ぐうの音も出ない正論は誰が言ってもドキッとする

ぐうの音も出ない正論ってたしかにある。
ホントに、君の言う通りだよ、まったく反論の余地がない、ってやつ。
そういう正論をもらえるっていうのは、非常にありがたいことでもあるんだけど。

そう、そうなんだけどさ、ぐうの音も出ない正論って、誰が言ってもドキッとするのよ。家族や恋人のようなどれだけ親しい人でも、ぐうの音も出ない正論を言われると、なんかこう、緊張が走る。はっとして、我に返るというか。

「当たり前のことをとびきりうまくやる」のが成功する秘訣なんだって、ロックフェラーが言っていた。で、ぐうの音も出ない正論ってさ、ロックフェラーの言う「当たり前のこと」を指していることが多い気がするのよ。この世界を支配している当たり前の事実とかさ。当たり前のことを言われても、はあ、そうですか、以外の感想がないじゃないか。なんだけども、どうしてこうもドキッとするのか。

たぶん、そこに分水嶺があるからなんだろう。意外と「当たり前のこと」を忘れている人って多い気がする。「当たり前のこと」を面倒くさがってやらずにいる人って多い気がする。ダメになってしまったプロジェクト、雰囲気の悪い部署って、「当たり前のこと」をやっていないことが多い。そういう「当たり前のこと」を忘れてしまった人々は、僕によく愚痴をこぼしていたものだ。会社がどうだ、アイツがどうだ、権力争いがどうだってさ。でも、今の状況が良くなくなってしまったのは、そもそも「当たり前のこと」をあなたがたが忘れてしまい、「当たり前のこと」を遂行しないことで、負債が知らず知らずのうちにたまっていったためである・・・。
「当たり前のこと」を当たり前として遂行できる人と、そうでない人。両者を分かつこの分水嶺は、深い。

きちんとこの世界の真実(ゲームのルール)に気づき、それに則り行動すること。それがシステムの中で主体性を発揮する唯一の方法である。すべての人間は、この構造化された世界に含まれており、時間制限つきで意思決定を求められている。時間が過ぎたら最後、もうその機会は帰ってこない。この恐るべき不可逆性の中で生きるというのは非常に難儀なことだ。でも、ボケーっと生活しているうちにそんなことを忘れてしまう。ぐうの音も出ない正論は、忘れかけていたこの世界の真実を思い出させてくれる。だからドキッとするのだろう。真実は誰の口から述べられても真実である。そして、その真実が冷やかさをもつとしたら、真実は誰が言っても冷やかなのである。

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