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ベートーヴェンイヤー 2020

 今年は楽聖ベートーヴェン生誕250周年。本来なら多くのベートーヴェンのコンサートが催されていただろう。コロナで自粛が続き、生のオーケストラを聴きたいと熱烈に思う今日この頃。楽器からでる周波数は、人間の耳には聞き取れないけれど何らかしらの良い影響を与えている。オンラインのライブも選択肢が増えたという意味では良いが、クラシック、特にオーケストラはやはり生で聴きたい。

 高校生の頃、ロマン・ロランの「ベートーヴェンの生涯」またベートーヴェンのことを書いた「魅せられたる魂」により、彼の作曲家として、また一人の男として生きていく苦悩に感銘を受けた。

 
 読書感想文を書いて受賞し毎日新聞社「考える読書」に掲載されると、音楽の先生から、ベートーヴェンのピアノ協奏曲は何曲ある?と質問されて答えられなかった。数十年前、福岡の田舎で過ごしていた高校生の私には数千円のレコードを揃えていくことはできなかった。自由にレコードを聞ける図書館も近くになかった。


 唯一手元にあったのは、オイストラフとオボーリンの「春」「クロイツエルソナタ」が入っている名盤と、三大ピアノソナタ「月光」「悲壮」「熱情」が入っているアシュケナージ盤。

今はYOUTUBEや定額制アプリで安価で手軽に音楽が聞けるいい時代。


 ただレコードやCDの良さは音楽のことについて音楽評論家の書く解説文が読めることだと思う。レコードやCDについているあのライナーノーツが音楽を聴きながらの楽しみであったし、音楽を深く知るきっかけだった。そしてクラシック音楽の説明は文章も文学的で素敵なものが多かったようにおもう。


 「ベートーヴェンの生涯」の本の中でとても心に残ったベートーヴェンの言葉。

悩みを突き抜け歓喜に至れ!

「ベートーヴェンの生涯」より


 作家でありミュージシャンでもある辻仁成さんもこの言葉が好きだと書かれてあり記憶に残っている。


 

 音楽家としてとても大切な聴覚を失った悲劇の作曲家。聴覚を失った後に書かれた交響曲第9番。荘厳で繊細なメロディとスケールの大きな合唱部分。彼の苦悩が、えぐられるような悲しみが、やがて天空に駆け上り歓喜を叫ぶ音楽として昇華される。この9番はいろんな指揮者が演奏しているが、ゆっくりと演奏するされるものより、私は早い方のフルトヴェングラー版が情熱的で好きだ。最後は彼の指揮棒が早すぎてオーケストラがついていけなくなるとのことで、まるでベートーヴェンの魂が乗り移ったかのようなドラマチックなクライマックスを迎える。


 ベートーヴェンの生家は貧乏で、酒飲みの父親のために家族が苦労し、彼は辛い修行を経てピアノの超絶技巧で人気を得、貴族のピアノ教師として身を立てながら、素晴らしい楽曲を作った。身分違いの恋のために苦しみ、美しくも切ない旋律を紡いでいく。

 彼の時代は古典からロマン派へ移り変わる時で、ベートーヴェン特有のオクターブずつ音が飛ぶメロディや情熱的な追い立てられるような曲想にロックを感じずにはいられない。当時のベートーヴェンはロックスターのようであったかもしれないと、勝手ながら想像が膨らむ。演奏されたサロンでは失神する貴族女性が続出したとか。

 ベートーヴェンは体が弱く生活苦もあり、次第に聴覚が蝕まれていく。音が聞こえない中でも、ピアノを弾いてオーケストラに合わせるという至難の技を行う。 苦難の連続のなかで、彼はのちに有名になった「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き、命を断とうともするが、最終的に光を見て、歓喜の曲を書きあげ、交響曲第10番を書き上げる途中で絶命する。

 甥っ子を溺愛していたベートーヴェン、甥っ子は実はベートーヴェンの実子(隠し子)とする映画「不滅の恋」をご覧になったことはありますか?


 弟の嫁と不義密通をしていたという仮定の物語で、その悲恋がどうして成就しなかったかという謎ときがなされていく。ベートーヴェンの死後、彼の遺産である楽譜や手紙が義妹に届き、「不滅の恋人へ」という彼の手紙を読み真実を知った義妹が慟哭するシーンは心打つが、どのような映画技巧になっているかは見てのお楽しみ。

(不滅の恋人は、パトロンの妻という説が現在有力なようです)

 ベートーヴェンの生まれたボンを旅し、ハイリゲンシュタットの遺書が書かれた場所に行った時は、葡萄畑に迷い込んで夜になり、帰路につけるか不安で怖くて仕方なかったのを思い出す。しかしやっと大通りに出られて街の灯りを見たときはホッとした。新酒の季節で、作り酒屋(ホイリゲ)には 松の木をまあるく刈り込んで作った巨大なボンボンみたいな飾りが、門に吊り下げられていた。お店に入り、ぶどう酒とザワークラウトとソーセージに舌鼓を打って、先ほどまでの闇夜の迷子から、安全な場所で安堵し、幸せな気分だったのを思い出す。

 ほっとした頃に人生の苦難はやってくるし、乗り越えたところに幸せを感じることもある。人生の禍福はあざなえる縄のごとし。十代の憂い多い時代には良くこの言葉を反芻していた。

 悩みを突き抜け歓喜に至れ! 









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