見出し画像

子なし、髪なしその行末、なくても生きているのが私

2023年5月、上野千鶴子基金が開設されました
記事は小さく、ラジオで知りました。



以下、上野千鶴子基金より引用

ひとの倍から3倍、働いてきました。収入もそれに見合うだけありました。
ブランドにも宝飾にも興味がなく、シンプルな暮らしをしてきましたので、おカネが残りました。
わたしの人生も終わりから数える方が早くなり、
使い道を考えるようになりました。
子どものいないわたしには遺す者がいません。
遺言書を書きましたが、死んでから遺贈するよりも生きているあいだに、
使い道を選びたいと思うようになりました。
そこで財団を設立することにいたしました。



「子どもなし、そして遺す者がいない」



丁度読み始めている本が
酒井順子さんの「子の無い人生」


私は「子なし」 そして「髪なし」
「子なし、髪なし」
「髪なし、子なし」
どちらの響きがいいのか?
どちらを優先したいのか?
子が前なのか、髪が前なのか
いずれにせよ、子も髪もないのが私なのだ



髪がないことで、女子のハナシにはついていけず
肩身の狭い思いをした。
人生はすでに終わっている。



学生時代の友達が
ひとり、またひとりと結婚し
年賀状には子どもの写真が恒例となる



「こんなに大きくなって~」
と、目を細めながら、これも何かの修行?なのか
と、年賀状を眺める。



他者は驚くよりも、
オモシロくなかっただろうと推測
髪がない=結婚できない
を、くつがえしちゃったから
他者からの「おめでとう」は、いろんな感情が入り混じりっていて
「おめでとう」じゃない「おめでとう」だった



人って動物の本能をむき出しにすると
「マウント」取りたがるでしょ
なんで、あの子が結婚できるのよ!って
滲み出る「おめでとう」
そういうの感じちゃうのよね、わたし。



更に、子なしの私
子どもの話しをされても、よくわからない
けれども、知らん顔もできない
私、子どもがいないから、って
短い言葉も言えない雰囲気の中
何も答えらえずにいる私に
手助けしようと
「子どもはいなくても、子どもの経験はあるから
子どもの気持はわかるよね」と、わけのわからない
ボールを投げられる



子どもの気持って言ったって、わかりませんよ。
その子じゃないし。
あなたならわかる的な「圧力」
善人顔で言うのよ
「あなたの行動に期待しているわよ」って




まぁ、まぁ、そんないろいろな経験した
私が、今、言えるのは
子なしで、髪なし
それでも、どうにか、こうにか生きていられる
これに尽きる!



人生はすでに終わっているなどと、
生きてもいないのに、早々と決めつけたあの頃
人生はすでに終わったと思っていたが
こうやって、年齢を重ねると
いろんな意味で「あぁ~よかったな」
と、思える出来事に遭遇する
今日も、そうだった



ペイフォワードという言葉がある
「恩送り」とも言う
「自分が受けた善意を他の誰かに渡す」



例えば、旅先で道に迷ったり、
言葉の壁でコミニュケーションに困ったりした時、見知らぬ人に助けてもらう、
しかし、本人に直接恩返しをするのが難しい場合もある。
同じような境遇で、困っている人がいたら
自分が助けてもらったのと同じように誰かを助ける
といった行為がペイフォワード



私もこうやって、生きていられるのは
誰かに助けてもらっているからだ。
でも、それを直接お返しできないことの方が多い



だからこのブログも、恩送りで書いている
ハッシュタグに「100年後のキミへ」とつけている
髪がない人生のいろいろが
誰かの役に立てればと、、、
そして、その方の困りごとが軽くなったり、
気持ちが落ち着いたり、前向きになれたのなら
とても嬉しいこと



私は、上野千鶴子さんのように
基金を立ち上げるお金もなければ、人脈もない
できることは、生きることの意味を綴ること
それだけです。



髪なし、子なし
子なし、髪なし


どちらが前なのか
いずれにせよ、なくてもこうして生きているのが
私なのだ



それでは、また

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?