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ゴッホの青い手紙 35

 テオよ。またフェルメールだ。君は「手紙を書く女」を見たことがあるだろうか?さほど面白くもない絵のように見える。

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 だがね「夫人と召使」という絵を知っているかい。あの絵は全く衣装も机も一緒さ。机の角を合わせてごらん。すぐに分かる。両方を脳内で合成してみれば面白いね。写真で同時に焼き付けたらさぞ面白いだろうと思うよ。

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 この二枚を関連付けて鑑賞できれば、この絵の素晴らしさが分かる。
 時間差の導入だ。先人の画家たちは何とかして絵画の世界に時間の概念を入れ込みたかったのだね。僕が今思い出せるのはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミレー、ル・ナン兄弟、最近ではセザンヌくらいかな。たぶんもっといるはずだ。二次元という規制されている空間だけに逆にいろいろな表現方法が必要になってくるのかもしれない。しかしよくよく考えてみれば依頼主がそんなことを望むはずもなく、画家は依頼主の満足するものを描けば良いわけだ。何か自己ならでは表現を入れたかったのか?あるいは当時の流行だったものを取り入れて売り込んだのか?依頼主は確かに金を持っていたことだけは確かだ。独自の美を追求しすぎても駄目、踏襲していてばかりでも駄目、想像以上に難しい時代だったのかもしれない。
 名を遺した画家の陰に何十倍、いや何百倍の弟子や注文もなく消えていった画家がいたのも確かだ。その人々に思いを馳せる必要はないのだろう。結局は残った作品だけの世界ということなのかもしれない。時代が残したのか?作品の力なのか?記録という意味で美術史家の仕事というものも重要ではある。私は絵を描く立場から絵を見ているのでその見方が当たり前だと、つい思ってしまうが、芸術はすべての人々に解放されているのだから。
どちらでも良い内容だったね。とりあえず焼却頼む。


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