見出し画像

絵画の楽しみ方教えます。 その3-30

・最後の晩餐にはキリストと12人の男性使徒とマグダラのマリアがいた。計14人
・ペトロには親近感を持ってはいたが、彼の頑固さ反面弱さが後のカトリックに支配層の思惑が入り込む余地を作ってしまったのではと思っているような考えを持っていたのではないか
・ユダに対しては一番キリストの気持ちを理解していた弟子の様に思っていたのではないか。

 考察は歴史的な知識のない私がもっとも不得意な分野です。
本意はレオナルド・ダ・ヴィンチしかわからないでしょう。彼はキリスト教徒なのだろうか?無神論?間違ってもカトリックではないような気さえします。
 彼女がマグダラのマリアだとしてもキリストとの関係はどうだったのか?結婚していたとか子供がいたとかいう都市伝説的なことは私には興味がありません。繰り返すようでもうしわけないですが、では、なぜレオナルド・ダ・ヴィンチはこの様なことをしたのでしょう。
 落ち着いてもう一度考えてみる必要がありそうです。
最後の晩餐を、そもそもレオナルド・ダ・ヴィンチはどのような構想で描き始めたのでしょうか。
ここに1枚のスケッチがあります。

画像1

多分、最後の晩餐の構想段階のスケッチだと思います。(レオナルド・ダ・ヴィンチのことですからカモフラージュの為後で描いた可能性もありますが)このスケッチから、初めはレオナルド・ダ・ヴィンチ以前の画家が描いたようにユダを手前に一人座らせて描くつもりだったようです。

画像2

次に示す絵はギルダンダイオの最後の晩餐です。

画像4

ユダが手前に描かれています。レオナルド・ダ・ヴィンチがこの絵を観たかどうかは知りませんが、当時の最後の晩餐の定番の描き方だったようです。この絵の場合たぶん女性的な顔立ちのヨハネは、キリストから向かって右に描かれています。レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチもキリストの横で泣き崩れているような人物は一見ヨハネのように見えます。

画像3

  ここで注目すべきはこの泣き崩れる人物はヨハネには見えません。気の短い雷の子が泣くでしょうか?右の人物に叩かれているように見えるのは私だけでしょうか。男性使徒がマグダラのマリアを蔑視し怒り感情の赴くままに叩いてしまった情景の絵に見えてしまいます。

画像5

  それに左端の人物を1名と数えると14人になります。(これは右下の人物と繋がるとする意見も当然あるでしょう。もしそうだとすれば13人になります。)とにかくレオナルド・ダ・ヴィンチの頭の中には、この様な舞台が構想段階ではあったはずです。最終的にはユダ含む全員を横1列に配置し、ヨハネ(マグダラのマリア)はあえてキリストの右側(向かって左)に配置したようです。ユダの後ろでヨハネが暴れている想定で、それをペトロが取り押さえ、その光景はユダの陰で見えなくする。一見ペトロがヨハネに耳打ちしているように見える。まさに驚くべき仕掛け演出と言うべきではないでしょうか。

続く・・




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?