本物を知る、ということ。それは限りなく世界が広がるということ。そして本物のオーラは力強い。&猫と本物のねこじゃらしで遊んだ話。
スタイリストいう職業柄、こういう話をすると、やっぱブランドですかね?本物はお高いですよね、という風に 本物=高級 というだけのイメージに捉えられてしまうところがある。
でも、そんな単純なものじゃないし、本物はもっと身近にもあって、金銭的な豊かさ以上に得られる、心のゆとりを感じられるものだったりする。
きょうはそんな話を。
1年ほど前から、ブリーダーさんのところで売れ残ったちょっぴりわけありのにゃんこ♪を飼っている。我が家で14年間過ごした前猫プリンがなくなってから心にぽっかり穴が。数年間猫なし生活を続けたが「やっぱ猫と暮らしたい」がコロナで爆発。
名前はルーク。彼は一言でいうと、頭がとてもいい子だ。(親ばか)ほんものの、ねこじゃらしと遊ぶ姿は いつもより俊敏。 ↓
まだ2歳だから、動くもの、なんにでも興味がある。じーっと観察するし、ワルサもする。
今日はその眼差しが普段よりかなり鋭く、楽しそうだ。
「ほんものがわかるのね、、君は」
うちにはおもちゃの猫じゃらしや、ねずみくん、あらゆる遊び道具もあるわけだけど、彼の胸のうちは、きっとこう。
「まぁ、でもそれ、ほんものじゃないよね。少しは遊んでやってもいいけどさぁ」
てなかんじの、何気に冷めた感。
しかし彼には本物が分かるのだ。いやまぁきっと他の猫ちゃんだって。
元々スポーツが好きなのに、仕事にかまけて長年運動など忘れて生きる生活をしてきた私。まぁ忙しいんだし、自然に運動になってるでしょ、という言い訳。これもまぁコロナで何気に危機感を覚え、突如 縄跳びなるものをはじめた私。笑 朝6時半から30分、ひたすらひょんぴょん跳んでるんだが、跳びながら目に入るのは、どんなときも直向に力強く生い茂る雑草だったりするのだ。そして私は、目に付いたねこじゃらしを抜き取って、ルークへのお土産にした。
そう、自然はほんものだ。
本物って、様々な表現があると思うけど一つは絶対 力強いものなんだと思う。その力強さは、同時に儚かったり、また永遠だったり。
ものやひと、様々なほんものが存在すると思うが、結局のところ、どんなに繊細であっても 力強いはず、というのが私の「ほんもの」に感じるオーラだ。
ほんものの猫じゃらしには力強さがあった。まず、おもちゃのねこじゃらしと圧倒的に違うのが、茎部分のしなやかさ、しなり感。ちょっとやそっとじゃ折れもしないだけじゃなく、繊細に動き猫の動作に負けないバネがある。
これ結構な驚き。
いつもの動作では、簡単に捕まえられない、このほんものにルークは大コーフン。きっとほのかに香る自然なにおいも好きなんだ。彼の野生の本能が刺激されたのか、ハンターのような動きや目つきに惚れ惚れなのだった。(猫馬鹿おゆるしを)
ひとしきり遊んだあとの様子も満足げだ。ありがとうって感じ。笑
だから私自身、遊んであげてる感覚ではなく、不思議とイマジネーションが広がったのだった。
イマジネーションが広がる、世界が広がるということ。
ねこじゃらしは、抜いたとき思っていた以上に根っこがはっていて、ルークと遊んだあとはコップの水に生けてみたりもした。そんなことをやっていたら自分は園芸が大好きで、実家の庭に自分が好きなように花を植えて育てていたこと、咲き誇ったバラや菖蒲を、学校に持っていくのが大好きだったこと、季節ごとに香る花々や遊びにくる蝶々やカタツムリを研究したり、時には蜂と格闘したり、そんな幼少期を思い出した。
私の頭の中は、猫じゃらし一本で、宇宙が広がった。本物の力強さは私の心の中を豊かにあたたかくしてくれたのだった。
そんな朝の時間をすごしながら、今、二十歳の頃からの大切な親友が送ってくれた千葉のコーヒーをじっくり入れて、教え子君が毎年贈ってくれる好物のチーズケーキに舌皷。
あぁなんて、いい香りなんだろう。
本物といえば、このコーヒーもチーズケーキもそうだろう。
それは贈ってくれた人の心遣い、温かさ、思いも含めて質感というものが加わって「ほんもの」になるからだ。送り主へ思いを馳せるとき、上質な時間が流れるし、癒される香りのなかで仕事をすれば、正直仕事が捗るというもの。実際コーヒーを送ってくれた金子広美、ロミーは【今、本書いてるならコーヒー必要よね!】と。がんばってね、というエールが心地よく伝わってくる。
また、これはどんな人が作ったコーヒーなんだろう?と、頭の中は、永遠に宇宙が広がるのだ。
結果、よい仕事、よい発想、よい人生、に少しづつ近づいていく。その本物の力強いオーラを感じながら、自分の生き方に溶け込ませてゆくのだ。
ファッションも同じ。
そう、ファッションも同じ。本物とは、何故それを着るのか?を、自らが責任を持って選びきったものだ。だからコーヒーと同じように、誰が作ったのか、誰が売っているのか、というところにも辿りつく。愛着を持ち、大切にしたい、という それぞれの本物とは何か。
また自身の手で作る、ハンドメイドやリフォームなど、
その人にしかできないアイデアやセンスが加われば、唯一無二なものになる。相手を思い手作りするならそれは、着た時の心の温度差さえ変わる、心に焼きつくものとなる。大切にしたい、自分は大切にされている、そんなマインドがどれほど人を、ほんものに近づけるのか。
言ってしまえば「食」もそうだ。
手間隙 思いを込めて作った食事には家族を幸せにするオーラがある。たとえ一人暮らしであっても、季節の食材を加えて創意工夫。なんでもない食材や出来合いのものであっても、その人手間の積み重ねが、根をはっていくのだ。
そう、ねこじゃらしのようにね。
あぁこの話 きりがないわ。。
だって本物は、世界を広げていくものだからこそ。
ラストは、毎日、アーティストである夫シンセカイが撮る自然の写真を。ものすごい力強さ。同時に儚さもある。自然はいつも、ほんものを教えてくれる。今朝のシンセカイショットは きぬがさだけ。
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