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ゴッホの青い手紙 23-2

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続き・・

 背景の壁に合わせればキリストのシルエットに一致する。クレーンの様な棒がユダとペトロを貫くのは興味深いところである。ヨハネを私の考えた位置へ持って来いともとれる意味深な網の糸である。シャバンヌという画家が美術史的にどんな位置にいるかも、私は知らない。ただあまり最初はパッとしなかった画家らしいが壁画を多く描いているらしいこと知った。
 あれだけの壁画の画面構成を考えるには下絵を描き、下絵から壁面の面積に合わせた拡大比率を決め型紙の様なものを作りポイントを決め、線を引くか色付けをしなければならないだろう。
 そして壁画を描くのならば、当然レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は観ていただろう。私がもし美術史家だったら、そのあたりも綿密に調査しなければならないだろうが、私はただの妄想家、変人、絵描き、なので関係ない。ただこの画家は象徴的に見る習慣が身についてしまったのではないかと思える。それは型紙と言うある意味中身のない外側で中身を見るということに似ている。象徴が象徴を引き寄せた。型紙が象徴を引き寄せたと置き換えても良いだろう。

 この話もある人物と議論した。その人物も見方は自由だと言っていたはずなのに、私がうらぶれたそこら辺のおじさんに見えると言ったとたん 、また言われたよ。「品格と節度が重要だ 。」ってね。正直な気持ちを言った迄の事なのだが、彼に言わせれば、シャバンヌ、イコール高貴で神聖な絵でなければならぬというところから始めねば気に食わないらしい。もしこの絵を子供が見て「変な顔したオジサン。」とでも言おうものなら母親に近づいて、屁理屈をこね始めるだろうな。そんなものなんだよ。だからいつ迄経っても高みに上がれない。歴史の上に絵画を押し込め座標づくりで満足しているのだ。また長い手紙になってしまった。握手を送る。焼却頼む。


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