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ゴッホの青い手紙 42

 テオよ、元気か。パリの二年間を思い出す。プロヴァンス通りのドラルベイレットの店を覚えているか?モンティセリに熱中するきっかけになった店だ。懐かしい。原色による大胆な色彩素晴らしい。厚塗りの荒々しい筆触も凄い。チューブ絵の具が出来たからこその表現といっても良いのかもしれない。古典ではなかなかできない表現だね。
 レンブラントの「ユダヤの花嫁」も素晴らしかったが、モンティセリはそれ以上だ。僕が押しかけた後広いアパートに越したね。隣の部屋のポルティエの紹介で、ピサロの息子、リシュアンと知り合いになれた。ピサロとも知り合いになれた。ピサロは本当に優しい人だ。僕に暖かい助言をしてくれた。いくら感謝しても足りない。
 コルモンの画塾では何も得られなかった。なんでどこもかしこもへんてこなデッサンばかり教えるのだろう。デッサンは確かに重要なのかもしれないが、あんな恐る恐る木炭で描いたって何の意味もない。若い才能を逆に潰してしまうのではないかとすら思うよ。ロートレックも良くもあんな画塾に通ったものだ。ロートレックも凄く良いやつだが、なかなか確信に到達するまで遠回しに議論するから僕はなかなかついていけないというか、イライラする。いかにもパリって感じだね。
 タンギーは聖人ではないだろうか?彼ほどの美術に対する眼力のある画商を僕は知らない。というか、なぜ僕はパリに出てくるまで印象派に何の関心も持たなかったのだろう。今考えると実に不思議だ。シャニックにも出会えた。彼は点描で描くことに夢中だった。僕も点描風の作品を何枚か描いた。彼とは一緒に良く写生に出かけたよ。
 さっきも書いたがモンティセリの厚塗りだがこれと正反対に日本の浮世絵は実に素晴らしい。あれは版画だからな。完璧な平面だ。ある意味古典も平面なのだが浮世絵の平面は意味が違う。古典の平面は、絵の具の無駄遣いが出来ないからなんだよ。浮世絵はあの限られた色彩の中であの表現は今まで見たこともない。一体日本人の感性は何処から生まれたものなのだろう。
 中国の絵画とも違う。不思議だ。あまりにも感動して「タンブラン」で日本の浮世絵の展覧会まで開いてしまった。タンブランの女主人は元気だろうか?よく食事をしたよ。誰かよからぬ噂をしていた。僕が食事代を払わず、ほかのもので支払っているとかいう内容だ。
 僕はそれほど女性を喜ばせる男に見えるかい?ヌードのモデルにはなってもらったよ。ただそれだけさ。絵は一枚も売れなかったがグラン・ブイヨンの展覧会も開けたし、今考えるといい思い出だ。ゴーギャンとも出会えた。最近どうも過去の思い出が懐かしい。少し気持ちが弱っているのだろうか?心配しないでおくれ。大丈夫だから。気弱な僕は嫌だから焼却しておくれ。握手。


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