感情の話〜後編〜

「感受性が強すぎると不幸をもたらし、感受性がなさすぎると犯罪に導く」

出典…タレーラン・ペリゴール 「語録」より

あぁシェイクスピアならまだしもこんな聞いた事ない人の言葉引用したらぐぐったのばれちゃう!
というわけで続きです!
ちょっと今日のやつは上手く言葉でまとめれる自信がないので例をあげながらいきます!

ルール…テンパイ連荘、あがりやめなし、トップにしか意味がないシステムと思っておくれ

親 自分 40000点
南 39000点
西 20000点
北 12万点から引き算して!

って感じとしましょう。
オーラスが無事流局しました、手牌はてんぱってます。
さてテンパイ宣言するか否か?

はい、ここでテンパイ宣言するって答えたあなたは今回御紹介する悪感情である「自分の選択で損をする可能性のある形で勝負の決着をつける事を嫌がる病」です。ほらまとまらなかった!

本来この状況というのは
・南家のテンパイ確率が100%ならテンパイ宣言する
・南家のテンパイ確率が0%ならテンパイ宣言しない
というのがまずあって、99%でもする、98%でもする…じゃあ40%なら?みたいな感じで何%以上ならテンパイ宣言するってのを自分の中で確立し、それから南家の捨て牌や挙動を見てテンパイ確率を推測してから自分がテンパイ宣言するか否かを決める必要があるのです。

それを「南家がテンパイだとまくられるから」という理由だけでテンパイ宣言するのは弱い心からくる思考の放棄ですね。
あ、そっか「不確定性の忌避」って書けばわかりやすいかな?

もう一個例をあげてみます。

現状2着目で満貫あがればトップ。
メンタンドラ1リーチ!したら脇から出る!
見逃してつもればトップ!ロンした場合は裏のればトップ、のらなければ2着。

トップにしか意味がない対局としてこれも見逃す人もいるんじゃないでしょうか?
「裏のらずに2着だと最悪だから」
わかりますとも。でも
「見逃してつもれなかったら最悪」
なんですよ?裏のればトップもツモればトップも同じ事なのに、目の前にある不確定性を人は嫌う事が多いんですね。
これも本当なら巡目、裏がのる確率、待ちの残り枚数、他家の動向などを総合して判断する必要があります。

つまりは「~だから嫌」で止まるんじゃなくて「~になる可能性がこれだけだからこうする」って考えるのが大事って事ですね!

考えても結局わからない事も多いし、最善を尽くしてもそれが裏目に出て負けちゃったりするのが麻雀だけど、しっかり考えて悔いのない選択を続けていきたいものですね!
無理矢理まとめたらなんか愛燦燦みたいになりました!
ではまた!

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