「毒親」って言葉について思うこと

最近、「毒親」ってよく耳にしますが、それについて僕が思うことを書きます。

毒親とは

wikipediaには「子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念」という説明があります。つまり、子供に対してネガティブな影響を与える存在であり、やっかいなのは、成長して大人になった後でも、性格などに少なからずその影響が残っているってことでしょうね。ちなみに母親が該当することが多いようです。

毒親に対して僕の考え

結論から言いますと、僕はあまりよい響きじゃないなって思っています。いや、はっきり言うと「毒親」って言葉は好きじゃないです。自分が今あるのは親のおかげ、多少、ネガティブな影響を受けたとしても、育ててくれた親のことを「毒」なんて呼ぶべきじゃないと思っています。

ちなみに、TVニュースなどでよく流れる虐待のニュース、本当に心が痛む悲しいニュースですが、ここに出てくる虐待する親は、毒親と言われて然るべきだと思っています。ただ、こういう親は、「毒」どころではない気もしますが・・・。

僕の母親は・・・

僕の母親も厳しい人でした。褒められたことはほとんどないですし、厳しく育てられたなあと思っています。おそらく世間でいうところの毒親に近いものがあったような気がします。

でも、母親のこと絶対に嫌いじゃないですね。「毒親」などと呼ぶ気も全くありません。今はまだ元気で暮らしていますが、もし、何かあったらしばらく立ち直れないような気がします。

自分が親になって気づいたこと

僕も今や2児の父親です。親になって気づいたのは、親は自分の子供に対して必死だってことです。今から思えば、僕自身も毒親だったと思います。ちょっとしたことで怒りすぎたり、機嫌が悪い時もあったかと思います。ただ、それでも、我が子が大切なのはまったく変わらない気持ちです。

だからと言って、自分がやったことは正当化するつもりもなく、ただ言えるのは、親になり、子供を育てるってことは、決して簡単なことではないなってことです。もちろん、子供の気持ちを汲み取り、子育てをうまくできる人もいるのも事実なんですけどね。

僕も親も必死だった

今、僕が言えるのは、親も試行錯誤してる、必死なんだってことですかね。決して、子供を困らせるつもりもなく、ただ心配だったり、これからの世の中を生き抜いてほしいという思いから、つい、うまくできないこともあるんです。もし、もう一度、親を最初からできるなら、もうちょっとうまくできるかなって気がしますけど。

だから、僕も自分の親の気持ちが痛いほどわかりました。必死だったんだろうなと。当時から嫌いじゃなくて、むしろ好きだったのは、そういう裏にある気持ちを子供ながらに感じ取っていたからかなって思います。

まとめ

繰り返しになりますが、ネガティブな影響を受けているとしても、自分の親のことを「毒親」なんて呼ぶのはよくないなって思っています。完璧な人間なんてそもそもいないのですから、僕は必死に子育てしてくれた親に感謝したいなって思います。




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