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ゴッホの青い手紙 46

  元気かいテオ。私はあるものを手に入れた。心配するな。危険なものではない。死ぬためではない。自ら命を絶つわけにはいかない。ただの古着だ。
キリストも十字架で死ぬところに意味がある。人の罪を背負って死ぬのなら、さっさと罪を背負って崖から飛び降りて死ねば良いからだ。十字架にはりつけられて死ぬからこそ意味があるのだ。

  私の本性は真似衝動にあるらしい。くどいようだがミレーは模写じゃないよ。あれは添削だからな。白い手紙はストーリーだ。君にも付き合わせてしまったが、僕の青い手紙を信じてくれてありがとう。間違いがなければ、大天使が現れ引導を渡してくれるはずだ。引導は仏教だったか。きっと三角柱のガラスの少女だ。いや今度は少年になって現れるかもしれない。私はその時を待つだけで良い。その時のお膳立てだ。牧師を目指して分かった。キリストが三日後に復活するのを信じるか信じないかだけの話だけなのだ。少し考えればわかることを見て見ぬふりをしている。私は信じる。だが私は生き返らないと思う。しかし、私の絵には生命が吹きかけられ生き返ると同意語になるはずだ。ちょっとキザだったかな?悲しみなど微塵もない。

 「ウェル・ウェル・ウェル」その日こそ勝利の日だ。幕は唐突に引かれ、そして永遠になる。私は確信する。名作ほど最後はあっさりしているものだ。これが小説ならばもっとそれなりに盛り上げねばならないが、そうはいかないようだ。それは案外近いのかもしれない。私が耳を削ごうが鼻を削ごうが大した問題ではない。気にするな。あれはゴーギャンに対する贐だ。東洋では客人の帰りに馬の鼻を帰りの方角に向けてやるらしい。それと同じだよ。ガシェは実に良い医者だ。良い人だが私を見破り始めた。人間も素晴らしい。ただ芸術を甘く見ている。その方が医者としては良いのかもしれないがね。
  うかつにも、ギヨーマンの裸婦の絵が額に入っていないと言ってガッシュを二度も怒鳴りつけてしまって、僕の仮病もバレそうになってしまった。
それは冗談だが、そろそろ、その時の様な気がする。心配するな。私は死ぬが、死にはしない。たぶん最後の青い手紙になりそうだ。そんな予感がする。キリストにもユダの様に阿吽の呼吸で分かり合える弟子が居たのだからな。そのように動くときは動くものさ。待てば良いだけだ。お互いが死ぬときも一緒にいられたらいいのにと思うが、兄弟で一緒に死ぬわけにはいかないようだ。もし僕が死んだらポケットに白でもない青でもない手紙を入れておく。

追伸
  最近、僕は麦畑で夢中になって絵を描いていると、パンをカラスに持っていかれてしまう。それでボロボロになった衣服を十字に組んだ棒に引っ掛けて案山子を作った。効果があるかどうかは分からない。小便に行くくらいの時間なら効果があるかもしれない。この間そのままにしておいたら、その服に丸い穴が開いていた。誰か拳銃で撃ったのだろうか?不思議な穴が開いていた。多分近所の悪ガキの仕業だろう。さようなら。


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