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【若松まちなかコンシェルジュ】

会津若松の2大観光スポットと言えば、満場一致で「若松城(鶴ヶ城)」と「飯盛山」が挙がるところ。
飯盛山は神聖な霊地という声もあるでしょうが、実質的に観光地化しています。

では、「会津若松観光・第三のスポット」としてはどこかと言えば、そこもまた答えに窮するところ。
もちろん歴史マニアや寺社仏閣マニアの方には即答できる場所もあるかもしれませんが、もっとポピュラーに考えます。

観光客はガイドブックを見て「七日町通り」と答えます。
「七日町通り」と限定してしまえば、「福西本店も嘉永蔵もいいのにな」「竹藤もいいのにな」と地元人は古商家を挙げたらキリがない。

そう、キリがない古商家が数多く点在している【まちなか】こそが会津若松の第三のスポットとして強調したいんです。
そこは最早、「七日町通り」だとか「野口英世青春通り」「大町通り」だとかの線引きはまったく関係ありません。

今は哀しくも、ロシアによるウクライナ侵攻でキエフの市街地への破壊が続いていますが、戊辰戦争でもここ会津若松や京都、長岡など、市街戦が繰り広げられた街は数多くあります。
現代の兵器との違いはあれど、街が焼け野原になる事に違いはありません。
ただ、長岡は再び、第二次世界大戦でも空襲を受け、2度の焼け野原を経験しました。会津はその戦火には遭わずに済み、江戸末期幕末、明治や大正の遺産を現代へ伝えています。しかも「現役」として。

降伏し、そして會津藩士は北の果て・斗南に移封され、武士の姿なき会津若松を復興へ導いたのは會津の文化、伝統、産業を支えた職人さん達と、商魂たくましき商家の方々です。
目には目を。歯には歯を。やられたらやり返す…の報復の連鎖からは外れ、武力とは違う方法で立ち上がる道を選んだ。
世界に示せる、平和モデルでもあります。

時空の隙間からこぼれ落ちたような建造物に、飾り言葉のような浪漫ばかりでなく、先人達の再生へのストーリーを感じてもらいたいと思います。

若松まちなかコンシェルジュ。どうぞ頼って下さい。
頼られて、もしわからない事きかれたらもっと頼れる人を紹介します(笑)

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