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「医療×エフェクチュエーション」を実践した私が感じた、心の変化

エフェクチュエーション理論を知ったとき「なかなか行動できない私にピッタリの理論だ、ぜひ実践しなくては」と思い、本を読んだり、インタビューをしたり、講義を受講したりして、本当に少しずつではあるのですが、何か行動が止まった時に「エフェ的に考えたらどうなるか」と考えることができるようになってきました。

そしてここ数ヶ月「エフェを知っていて本当によかった。」と心の底から思うできことがあったのです。

今回のnoteでは、私が「医療×エフェクチュエーション」を実践して感じた、心の変化や効果をお伝えしたいと思います。


母が肺がんステージ4と診断される

6月の初めに、母が肺がんステージ4と診断されました。病院に受診した時にはかなり進行していて、医師からは「最悪の場合はあと数ヶ月、長くても数年という状態です」と、告げられました。

母はまだ65歳なのに。どんな時も笑顔で私を応援してくれた母が、長くてもあと数年しか生きられないなんて。
それだけでなく、母を失ったあと、母と一緒に暮らしている障がいのある弟2人の生活をどうしたらよいのか。

大きな悲しみと不安が一気に押し寄せ、しばらくの間は気を抜けば涙が溢れてくるし、食事も喉を通らないような状況でした。人生で一番辛かった時期かもしれません。

どん底まで落ち込んだあとに、「そうだ、エフェ的に考えてみよう」と思いつき、日々の状況を拙いながらもエフェクチュエーションの理論に当てはめて考えてみることにしました。すると不思議なことに、今の状況を冷静に受け止め、前向きに考えることができるようになっていったのです。

ステージ4の肺がんの治療は「予測ができない」

母の病気を知って一番困ったのが「予測ができない」ことでした。

医師から母の診断名を告げられた時に、余命はどれくらいなのかと医師に質問しました。すると、「本当に申し訳ないのですが、『やってみないとわからない』としか言えないのです」という答えが返ってきたのです。

手術や放射線治療はできないから、化学療法を行うことになる。化学療法にもいろんな方法があり、その方法によって余命が変わってくる。どの化学療法が適用できるかは、さらに検査をしてみないとわからない。

検査をしてどの化学療法を実施するか決まったとしても、効果があるかは人によるし、効果がどれくらい続くかも人による。効果があったとしても、生命に関わるような副作用が出れば、すぐにストップしなくてはいけない。

治療するメリットよりも、副作用の方が大きいと判断した時にようやく「あと余命は数ヶ月です」と伝えることができると。

この言葉を聞いて、ものすごく困ったのです。母のことだけだったら、まだ受け入れられたかもしれませんが、私の頭の中は、「弟たちの生活はどうしたらいいのか」ということでいっぱいでした。

母なきあと、私は母に代わって弟たちと一緒に生活することができるだろうか。できない場合には施設を探すことになるけれど、施設はどこもいっぱいで二人一緒に入所できるところがない。もし施設を探すのであれば、空きがあればすぐに入らないといけない。

でも、母はきっと最後まで弟たちと過ごしたいと言うだろう。弟たちだって母と一緒に過ごしたいはず。とはいっても、弟たちには重度知的障害と自閉症があるから、自宅以外の環境になかなか馴染むことができない。母を失うショックに加えて大きな環境の変化があったときに、弟たちはパニックを起こさずに受け止めることができるのだろうか。

せめて母の余命さえ分かれば、そこから逆算して準備ができるのに、それもできないなんて、と。

これまで仕事で困難な状況はたくさんあったけれど、大抵締め切りが決まっていて、そこから逆算してスケジュールを作って対応してきた。もちろん不安はあったけれど、ゴールまでの道のりが見えているから乗り越えてこられたのに・・・。

