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絵画の楽しみ方教えます。 その7-5

アンドレア・デル・サルト

アンドレア・デル・サルト 自画像Andredelsartoselfportrait

1486年フィレンツェ、7月16日午後6時。サンタマリアノヴェッラ少教区に生まれる。フィエーゾレに住んでいた一族出身。祖父のフランチェスコの時にフィレンツェのサンタマリアノヴェッラ地区に移住し織物業を営み、父アニョロはそこで仕立屋をしていた。彼の作品中にしばしば登場するモノグラムはAV(ANDREA VANNUCCHI)ではなくAA(ANDREA d AGNOLO)と読まれるべきであり、実際 どの記録においてもこの画家は「画師アンドレア・ダニョロまたはアンドレイーノ・デル・サルト(仕立屋の少アンドレア)「アンドレア・ダニョロ・ディ・フランチェスコ(通称アンドレア・デル・サルト)仕立屋のアンドレアと呼ばれ他の呼び方は見られない。通説ではジャン・バリーレという無名の画家の弟子になった後ピエロ・デ・コジモの工房で学んだ。

なるほど。サルトと言う意味は分かりました。しかし、もし仮にモナ・リザの隠し文字がSartoならば何かレオナルド・ダ・ヴィンチと接点があったのでしょうか?レオナルド・ダ・ヴィンチが生まれたのが1452年と言う事なので34歳の差と言う事になります。もし仮に接点があったとして、わざわざモナ・リザにSartoなどと書き込むことなどあり得るのでしょうか?よほどのことがない限りあのレオナルド・ダ・ヴィンチが描き込むなど考えられません。せっかちで、そそっかしくておっちょこちょいが私の性格です。落ちつけ、落ち着け。私は半信半疑のまま徐々に深みにはまっていったのです。

続く・・


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