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里帰りの記録 2023年6月(2)

父の愛車、青いトラクターでニンニク掘り。のはずが、「なんだかんだで手作業が一番手っ取り早い」という結論に至り、父がスコップで掘り起こし、母と私が土を落としてコンテナに詰め、ひと畝掘るのにどれだけ時間がかかっただろう。耕運機は休憩用のテーブルにぴったりだった。


実家の「中の間」と呼ばれる部屋には、ダイユーエイト(福島でホームセンターといえばダイユーエイト)で箱買いしたジュースやらお茶やらスポーツドリンクやらが、ごちゃごちゃと積まれている。それらを少しずつ冷蔵庫で冷やしておいて、野良仕事の合間、「いっぷぐ」(一服)にいただくのが、この頃の帰省における何よりの楽しみになりつつある。家から3キロ離れた最寄りの商店で買った棒アイスもあれば、なおよし。缶ビールがあれば、さらによし。



田んぼをやめて畑と花畑にしてから、もうずいぶん経った。花と野菜が混在して、遠くの山も近くの花も、いろんな色かたちが目に喜ばしい。花のにおい、土のにおい、草木のにおい。そこにニンニクのにおいがまじって、お腹がすいてくる。ずっとここで夏休み気分のまま子ども時代の続きを暮らしていたくもなるし、早く仙台での生活に帰って、あれこれ二人で料理して食べたくもなる。



こうしてあれこれ書き留めている間にも、山側の畑からは、父が草刈りをする音が聞こえてくる。エンジンのぶんぶんいう作動音、きん!きん!と刃先が梅雨の晴れ間の力強い茎を弾く音。鳥たちがにぎやかに歌い合う声。隣家の作業小屋で一日中かけっぱなしの爆音ラジオ。ぼんやりごろごろしている畳のにおいと、豆やら玉ねぎやら何かの葉やら茎やら干しているにおいに、草いきれが耳からにじんでくるよう。草の青も山の青も空の青も、肺に満ちる。



実家の話をするときに、つい「なんにもないところだよ」と説明してしまいがちだけど、案外いろんなものがある。たまに来るからそう思うのだろうなぁと自分でも思う。暮らすとなったら大変だ。それでも、どの季節も改めて知り直すようで、目も耳も新しい。



軒先のツバメに警戒されて、たまにしか帰らないで少し畑仕事の手伝いしたくらいでいい気になってる娘です怪しいものではありません、と頭を下げた。ニンニク畑で出てきたみみずなど献上すればよかっただろうか、と余計なおせっかいが頭をよぎれど、余計な手出しはすべからず。干渉せず見守るのが最良の大家(の、たまにしか帰らないで少し畑仕事の手伝いしたくらいでいい気になってる娘)と肝に銘じ、少し離れたところから、餌を待つ雛の如く首を伸ばして様子を伺う。


蛇の襲撃に備えてツバメの巣の下に置かれている、柄の長い草刈り鎌が日差しを受けて、ぬらりと光った。両親のツバメを見守る覚悟には恐れ入る。私しか家にいないときにツバメたちが助けを求めて悲鳴をあげたら、がらりと玄関の扉を開けて草刈り鎌の柄をつかみ…と想像して震えます。ひええ。

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