見出し画像

あめあめ(やさしく)ふれ(やさしく)ふれ

 暖かくなって、雨の降り始めにアスファルトの匂いがするようになった。私はこの温かくて冷たくて乾いて湿った匂いが好きだ。夏の帰り道の匂い。ぽつ、ぽつ、ぽつ、始まりの雨音も好き。やわらかいやさしい雨、植物たちが潤ってよろこぶくらいの雨が好き。それより強いと、すこしこわい。

 生まれて育った家は築100年以上の古い木造校舎のような建物で、雨音がすさまじかった。生命の危機を感じるくらいの轟音。テレビをつけても聞こえない。会話もできない。眠るときはどうしていたのだろう。大雨のたびに眠れぬ夜を過ごしたという記憶はないので、豪雨の恐怖よりも家族がそばにいる安心感が大きかったのかもしれない。幸福な時代。

 中学生の夏休みの終わり、腹痛がひどくて病院に連れていってもらったら、胃腸炎か何かで入院することになった。その日は大雨で、病室には早い時間から蛍光灯がついていた。

 私に与えられたのは窓際のベッドで、どんどん暗くなる空と打ちつける雨をぼんやり見上げて過ごすうちに夜がきた。母の運転で病院に連れてきてもらう間ずっと助手席でぼんやり眺めていた、沿道から水風船をぶつけられ続けているようなフロントガラスとワイパーの音を思い出し、屋根を激しく打つ雨音を思った。生まれて初めて過ごす無音の豪雨の夜。安全な場所に私だけが隔離されていることが不思議で、申し訳ないような気持ちにもなった。

 高校生の頃に実家は建て替えられ、あの古い家はもうない。あの音も記憶の中にしかない。新たに建てられた家は、病院ほどではないけれど雨の夜も静かだった。その家ももう新しい家とは呼べない。

 いま暮らしている家は、むかし暮らしていた木造の家の半分くらいの築年数で、半分くらいの雨音がする。私たちが越してくる前に雨漏りの修理をしたらしく、天井の一部に新しくもないが古くもない厚い板が打ちつけてある。暴風警報や豪雨警報が出るような日は、やはり生命の危機を感じるくらいの轟音がすることもあるけれど、家族がそばにいる安心感もある。もう一つの幸福な時代。

 今日も雨。雨靴を履いて散歩に出かけて、顔を合わせたご近所さんと「夜に強くなるみたい」などと話す。草木や田畑がよろこぶくらいの雨ならいいな、とラジオの音楽の間に耳をすませる。こわいおもいをするひとがいませんように。たいへんなことがありませんように。あめあめ(やさしく)ふれ(やさしく)ふれ。脳みその中だけで、すこし歌う。ちいさなまじない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?