIG共催研究ワークショップ「GIGAスクール構想に向けて デジタル・シティズンシップ:メディア・リテラシーとの関係から学ぶ」で発表した内容です。

はじめに

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今回の発表では、メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップの関係について報告いたします。私の発表については、すでに日本教育工学会メディア教育、メディア・リテラシー教育SIGからの質問が届いており、その質問に答える形で行いたいと思います。いただいた質問は二つあります。一つはメディア・リテラシー教育がシティズンシップの形成に果たす役割や期待される成果です。そしてもう一つは、政治的事象など現実社会の諸課題と向き合う上で、どのようなメディアの特性をどのように理解するための教育が必要とされるのかという質問です。

これらの質問に答えるためにはそれぞれの考え方におけるシティズンシップの位置について説明する必要があると思います。まず、メディア・リテラシーについてですが、メディア・リテラシーはもともと初めからシティズンシップと深い関係のある概念だと言えます。一方、デジタル・シティズンシップはもともとはICT教育の概念ですが、その概念がシティズンシップと結合したと考えられます。

ただし、必ずしもメディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップの二つの概念が単純に連携しているというわけではありません。そこで、3つ目の問いとして、メディア・リテラシーはデジタル・シティズンシップとどのように結合したかという問題を挙げました。この問いに答えつつ、最後に前の二つの問いに答えたいと思います。

メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップ関係図

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メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップの関係図を最初に示したいと思います。この図の左側がメディア・リテラシーで、右側がデジタル・シティズンシップです。メディア・リテラシーはカルチュラル・スタディーズや教育学を土台としており、アメリカでは全米メディア・リテラシー学会(NAMLE)が代表的な組織になります。一方、デジタル・シティズンシップはICT教育や教育工学を土台にしています。代表的組織は国際教育テクノロジー学会(ISTE)です。

メディア・リテラシーはメディア・メッセージの読み解きと創造の能力とスキルであり、批判的思考を土台としますが、デジタル・シティズンシップはICT利用の適切かつ責任ある行為規範であり、デジタルリテラシーを土台としています。ここでいうデジタルリテラシーとはICT機器の利活用能力と考えても結構です。ただし、最近ではオンライン情報を読み書きする能力もデジタルリテラシーと考えられています。

もちろんメディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップは、シティズンシップ概念を共通にしています。コミュニケーションやコラボレーションも共通する概念です。しかし、先ほども申し上げたように、メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップの概念の間には意見の違いや対立もあります。デジタル・シティズンシップにメディア・リテラシーが統合されるようになったのは2016年以降だと考えられます。それにはアメリカのメディア・リテラシー・ナウが主導した教育運動が大きな影響を与えています。彼らは二つの考え方を教育運動として統合しました。

ISTEとデジタル・シティズンシップ

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まず、ISTEにおけるデジタル・シティズンシップについてですが、デジタル・シティズンシップは2007年の生徒用情報教育基準に入りました。その前は1998年版ですが、そこでは「社会的、倫理的及び人的問題」とされています。1998年版にはすでに「テクノロジーの利用に対してポジティブな態度を発達させる」と書かれています。2007年版からデジタル・シティズンシップが登場しました。社会的な側面はすでにこの時からあったことがわかります。そのことが契機となり、2007年版のデジタル・シティズンシップという用語になったことがわかります。ただし、この用語はすでに存在しており、ISTEが独自に作ったわけではありません。ISTEのデジタル・シティズンシップの社会的な側面についてはさほど大きくはなく、その点がメディア・リテラシーの研究者から批判されることになります。

二つのメディア・リテラシーの概念

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メディア・リテラシーの概念を簡単に説明します。現在、大きく分けて二つの使い方がされます。一つは固有の意味でのメディア・リテラシーです。レン・マスターマンからトロントのメディア・リテラシー協会、そしてアメリカのNAMLEへと受け継がれて発展してきた概念です。もう一つは拡大されたメディア・リテラシーの概念です。ユネスコにはメディア情報リテラシーという概念がありますが、ほぼ同義と考えて良いと思います。この場合のメディア・リテラシーには情報リテラシーやニュース・リテラシー、デジタルリテラシーを含んでいます。このようなメディア・リテラシーという用語は政治家やメディア、ジャーナリストによく使われています。

