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絵画の楽しみ方教えます。 その3-26

ヨハネと思われていた人物の位置
 通説では逆さ手でナイフを持ったペトロが左手でヨハネに耳打ちしているということになっているのは前述した通りです。しかし、私の今まで解説してきた解明が正しいとすれば、この左手はユダの背後のヨハネの左手であります。ということは耳打ちしていないわけですから、このヨハネと言われていた女性はこの位置で良いのでしょうか。
 まずは一旦頭の中を整理する意味でも、最後の晩餐からこの女性に席を外してもらいましょう。

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  私の理論が正しければこれで本来のキリストと12人の使徒になるわけです。しかし、あえてレオナルド・ダ・ヴィンチはこの女性を描いたわけなので、最初は冗談半分で右側に移動させてみました。しかしここでもレオナルド・ダ・ヴィンチの位置決めの指示があったのです。
最初にお見せいたします。これが完成図なのです。

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  大ヤコブの左手を女性の肩のラインの位置に合わせます。そして女性の両手をキリストの左手に合わせるのです。
 ネットで、たまに似た様なものを見つけることがあります。しかし、それは作画した本人の意志で、それこそ、たまたま、そうなったものがほとんどです。私の場合とは似て非なるものです。レオナルド・ダ・ヴィンチの位置決め指示に従って移動させているからです。

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  不思議な現象が起こります。トマスの手が大ヤコブの手と入れ替わるのです。天に人差し指を突き上げているのはトマスではなく大ヤコブになってしまうのです。

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  冷静に考えれば大ヤコブの両手を広げて驚くポーズは何かを見て驚くときのポーズなのではないでしょうか?
この場面は、キリストが「この中に私を裏切る者がいる。」と言った瞬間の場面だったはずです。だからこのポーズはこの場面には、そぐわないポーズなのだと思います。
 この人物を右に寄せて大ヤコブの右手に入れ替わり「1」を現わすような天を指すポーズになったほうがこの場面に合っていると思うのです。

  意味としては「裏切り者は、この中の一人ですか?」という意味かもしれませんし、キリストがこの女性を愛している場面を見て「あなたが1番愛しているのはこの女性ですか?」という意味でも良いかもしれません。

キリストの左手は消え女性の腰に手をまわしているように見えます。

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  またまなのでしょうか?心が動転しているのです。どうぞ、私を笑ってください。私は言いようのない高揚感と不安感に襲われたのです。
 少し冷静になりましょう。私は確かに本物を見たわけではありません。ヨーロッパに行ったこともありません。パソコンで解析しただけで、それがどうしたのだ?と思われても仕方ないと思います。それは私にも十分わかっています。これを、たまたま論で片付けられてもかまいません。偶然で片つけられても仕方ないです。
  最後の晩餐とアンギアーリの戦い?コラボ?馬鹿な!!煩悶する。少し冷静に考えれば、私がカトリック教的世界の住人でないこと、また、東洋の日本人であったからこそ、この謎が解けたのかもしれないと思ったりもします。先入観・固定観念というものがないから良かったのかもしれません。少し話は逸れますが、このアンギアーリの戦いの模写はルーベンスが模写したことになっています。しかも,レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画を模写した版画を元に描かれたことになっています。
その版画をお見せしましょう。

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  作者すら言うのも憚れる版画です。この絵からこの模写が生まれると思いますか?

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あり得ないでしょう。こんな誰が見ても明らかな間違いが、500年間、まかり通るのです。なぜルーベンスの手元にこの絵が行ったのかは分かりません。しかし私は断言します。この絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの真筆です。これひとつでも、世紀の大発見だと思うのですが。

続く・・


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