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認知症の人の気持ちが少しわかった話

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

新年早々ですが、年末に起こったとてもびっくりした話を書こうと思います。ものすごく恥ずかしい話なのですが、今年のテーマは、「自分の手の内をすべて晒して誰かの役に立つ」ことなので、嫌われてしまうかもしれないけれど、すべて書きます。

周りに認知症の方がいて苦しんでいる方にはぜひ読んでほしいです。気分が悪くなった方はすぐに読むのをやめてくださいね。

半年くらい前から、仏様の前に座ると口が回らなくなってお経が読めなくなる症状が出てきていました。そして、人の体を借りているような感覚がして、立ち方が分からなくなったり思ってもいない言動をすることが増えていきました。

特に恐怖だったのは「誰か知らない人がやってきて、私を命の危機にさらす」という謎の考え。総本山とかお寺とか、自宅とか本来安心できるはずの場所にいるはずなのに、外で知らない人の声がすると怖くて仕方なくなって泣き叫んで逃げだしてしまうのです。

また、その誰か(実態はない漠然とした存在)がやってくると、怒りの感情がわいて暴れてモノを壊して(冷蔵庫にも穴があいた)、「お願いだから私を殺して」と叫ぶことが増えていきました。

はじめは月に一回程度だったものが、年末には週に3回に増えていきました。だんだんと正気の時間が減っていくことが本当に怖かったし、旦那はんが私が鼻をすするたびに泣いているんじゃないかと心配したり、大きな音がするとビクっとするようになったりして、心に大きな傷をつけてしまいました。

どこにいてもしっくりこなくて、どうにか正気を保とうとするけれど意識を失って倒れたり、お数珠だけ持ってお寺から脱走したり。

心療内科に行ったけれど、普通はこういう時記憶がないはずなのにすべて覚えていて話せるし、死にたいと口走るけど死ぬ気はさらさらありませんと言っているし、荒れる時の時間が短すぎるため、病名がつけられないとのことでした。

このままだと暴れまくっていつか大きなけがをしたり、家じゅうのものが壊れてしまう。年明けにはもう一度神経内科に行ってみようと思っていました。

そうこうしていたら、外出中に外で意識を失って近くの病院に救急搬送されました。ここ数か月の恐ろしい私の行動を話し、全身の検査をしてもらいました。

そうすると、卵巣に腫瘍(悪性かどうかはまだわかりません)があることが分かって、その抗体が脳にできることによる脳炎の可能性があるとのことで検査を進めています。気が付いてくださった救急の先生には感謝しかありません。

今のところ、頓服の安定剤で凌いでいるのですが、それでもずいぶん正気を取り戻しています。

正気を取り戻して、お寺の先輩方やコーチ仲間に話を聞いてもらって分かったこと。

私の症状は、認知症の方の症状に似ているということ。知らない人がやってきて命の危険や居場所のなさを感じるのは「物盗られ妄想」の一種。家やお寺から脱走を図るのは徘徊の一種。

認知症ケアの教科書には、不安感が原因などと書かれていました。自分が経験して分かったことは、正気じゃない自分に私の体を乗っ取られることに対する恐怖が根底にあって、外から来た誰かに恐怖を覚えたり本来の自分を探すため脱走したりしていたのだと思いました。

頭ではちゃんと自宅が自分の居場所だとわかっているし、私を受け入れてくれる人たちがたくさんいることもわかっているのだけど、正気でない時は私には居場所なんてないと泣き叫びました。私を大事にしてくださる方々には本当に失礼なことをしました。

本当はちゃんと居場所があること、理解しています。

認知症のご家族をケアする方。きっと私のように暴言を吐いてしまう方に傷ついておられることでしょう。

許してあげてほしいなんて申し上げるつもりはないですが、きっとその暴言は正気でなくなっている自分に対するいら立ちです。どうかその言葉を真に受け、自分を責めることをしないでほしいです。

認知症の方は日々こんな恐怖や不安と戦っているのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。

今私は安定剤で容態が落ち着いていて、ある程度冷静な思考ができます。卵巣の方も自覚症状がなく普通の生活を送っています。

どんなに恥ずかしいことでもすべて包み隠さずお話ししますから、もし私で役に立てることがあればお声かけくださいませ。


それでは皆様、今年もよい一年をお過ごしくださいませ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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