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絵画の楽しみ方教えます。 その3-27

・イスカリオテのユダについて

  ユダについて書きませんでした。なぜかと言えば、アンギアーリの戦いを最後の晩餐に合成した場合、跡形もなく消えてしまうのです。闘士が必至で引き抜く槍がユダの位置にくることは確かですが、消えてしまうのです。ユダはキリストを裏切る悪人というイメージがあり後の修復時、極悪人のイメージを強調するために、ヒゲや銀貨袋を握りしめる様に描き直された話もあります。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチはユダを悪人とは思っていなかったような気がしてなりません。当時のほかの画家の最後の晩餐はユダがひとりテーブルの反対側に座っているように描かれているものが多いのですが、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐では12使徒の位置に座っています。なおかつ、私の仮説が正しければヨハネが暴れているとした場合、この直後、左手を皿に浸す可能性がある。最も信頼される弟子が座るキリストから見て右側の席にいることにもなります。暴れたヨハネに押される形でこの場面でレオナルド・ダ・ヴィンチはもしかして、ユダを最も優れた弟子と想定していたのではないでしょうか。最も信頼できる弟子だからこそ、後世の汚名を一身にかぶる役を託したと考えているように思えてなりません。本意は不明です。

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 読者よ。いかがだったでしょうか。私はレオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザで素直にありのままにものを見ることを学びました。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチ本人の絵で謎が解けることを知りました。(受胎告知、岩窟の聖母、救世主、など別の機会に発表していきたいのでここでは細かく記述はしない。)ただ、それだけを頼りにここまで書いてきたわけです。最後の晩餐の謎を解くにはアンギアーリの戦いが鍵となっていました。それもペトロの右手がおかしいと素直に思ったのがきっかけです。それを証明する絵、それがアンギアーリの戦いであっただけのことです。そして奇妙なことにこの2枚の絵は位置決めがしっかり指示されています。3か所の位置あわせ指示は単純に偶然とは言えないでしょう。今、私が仮に最後の晩餐の壁画を現地に赴き見たとしましょう。たぶん圧倒されて、今回の様な解析は無理でしょう。パソコンのディスプレーで観てさらに画像処理できるからこそできたのかもしれません。これを逆に考えるとレオナルド・ダ・ヴィンチは見破られる心配はそんなには感じていなかったのかもしれません。しかし念には念を入れアンギアーリの戦いの模写を自分の作品でない様に裏工作した可能性もあります。もしかしたら原画なのかもしれませんし、壁画の方がおまけだった可能性すら感じます。ある意味、まんまと500年騙された気がします。

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