ただし、それぞれのリテラシーの立場の中では、この見方が賛同されているわけではないので注意が必要です。例えば、情報リテラシーニュース・リテラシー教育を進めている人たちにとっては、それぞれのリテラシーはメディア・リテラシーの一部だと考えているわけではないのです。図書館情報学の領域で情報リテラシーを研究する人たちは、メディア・リテラシーこそ情報リテラシーの一部だと考えています。また、ニュース・リテラシーは、ロサンゼルス・タイムズの記者アラン・ミラーが設立したジャーナリストによるニュース・リテラシー・プロジェクトが普及させた、ニュース情報に特化した新たなリテラシーの概念ですが、彼らもニュース・リテラシーをメディア・リテラシーとはいいません。

そのため、私自身はこのような広義の意味でのメディア・リテラシーという用語は使わず、ユネスコのメディア情報リテラシーを使います。ただし、学術的にはあまり正しいとはいえない広い意味でのメディア・リテラシーもしばしば使われることがあることは理解しておいた方がいいと思っています。

メディア・リテラシーとシティズンシップ

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次にメディア・リテラシーにおけるシティズンシップ概念の位置付けを説明します。メディア・リテラシーの出発点の一つとして1982年のユネスコのグリュンバルト宣言をあげることができます。イギリスのメディア・リテラシー研究者がこの宣言の立案に関わりました。この宣言はシティズンシップについても触れられています。「発達過程におけるコミュニケーションとメディアの役割や社会への市民の積極的な参加のための道具としてのメディアの機能を過小評価すべきではない。政治および教育制度は、市民がコミュニケーション現象に対する批判的理解を促進する義務を認識する必要がある」と書かれています。

ただし、メディア教育を責任あるシティズンシップを育てるための一つの準備として議論することについては、難しいだろうこと、そしていずれその議論は避けられないと指摘しています。当時はメディア・リテラシー教育という用語ではなく、メディア教育という用語が使われていました。メディア・リテラシー研究としてはまだ発展段階だったと言えます。

ちなみに現在のユネスコは、メディア・リテラシーと情報リテラシーを統合し、その他ニュース・リテラシーやデジタルリテラシーなどのリテラシーを包含したメディア情報リテラシー、すなわちMILという考え方に移行していますが、このMILの政策と戦略は、デジタル世界における現代的ガバナンスとグローバル・シチズンシップの存続のために極めて重要と述べており、グローバル・シティズンシップとの関係を主張しています。

メディア・リテラシーの発展とシティズンシップ

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欧米のメディア・リテラシー理論の発展とシティズンシップについてごく簡単に説明します。マスターマンは1985年の著書『メディアを教える』で「すべての市民が権力を持ち、合理的な意思決定をし、効果的な変化の担い手となり、メディアと積極的な関わりを持つためには、メディアリテラシーの普及が不可欠である。メディア教育がもっとも重要な役割を果たすことができるのは「民主主義のための教育」という広い意味でのメディア教育である」(p.13 )と述べており、シティズンシップの重要性を指摘しています。

次に1989年にオンタリオの教育委員会から出版されたメディア・リテラシー・リソースガイドを紹介します。この本には「民主主義社会で自由な市民としての役割を果たすためには、市民は自ら情報に基づいた選択を行い、自身を意識しない目的のために利用されることのないように学習できるよう、批判的自律性を発達させる必要がある」(p.176)と書かれています。ここにもシティズンシップの観点があることがわかります。

これら以外にもたくさんあるのですが、最近の議論としてはNAMLEが2007年に出した「メディア・リテラシー教育中核原理」が参考になるでしょう。ここには「メディアリテラシー教育は、民主主義社会に不可欠な、情報に通じ、深く考え、積極的に関わっていく社会への参加者を育てる」と書かれており、メディア・リテラシー教育の土台にシティズンシップが位置づいていることがわかります。