先が見えない不確実な状況に押しつぶされそうになった時にふと「エフェクチュエーションは予測不可能な状況にこそ活用できる」ということを思い出したのです。

「手中の鳥」を考える

私は、「手中の鳥」を洗い出すことから始めました。

  • 私は5人きょうだい。母とふたりの弟のことを一緒に考えてくれる姉と弟がいる。しかも二人とも京都に住んでいる。

  • 結婚当初から母とふたりの弟のことを、ずっと一緒に支えるといってくれている夫がいる。

  • 肺がんの治療は医療費が高いけれど、公的医療保険に関する専門的な知識を持っている。

  • 介護保険も一通り勉強はしたし、書類を読めば理解はできるはず。

  • 弟たちが通所している就労支援施設の方に母の入院を知らせたら、弟たちの生活で困ったらいつでも相談してくださいとおっしゃっていた。

  • 治療を受ける病院は車で10分。PET-CTから緩和ケアまで揃っている。

  • 主治医は忙しい外来診察でも、懇切丁寧に説明をしてくれるし、どんなことでも相談してくださいといってくれる。

  • がん患者、がん患者家族の支援センターもある。

  • 医療×エフェを研究している方々を知っている。

  • 後悔なく母を看取るために必要なACPのプロフェッショナルを知っている。

こうやって手中の鳥を洗い出すことによって「私は一人じゃない」んだということに気づくことができました。この困難な状況を一人で考える必要はないし、周りに頼っていいんだと思うことができて、とても気持ちが楽になったのです。

さまざまな判断を「許容可能な損失の原則」で考える

ステージ4の肺がんですから、さまざまな症状が出てきます。

咳が止まらない、夜眠ることができない、食欲がない、体重がどんどん減っていく。母が辛そうにしている姿を見るのは本当に辛いです。

辛い症状はたくさんありますが、幸いにも主治医から辛い症状は我慢せず相談してくださいと言われているので、通院のたびに相談をしています。するとさまざまな手段を示してくださるのですが、私はそれに強いストレスを感じていました。

というのも、通院を始めてすぐに「咳が辛い」という母の訴えを主治医に相談したところ「咳止め」と「医療用麻薬」の選択肢を示されました。「麻薬」という言葉が怖くて「咳止め」を処方してもらったのです。

しかし、「咳止め」はあまり効果がなく、強く咳き込んだ母が嘔吐してしまい、今にも息が止まりそうな状態で苦しそうにする母の姿を見てショックを受け「咳止め」を選択した自分を強く責めました。そこから、診察時に医師から提示される選択肢を選ぶことがとても怖く、プレッシャーになってしまいました。

そんな時に、過去に受講した医療×エフェの事例発表会で「許容可能な損失の原則を当てはめて、手段を選択されていたこと」を思い出し、私もそれを真似て考えてみるようにしてみました。

「咳が辛い」という母の訴えに対して示された「咳止め」と「医療用麻薬」という選択肢に対して「咳止め」を選んだ場合には、「咳が止まらなくなって、嘔吐してしまう」「呼吸困難や窒息のリスクもある」これは許容できないから、選択できない。

「医療用麻薬」という選択肢を選んだ場合の損失は分からなかったので、医師に質問したところ「吐き気」「便秘」「眠気」とのことだった。しかも、それぞれ症状に応じて対処方法もあると。

私が想像していた「依存症になるのでは」「余命を縮めるのでは」というリスクは医師も心配はないと言われていて、ネットで調べても否定する情報が多く出てきた。であれば「医療用麻薬を選ぶリスクは許容できる」と判断し、医療用麻薬を処方してもらうことを、大きなストレスなく判断することができました。

医療用麻薬の効果は素晴らしく、肺がんステージ4にも関わらず咳がほとんど出なくなり、夜もぐっすり眠れるようになりました。心配していた「吐き気」「便秘」はほとんどないですし、「眠気」も薬を飲むタイミングでコントロールができています。

