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太古のママに願い事

先日、4歳の長男から質問を受けた

「ママはどこからうまれたの?」

「ママのママだよ」

「じゃあ、ママのママはどこからうまれたの?」

「ママのママのママだよ」

「ママのママのママはどこからうまれたの?」

「ママのママのママのママだよ」

「ママのママのママのママはどこからうまれたの?」

「ママのママのママのママのママだよ」

「ママのママのママのママのママのママのママはどこからうまれたの?」

「ママのママのママのママのママのママのママのママのママの..........だよ」


最後の方は「ママ」の増え方がひとつ多かったり、コトバ遊びみたいになって、どこまで続いたかは覚えてないけど、見当もつかない大昔のママまでさかのぼっていた。

この会話が終わったあとに感じた、なんとも言えない心の高揚。

今までに、こんなに大昔のママの存在が頭をよぎったことがあっただろうか。私には母がいる。祖母もいる。会ったたことはないが曽祖母もいる。認知しているのはここくらいまで。そのもっと前には曾祖母の母親がいて、その母親もいるのだ。それは果てしなく続く。

なんだか、自分のバックグランドが一気に広がり、それと同時に心強い何かに守られているような。太古の昔の人間から現代の私へ、確実に生命が紡がれ続け、母から子への思いもずっとずっと引き継がれてきているんだ。

それは私だけでなく、あの人もこの人もすべての人がそう。

大げさなようだけど、一瞬まさにそんな壮大な感覚に陥った。

息子よ。

私にそんな気付きをくれてありがとう。

そして、意図せずに生命の繋がりみたいなことを気づかせてくる4歳少年の質問力。子供ってそういうとこあるよね。

生命の繋がりに気付いたからといって、だからどうというわけじゃないんだけど、孤独に陥りやすい現代、特にこのコロナ渦、そして私自身、大きな悩みを抱えているってことも相まり、深ーっく心に響いたっていう話です。

いままで思いを馳せることがなかった遠い親戚である先人たち。急にお願いごとなんて、それはもう虫が良すぎるのは承知ですが、どうか、家族が健やかに時を過ごせるように見守ってください。


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