つまり、メディア・リテラシーの立場から言えば、メディア・リテラシーにシティズンシップが位置づくのは当然のことでした。だからわざわざデジタル・シティズンシップという用語を使う必要もありませんでした。ユネスコもグローバル・シティズンシップという概念があるので、デジタル・シティズンシップという用語は本当はなくてもいいのです。ユネスコの中で、デジタル・シティズンシップの概念を使っているのは、メディア情報リテラシー・プログラム(情報とコミュニケーション局)よりもむしろバンコク事務所を中心としたICT教育部門です。(例えばA Policy review: building digital citizenship in Asia-Pacific through safe, effective and responsible use of ICT,2016)

ヨーロッパのデジタル・シティズンシップ

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昨年、欧州評議会がデジタル・シティズンシップ教育ハンドブックを公開しました。欧州評議会は民主主義文化のためのコンピテンシーを統合する概念としてデジタル・シティズンシップを位置付けています。北米での議論に比べるとかなり大きな位置を与えられていることがわかります。

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欧州評議会のデジタル・シティズンシップには10の領域があります。そのうちの一つがメディア情報リテラシーです。これはユネスコのメディア情報リテラシーの概念そのものだと言って良いでしょう。ヨーロッパではユネスコの運動の影響が大きいのです。

アメリカのデジタル・シティズンシップ

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さて、北米での話に戻りたいと思います。ISTEは2015年に『学校におけるデジタル・シティズンシップ(第3版)』、そして2019年に『学校リーダーのためのデジタル・シティズンシップ・ハンドブック』を出版します。

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2019年版のハンドブックでは、デジタル・シティズンシップの9つの要素のうちデジタル・フルーエンシーは、従来のデジタルリテラシーに加えて、メディア・リテラシーと情報リテラシーが含まれています。これは画期的なことです。それまで別物だったメディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップがヨーロッパと同じように統合されたと言えます。

ちなみに、2018年に私と今度さんが論文「日本におけるデジタル・シティズンシップ教育の可能性」を書いた時は、まだこのハンドブックが出版されていなかったため、この論文では、メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップの位置付けが曖昧でした。「情報モラル」教育を「新しいメディア・リテラシー」教育の一部として位置づけるとともに、デジタル・シティズンシップ教育をモデルにした教育として捉え直す」と書いています。今ならこんな曖昧な言い方はしないと思います。

メディア・リテラシーからデジタル・シティズンシップへの視点

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では、メディア・リテラシーの立場からデジタル・シティズンシップにはどのような視点や見解があるでしょうか。すでに二つの立場は最初から融和的だったわけではないという話をしました。例えば、バッキンガムは2015年のブログ記事(The blanding of media literacy)にデジタル・シティズンシップについて「批判的なものはもちろんのこと、政治的、市民的、もしくは集団的な要素さえ排除している。それは単にトラブルを遠ざけ、行儀良くし、よく躾けられた従順な子どもでいろということ」と書いています。この視点は、実際のところ、彼のテクノロジー中心主義的な教育への批判的立場を示したものです。

また、2017年に出版された『国際メディア・リテラシー教育ハンドブック』では、マットソンとキュランが「デジタル・シティズンシップ教育:個人的責任を超えて」
という論文を書いています。そこには次のような一節があります。「学校は、生徒が社会正義のためのグローバルな視点を持った正義を志向する市民になるための批判的メディア・リテラシーを教える力を持っている。デジタル、メディア、批判的メディア・リテラシーは、生産的で責任感のあるデジタル・シティズンを育成する学校のカリキュラムに不可欠な要素であるべきである。」

つまり、メディア・リテラシーの立場からみると、デジタル・シティズンシップは批判的思考が欠けている、だからその視点が必要だと主張しているのです。これがメディア・リテラシー研究者から見たデジタル・シティズンシップへの一般的な見方だったといってよいでしょう。

メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップの統合へ

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メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップが統合されることになった背景には、2017年4月にワシントン州で成立したデジタル・シティズンシップ法とそれを支えたメディア・リテラシー・ナウの活動が大きいと言えます。この法律では、メディア・リテラシーは「メディア・メッセージに関わる批判的思考を可能にするスキル」と定義されています。そしてデジタル・シティズンを「メディア創造の主要な方法であるデジタルツールを効果的かつ深く考えて活用するリテラシー・スキルを持った市民」と定義しています。これらの定義はシンプルですが、本質を捉えたものだと言えます。

