毒親認定、完了

こんにちはー。
潤心です。

2018年もわずか。
歳が開けたら、しばらくすれば平成も幕を閉じます。

この度、
私は、
やっと、やっと、

自分の母親を

「毒 親」と認定できました。

つい先日、フェイスブックの方で、
「毒親」についての投稿を拝見しまして
この記事を書く決意しました。

昔も今も、自分の思うようにならない、
子供自分が考えるように動かない(生きないと)

とにかく、
キレまくる。

結婚して、18年たつが、
なかなか、母親を毒親と認定できなかった‥

母親とは、いやな思い出ばかりではなく、
病気の時には、幼い頃だけだが、看病もしてくれたし、
高校時代は弁当を作ってくれた

しかし、これぐらいなもので、
悲しいかな、母親とのよい記憶は、
これぐらいしかない。
あとは、けなされた言葉しか記憶にありません。


弟がいるのですが、私たちきょうだいは、決して出来の良い子ではありませんでした。

反対に母方のいとこたちは、
有名校に進学、
学年代表や地域代表など、地元の新聞に紹介されて優秀でした。

今もしっかり覚えていますが
「みんなは優秀でいいわ~、うちなんてねぇ」
と、よく吐いてましたわ。

昔から何でも母親が「勝手に」決めていた。

高校入試も志望校は、
話し合いも、問答無用で「勝手に」決められた。
当然、進路調査の記入も母親が「勝手に」書いていました。

(あ、
「勝手なことをするな!」が口癖のひとつだったな)

何でも「あんたの為」で片付けられていました。

こんな感じですから反発した弟は、
早くから、
母親を見限り、反抗するようなりました。

かなりな反抗具合に、
母親は、かなり驚き、
父も手に負えなかったのか、
母の支配欲は私にすべて向けられました。

母とのいきさつを話せば
めちゃくちゃ長くなりますが、

自分の親だから、
生んでくれた親だからと、
毒親なんじゃないかと思いながらも、
自分の中で「毒親」とできなかった。



(あ、
「お母さんがどんな思いをして、あんたを生んだと思ってるの!」
と罵声を浴びせられたことありました。
難産だったようでそんな思いをしてまで、
生んだのに‥。
まぁ、悔しいでしょうね。
ちなみに小学生低学年の時に言われました)

まぁ、認定したからといって、
絶縁までとは、まだまだいかないんですが、

かなりな距離を取っています。

2018年中、
平成が終わるまでに吹っ切れてよかった。



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