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絵画の楽しみ方教えます。 その3-29

ヨハネはマグダラのマリア

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・ヨハネはマグダラのマリアウィキペディアより抜粋
マグダラのマリア(ラテン語: Maria Magdalena)は、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。マリヤ・マグダレナとも音訳される。正教会・カトリック教会・聖公会で聖人。正教会では携香女・亜使徒の称号をもつ聖人。香油の入った壷を持った姿で描かれているが、これは墓にあると思われていたイエスの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来し、「携香女」(けいこうじょ)の称号もこの記述に由来する。
 共観福音書は、マグダラのマリアは、イエス・キリストが十字架につけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見つめ、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で一番重要な人物とされる。
「罪深い女」と知られているため、ニコス・カザンザキスの『最後の誘惑』等のような現代小説をはじめ、イエスとの結婚を語る様々な非歴史的な伝説はあるが、歴史的根拠は未だに見出されていない。
 キリスト教の主要教派でいずれも聖人に列せられている。マグダラのマリアを聖人とする西方教会(カトリック教会、聖公会)での記念日(聖名祝日)は7月22日である。
 一方、正教会では8月4日に携香女・亜使徒として記憶する(修正ユリウス暦を使用する正教会では西方と同じく7月22日)。固有の記憶日に加え、復活祭後第二主日を「携香女(けいこうじょ)の主日」として他の聖人とともにマグダラのマリアを記憶する。
 マグダラのマリアは、イエスの死と復活を見届ける証人であるとともに、西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、教義上「悔悛した罪深い女」とした。東方教会(正教会)ではマグダラのマリアを「罪深い女」と同一視してこなかった。これまで多くの解釈が生まれ、真実などはっきりしないまま今に至る。従って「罪深い女」と「マグダラのマリア」を関連付けたことによる伝承は西欧・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである。

カトリック教会での伝承の概略
四福音書にはマグダラのマリアと特定されていない女性が何人か登場する。その中の罪深い女などがマグダラのマリアと同一視され、イエスの足に涙を落し、自らの髪で拭い、香油を塗ったとされる。それゆえ図像ではアラバスターの香油壺を手にする姿が代表的。
 伝説中のマグダラのマリア、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』(Golden_Legend) などによれば、マグダラのマリアは金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。娼婦をも意味する「罪深い女」(the Sinner)との異名を与えられた、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」(The Penitent Mary Magdalene)を主題とする絵画、彫刻が多く制作される。このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。

 私なりに、マグダラのマリアについて調べてみましたが、とりあえず、重要な女性のようです。女性であってもキリストの弟子で良いわけですし、12人の男性使徒と一人の女性使徒が最後の晩餐に居たとしても、それは私にとっては問題のないことに思えるのですが、やはり当時、レオナルド・ダ・ヴィンチの時代はこれを表現することはご法度だったのかもしれません。ローマンカトリックでは彼女は娼婦であり、女性が12人の男性使徒よりも大切に扱われるのは由々しき問題だったのかもしれません。レオナルド・ダ・ヴィンチは当時のカトリック的な宗教観と違った宗教観を持っていた気がするのです。
少しまとめてみましょう





 
 

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