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メディア・リテラシー・ナウ代表のマクネイルが2016年6月に書いた文章(Linking Media Literacy and Digital Citizenship in the public policy realm)があります。メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップが教育運動としてどのように接続されたのか、大変よくわかる文章です。彼女は「私たちは「デジタル・シティズンシップ」という用語が政治家の間で共感を持って捉えられる一方で、密接に関係する「メディア・リテラシー」という用語が明らかに身近ではないものになりつつあることを見てきた」と書いています。

もともとメディア・リテラシー・ナウはメディア・リテラシー教育運動を進める団体でしたが、実際にはメディア・リテラシーよりもデジタル・シティズンシップの方が政治家にはうけが良かったのです。どこの国でも政治家は「批判的思考」が好きではありません。これは現在の日本でも同じことが言えると思います。だから、デジタル・シティズンシップとメディア・リテラシー教育を統合したメディア・リテラシー・ナウの戦略は大正解だったと思います。

そして、彼女はメディア・リテラシー以外のデジタル・シティズンシップが受け持つべき教育内容として「おそらくプライバシーや監視に視点をおいて、データがどのように集められ、利用される方法についての理解」だと書いています。この視点は現在では、メディア・リテラシーの一部として考えられるようになっていますが、同時にデジタル・シティズンシップだとも言えるでしょう。しかし、アメリカでは政治家がメディア・リテラシーに消極的だった状況は、2016年11月以降、劇的と言っていいほど大きく変わります。

「フェイクニュース」とメディア・リテラシー

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その変化をもたらしたのはいわゆる「フェイクニュース」問題です。ご存知のように、4年前の大統領選では「フェイクニュース」が大量に流通し、それが選挙に影響を及ぼしたのではないかと言われています。さらに、2016年11月22日にスタンフォード大学歴史教育グループによる調査結果が発表され、若者たちがオンラインの情報を評価する能力に欠けていることがわかりました。そのことは全米の教育関係者に衝撃を与えました。

この問題に対してもっとも早く動いたのは学校図書館関係者です。学校司書たちはCRAAPテストと呼ばれる評価チェックリストを作って情報リテラシーの授業に使いました(例えばTeaching Information Literacy Now,2016)。また、ニュース・リテラシー・プロジェクトの活動に関心が集まりました。スタンフォード大学歴史教育グループは「横読み」と呼ばれる手法を中心としたデジタルリテラシー教育を提案しています。

一方、メディア・リテラシー教育研究者は、情報の真偽を判断することについては懐疑的な人が多く、対応はいろいろでした。フランク・ベイカーというアメリカで有名なメディア・リテラシーの実践家は、すぐさま情報リテラシーやニュース・リテラシーの考え方を取り入れて実践を始めました。2年前に法政大学で講演をしていただいたバッキンガムは情報真偽の判断にとても懐疑的です。講演会に参加された方はご存知だと思います。デジタル資本主義そのものを批判しなければならないと主張しています。また、ルネ・ホッブスはプロパガンダアルゴリズム・リテラシーに注目し、最近、プロパガンダに関する本を出版しました。アルゴリズム・リテラシーは最近注目されるようになった考え方ですが、ソーシャル・メディアの仕組みを理解するためにも、より注目されるべきだと思います。

私はいずれのリテラシーもユネスコのメディア情報リテラシーに包含される概念として、つまり多元的リテラシーとしてそれらを同時に学校教育に取り入れるべきだと考えています。ユネスコは2000年代に入ってから多元的リテラシーの立場を明確にしています(例えばReading the past,writing the future Fifty years promoting literacy(2017))。メディア情報リテラシーもその一つだと考えられています。いまやリテラシーといえば単なる読み書き能力ではなく、多元的なリテラシー論を語るべき時代になったと思います。

コモンセンスとニュース&メディア・リテラシー

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コモンセンス・エデュケーションは、デジタル・シティズンシップ教育のカリキュラムに、ニュース・リテラシーとメディア・リテラシーの両方を取り入れたニュース&メディア・リテラシー教材を用意しています。これも多元的リテラシーだといえるでしょう。

