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絵画の楽しみ方教えます。 その3-31

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  深読みしすぎかもしれませんが、さらに私はこう思います。たぶん完成時はもう少し私の謎解きと同じようにペトロが他の人物の手を握っているように描いていたのだと思うのです。
  レオナルド・ダ・ヴィンチのことだから絶妙に曖昧に描いていたに違いありません。想定済みの様な気がします。教会関係者の中には気づいた人もいたのかもしれません。たぶん、今は失われた中央のキリストの足元の部分も足の位置などで、それとはなしに気付かせる描きこみがあったのかもしれません。もしかしたらレオナルド・ダ・ヴィンチは後世修復を理由に描き直されるのもわかっていた気がします。分からないように小手先で当時のカトリックの意向に沿うように描き直されることもわかっていた気がしてなりません。それは直せば直すほど、直した側の浅はかさが現れるという意味にもなります。先に記述したように日本のNHKもその手助けに加担したことになりますね。しかしそのように改ざんされたとしても、問題はないのです。アンギアーリの戦いを使わなければ謎は解けない仕組みになっているのですからね。
  さて、こうなったら、さらに深堀するしかないです。
では、この横9メートルの大壁画とアンギアーリの戦いをなぜコラボさせたのでしょうか。そしてなぜ後世に謎解きを託したのでしょうか?この背後の壁は中央の位置合わせの壁の幅3メートルになるはずです。ルーベンスの模写とされるアンギアーリの戦いの寸法はいかほどなのでしょう。レオナルド・ダ・ヴィンチの立場から考えれば、レオナルド・ダ・ヴィンチは私の解いたように描きたかったとは思いますが、それは当時の状況下では描けなかったことは容易に想像できます。しかし、彼自身の意思を伝えるためにアンギアーリの戦いを描いたはずです。最後の晩餐の精密な図面もあったはずです。そこにミリ単位の精度で合わせこみ描けるのはレオナルド・ダ・ヴィンチ以外にはできない仕事です。
  美術家列伝を書いたヴァザーリはミケランジェロの弟子です。  レオナルド・ダ・ヴィンチがアンギアーリの戦いの壁画を描いていた時、反対の壁ではミケランジェロがカッシーナの戦いを製作していたそうです。ヴァザーリとレオナルド・ダ・ヴィンチも面識があったはずです。それにヴァザーリはレオナルド・ダ・ヴィンチを尊敬していたらしいです。そんなときレオナルド・ダ・ヴィンチがヴァザーリにアンギアーリの戦いの素描を渡したのではないでしょうか。大胆な仮説です。それがなぜルーベンスに渡り、ルーベンスもそれを自分の作であるということにすることを承知したのでしょうか?

  ヴァザーリが亡くなって2年後くらいにルーベンスは生まれたようなので直接的な接点はありません。仲介する誰かがいたのでしょうか?あるいは脈々と続く我々が知らない秘密組織があったのでしょうか?この謎の解き方をレオナルド・ダ・ヴィンチはヴァザーリに打ち明けていたのでしょうか?よほどの信頼関係がなければできないでしょう。私の妄想は膨らむばかりです。そもそもアンギアーリの戦いはこの謎ときのカギとなるならば、アンギアーリの戦いの壁画に意味があったのかさえ疑問に感じます。さらには未完のアンギアーリの戦いの壁に、後に壁画を描いたのはヴァザーリです。ますます怪しい。(笑)そこでヴァザーリついても調べてみましょう。

続く・・


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