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無性に寂しくなった時は〇〇ができてないとき

ときどき、無性に寂しくなる時があります。

そんなとき、以前だったら、誰かに電話して話を聞いてもらっていました。

数回ならまだしも、何度も何度も電話していた時期もあります。

あの頃、何度も聞いてくれた友人に心から感謝します。

去年くらいに、別な友人に電話したときです。

いつもは優しい友人がちょっとキレ気味でした。

アーティストとしての活動も軌道に乗り出していた彼なので、時間も大切だったのでしょう。

堂々めぐりで答えのないわたしの話にちょっとイラっとしたようでした。

そして、そのとき、わたしは、彼の時間を奪っている、「時間泥棒」だったな、と気が付きました。

そして、知識としては理解していた、「事実」に向き合うことにしました。

その「事実」は、寂しいときは、本当の自分と離れてしまったとき

本当の自分の想いから、ちょっとズレたような思考をし出すと、寂しくなる。

自分と寄り添えていないから、その分の隙間が寂しさを感じさせる、という「事実。」

その、「キレられ」事件から、少し大人になろうと反省しました。

どんなにひとに依存してみたところで、わたしがわたしから逃げ続けたら、寂しさの隙間は埋まらないですからね。

ということで、じぶんと対話してみました。

「どの部分が、本当のわたしとズレていたかなあ。」

そして、その答えもわかっていました。

”あれをやろうとしてたけど、わたしは望んでいないよね”

”思考でやるべきだと考えてただけで、ハートはYesじゃないよね”

それに対して、

”そうだね、気づきをくれてありがとね”

”あなたの声をちゃんと聞くね”

”あなたを大切におもっているよ”

自分自身から逃げようとすると、寂しさが追いかけてくるんだけど、

自分自身から向き合ってみると、寂しさはちゃんと満たされていったみたい。

特に、自分を無視することに慣れちゃってると、最初は、自分と対話するって怖いし、めんどくさく感じます。

だけど、わたしがわたしを大切にする、声を聞いてあげる、を始めると、心はちゃんと満たされていくの。

気づいたら、

”あれ?寂しさなくなっちゃった”

”あ、満たされたんだ”

って気づいて、そのあとは、夫とジェニファー・ロペスの映画をお家で観て、より、幸せな1日になりました。




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