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コロナ禍の中でコモンセンス・エデュケーションは次のように書いています(Essential Digital Citizenship Lessons for the Coronavirus Pandemic,2020)。「教師も生徒も、コロナウイルスとその影響を理解するために、ニュースやソーシャルメディアをチェックする時間が増えています。今、生徒たちには、ニュース&メディア・リテラシー、いじめを認識して対応する能力、自分たちのメディア習慣が自分たちにどのような影響を与えるかを理解することなど、重要なデジタル・シチズンシップのスキルが、これまで以上に必要とされています。」このように、オンライン学習が必要になるにつれて、ますますニュース&メディア・リテラシーが重要だと指摘しています。コロナ禍によってオンラインのデマの影響を受けやすくなったことが大きな原因です。

参加型デジタル・シティズンシップ教育へ

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最近、興味深い論考を見つけたので紹介します。バコールズらが書いた「グローバル・パンデミック下のデジタル・シティズンシップ:デジタルリテラシーを超えて」(Digital Citizenship During a Global Pandemic: Moving Beyond Digital Literacy, 2020)というタイトルの論考です。彼らはメディア・リテラシー研究者ではないことも心に留めておくべきでしょう。次のように書いています。

「批判的デジタル市民リテラシーは、より一般的な民主主義的市民活動と同様に、市民活動についての学習から、対面、オンライン、そしてその間のあらゆる空間での民主主義的なコミュニティへの参加と関与へと移行することを必要とする。」「教育は「不平等の上に築かれ、永続させる機能不全の市民生活を受け入れるために若者を訓練する」ことをやめ、学校が「若者が自分たちのリテラシーを用いて、自由な市民の未来を夢見てデザインする」ことを支援するデジタル・シチズンシップの視点に向かって進まなければならない。」

彼らはこのように述べ、ソーシャル・メディアを活用した参加型デジタル・シティズンシップ実践を提案しています。具体的には子どもや若者たちがオンラインのさまざまな情報やメッセージを批判的に読み解くとともに、彼らがオンラインコミュニティを作り、市民活動をすることを支援するというものです。彼らはそうした学習を参加型デジタル・シティズンシップ教育と呼んでいます。

鍵となる問い

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彼らは学習者が考えるべき鍵となる4つの問いをあげています。それは、第一に、私は、オンライン情報源の正確性、視点、妥当性を評価することで、どのようにして情報を得ることができるだろうか、第二に、私は、自分とは異なった信念や経験を持つ人々と敬意を持って関わることができるオンラインの場をどのように探したり、発展させたりすることができるだろうか、第三に、私は、自分のコミュニティに参加し、良いことのための力となるために、テクノロジーをどのように使うことができるだろうか、そして最後に、私は、他の活動や社会的交流とのバランスをとるにはどうしたらよいだろうか、というものです。これらの問いは新たなデジタル・シティズンシップ教育の原点を示しているように思われます。

さらにこれらに加えて根源的な問いを提示します。それは「オンライン上で誰の声が欠けているのかを認識し、テクノロジーへのアクセスと公平性を促進するためにはどうすればよいか」という問いです。この問いかけは、デジタル・インクルージョンの問題であるとともに、グローバルな広がりを持った問いであり、グローバル・シティズンシップに繋がるものだと言えます。こうした考え方が登場した背景にはデジタル・シティズンシップとメディア・リテラシーの統合があったといってもいいのではないかと思います。デジタル・シティズンシップに対するメディア・リテラシーの貢献とはまさにここにあると思います。

主権者教育とメディア・リテラシー

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さて、文科省の主権者教育推進会議は11月2日に「今後の主権者教育の推進に向けて(中間報告)」を発表しました。そこには次のようなメディア・リテラシーについての言及があります。

