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安全な場所を探し求めて三千里

こんにちは!今日はとっても嬉しい一日でした。

私と接したことがある人は知っていると思いますが、私は人に気を使いすぎるふしがあります。気配りができるというポジティブなものではなくて、相手を気疲れさせてしまうレベルのやばいやつです。

自分でももっとリラックスして話した方が仲良くなれるし、お互いに気持ちのよい時間を過ごせることは頭では理解しているのだけど、なかなかです。

今日は旦那はんが休みだったので、2人でおしゃべりをしていました。

私は基本的には聞かれるまで自分のことを話さない癖があるので、10年以上の付き合いだというのに旦那はんは私の大学の専攻を今日はじめて知ったそうです。(大学では化学専攻、白衣を着て化学合成の実験をしていたなごりでyoutubeは白衣です、その後二年間救急医療の研究室に行きました。みんな知らなかったでしょ。真面目に勉強していた時代もあったのですよ)

この時点でもう私のコミュニケーション能力のやばさが露呈しています。

そんな流れで家族の話になりました。私が実家にいたころは、父方の祖父母、両親、私、妹の6人家族。

お姑さんと同居することになった体の丈夫でない母はずいぶんと精神的に苦労をしたようです。元気いっぱい社交的な祖母から「寝てばかりの嫁だ」と言われ、父もそんなにかばってくれなくて、いつもストレスを抱えていた母。私とお出かけをしたときによく祖母や父のことを少しだけ悪く言っていました。

母の気持ちはとってもよく分かるから話を聞いていたけれど、祖母はとっても楽しくておしゃれな人だし父も私の尊敬するすごい人なので、話を聞くたびに私は胸がチクチクした。

家の中がピリピリしてくると、私は居心地が悪くなってふざけたことを言って笑った。そうするとみんなが喜んでくれた。

特別裕福ではないけれどお金で苦労したこともない、父も母も優しいし立派な人たちで、外から見たらとてもいい家族だったと思う。周りからは感謝しなさいと言われた。だけど私はいつもしんどくて、大学生になると遊んだりバイトばかりして家に寄り付かなくなった。

ずっと心から安心できる場所を探していた。だから職場でもコーチングでも安心してなんでも話せる場所を作ることにこだわった。

私と妹が独立した今、母と祖父母はバラバラの部屋で食事をとり、冷たい空気が流れている。私は実家に帰るのが怖い。帰るたびに大石寺に数日こもって気持ちを整えた。

そんな話を今日旦那はんにしていた。

旦那はんはこう言ってくれた。

「じゅんこさんは小さい時から過酷な場所で育ったんだなあ。そうやって小さい小さい傷が心にできてそれで周りのピリピリした空気に敏感なのかもね。よく頑張ってきたね。だけどあなたも幸せになる権利があるよ」

言葉にならないくらいうれしかった。あやうく惚れてまうところだった。

なんだかんだ言って、私はみんなが好きだ。病室でこっそり肉を食べるおじいちゃんと近所の人に抱きつきまくるちょっとファンキーなおばあちゃんも、好奇心旺盛で立派なお父さんもいつも頑張るお母さんも、やるときはやる妹も。

要約→うちの家族みんな好き






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