レモネードにできないか

母の治療方針が決定し、少し落ち着いてきた頃に「母が肺がんになったというとても大きなレモンを、レモネードにすることはできないか」と思えるようになりました。

そこで、私にエフェを教えてくださった谷口さんに「母が肺がんと診断されて辛かったけれど、医療×エフェを知っていて良かった」と伝えてみることにしました。母が肺がんになったという悪い知らせをお伝えすることは、谷口さんに気を使わせてしまうかもしれない。悲しませてしまうかもしれないという思いもありました。でも、エフェを実践されている谷口さんに伝えたら、レモネードにできるのではないかと思ったのです。

そうしたら、谷口さんが「ACPの現場で実践している方の勇気になる」といってくださいました。

谷口さんが所属されているエフェクチュエーション実践サロン「スナックレモネード」には、人生の最終段階にいる患者さんやそのご家族に最期まで希望を持って欲しいと、エフェクチュエーションを医療に適用させようと奮闘されている医療チームの方がいらっしゃる。私の経験が、その方達の励みになると谷口さんは言われたのです。

そのことで「私の経験は人を暗い気持ちにさせてしまうのではなく、誰かの力になることができるのだ」という考えに代わり、それであればnoteに書いてみよう、誰かの力になればすごく嬉しいし、思いがけないクレイジーキルトができるかもしれないと考えることができるようになりました。

私が感じた「医療×エフェクチュエーション」実践による心へのよい効果

母のように治る見込みのない病気になり治療を受ける時に、先のことや、過去のことを考えると、とても辛くなってしまいます。でも、エフェを実践することで、目の前のことに集中することができるから、毎日を前向きに過ごせるのではないかと思っています。

数年後にやってくるであろう、母を看取る瞬間。その瞬間のこと、その時の弟たちのことを想像すると悲しさと不安が止まらなくなるし、治ることのない病に対して無力感でいっぱいになります。

そして、咳が続いているのに、頑なに受診を拒んだ母をなぜ無理にでも病院に連れて行かなかったのか。そもそも、毎年健康診断を受けるように強く言えば良かったと、過去のことを考えると強い後悔の念が押し寄せてきます。

でもエフェを知っていると「今自分に何ができるか」を考えるようになるので、目の前のことに集中できるのです。目の前の母の「咳が止めたい」「夜ぐっすり眠りたい」「ご飯を美味しく食べたい」「みんなにご飯を作りたい」という希望であれば、行動できます。

母の病気は全体で見れば進行していますし、これから先も止まることはないでしょう。なので全体を見てしまうとどうしても悲観的になってしまいます。

でも、目の前のことに集中すれば「薬おかげで咳が止まった」「朝まで眠れるようになった」「ご飯を食べる量も少しずつ増えてきた」「ほぼ毎日食事の準備はできるようになった」とよくなっていることが実感できて、母とも「少しずつよくなってきているね」と笑い合い、幸せを感じながら過ごすことができているのだと思います。

「予測不可能」だからエフェクチュエーション理論が支えになる

ステージ4まで進行した肺がんの治療は予測ができません。緩やかに確実に進行する病気だから、未来のことを考えると不安と後悔で押しつぶされそうになります。

エフェを知っていたおかげで「予測不可能」であることを受け入れることができました。

そして、手中の鳥を考えることで「私は一人じゃない。こんなにも多くの人に支えてもらっている」と気づくことができます。また、何かを決めなくてはいけない時に許容可能な損失を考えることで、決断するストレスを軽減することができました。

そして母が肺がんになったという大きなレモンも、誰かの支えになるかもしれないというレモネードに変わる可能性があって、このnoteを書いたことがクレイジーキルトになるかもしれないことが、今の私の希望になっています。

さらに、エフェを知っても思うように実践できていない私が、母のおかげでエフェを実践できているのです。そうなってくると母は最後まで私を育ててくれているんだと母への感謝の気持ちが生まれ、残された時間を母のために時間を使えて幸せだなと思うことすらできるようになりました。

母の治療は始まったばかりで、これから先辛いことがどんどん増えていくと思います。落ち込むこともあると思いますが「エフェ的に考えたらどうなるだろう」と考えて、母と家族と支えてくれる方々と一緒に乗り越えていきたいと思っています。


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