「主権者教育を充実し、政治的事象など現実社会の諸課題について子供たちが多面的・多角的に考察を深めるためには、各種の統計、白書、新聞やインターネットの情報などの豊富な資料や多様なメディアを活用して情報を収集・解釈する力や、情報の妥当性や信頼性を踏まえて公正に判断する力などのメディアリテラシーの育成を学校のみならず家庭においても図ることが重要である。」(p.7)そして「モデル校における効果的な指導方法の開発」や「「モデル校における効果的な指導方法の開発」や「国において、(1)モデル校における効果的な指導方法の開発、(2)学校、家庭におけるNIEの推進を通して、こうした主権者教育の充実に向けたメディアリテラシー育成の取組を推進すること」(p.14)が求められると書かれています。

ここには、欧米で議論されているオンライン偽情報問題への注目が見られます。それは主権者教育、教科で言えば「公共」科への広義のメディア・リテラシー教育の導入への動きを見ることができます。主権者教育をシティズンシップ教育と同義ということができるかどうかは、かなり問題があると思いますが、しかし、こうした動きから日本でのデジタル・シティズンシップ教育の可能性を見ることができると思います。

まとめ

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最後に本発表のまとめをしたいと思います。メディア・リテラシーとデジタル・シティズンシップは元来別の領域の概念であることを確認しました。しかし、アメリカを中心に学校教育のデジタル化ともなって、両者の統合が強く求められました。それを牽引したのがメディア・リテラシー・ナウの運動です。また、今日の広義のメディア・リテラシー、すなわちメディア情報リテラシーは多元的リテラシーであり、同時にデジタル・リテラシーやニュース・リテラシー、情報リテラシーを包含することを見てきました。そして、デジタル・シティズンシップ教育に広義のメディア・リテラシー(メディア情報リテラシー)教育を導入することによって、現在では批判的思考とグローバルな包摂、そして社会的正義を追求する教育理念となったと言えると思います。

最初に、メディア・リテラシー教育がシティズンシップの形成に果たす役割や期待される成果が問われましたが、もともとメディア・リテラシー概念にシティズンシップが含まれていました。つまり、問いをシティズンシップではなくデジタル・シティズンシップとして答えた方がよさそうです。だとすると、メディア・リテラシー・ナウの運動によって、批判的思考をデジタル・シティズンシップに位置付けたことこそがもっとも重要な役割であり、期待される成果であったと言えるでしょう。そして、政治的事象など現実社会の諸課題と向き合う上で、どのようなメディアの特性をどのように理解するための教育が必要とされるのかという問いについては、ソーシャル・メディアにおけるメッセージやアルゴリズムの批判的読解と創造を通したコミュニティへの参加を志向する教育が求められるといえるでしょう。とりわけ、コロナ禍はこうした動きを加速させつつあります。

日本の主権者教育政策の動きは一つの可能性ではありますが、それだけでは不十分です。同時に情報モラル教育からデジタル・シティズンシップ教育への転換と主権者教育との接合が求められると思います。さらに、コロナ禍におけるGIGAスクール構想への動きと連動することが一つの鍵になると思います。日本では10年に一回改訂される学習指導要領が教育政策の中核に位置づいているため、情報モラル教育政策を急激に変えることが困難です。

しかし、メディア・リテラシー・ナウの経験は私たちに一つの方向性を示していると思います。情報モラル教育が一人一台の端末時代に対応できないのは明らかであり、実際、私たちのところには全国の学校や自治体、教職員団体から問い合わせや講演依頼が来ています。このような草の根の動きが時代を変えると思います。日本のメディア・リテラシー教育もまたアメリカのメディア・リテラシー・ナウが経験したように、デジタル・シティズンシップと組み合わせることで大きな力になると思います。

バコールズらが指摘したように、参加型批判的デジタル・シティズンシップ教育をグローバルに展開することが今後の新たな方向を示すものではないかと私は考えています。コロナ禍は一国だけで起こっている問題ではありません。グローバルな課題であることを考えれば、デジタル・シティズンシップ教育もまたグローバルな教育運動として進めるべきだと思います。たまたま昨日の日本シティズンシップ教育学会のシンポジウムのテーマがグローバル・シティズンシップでした。ここで議論していることはユネスコのプログラムでもあるグローバル・シティズンシップ運動につながります。そしてグローバルな参加型批判的デジタル・シティズンシップ実践はiEARNのようなグローバルなネットワークを通じて広げていくことができると思います。

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