癒えない傷口
「市長!お願いします!」
秘書の差し迫った声に我に返る
慌ててステ−ジ中央に進む
司会のアナウンスの後
一向に姿を見せない市長に
会場はザワついていた
市長の登場に気づいて
最前列の支持者たちは
急いで拍手する
「みなさん、今日はこの野外ステージ
完成記念コンサート&ダンスコンテストにようこそ!…」
後方に駅の改札が見える
オレはそこで
あのリンの声を聞いたんだ
木箱が積んであるあの前で
思わず振り返った
リン!
ここにリンがいる!
***
リンの生まれたときのことは
今でも覚えている
隣の家に女の赤ちゃんが生まれたと
かぁちゃんと一緒に見に行ったんだ
赤ちゃんのホッペはぷくぷくしていた
かぁちゃんとリンのママの目を盗んで
人差し指でほっぺをつついた
そしたら
赤ちゃんはきゃっきゃと笑い声をあげて
オレの顔を見た
そしてオレの指をぎゅって握ったんだ
スゴい力だった
生まれたばかりなのに
こんなに強い力があるんだ
びっくりして引っ込めようとしても
はなさない
きゃっきゃと笑ってオレを見つめてる
笑い声に気がついて
リンママがこっちに来た
「あらあら、
リンはシンくんのことが大好きみたいね。」
リンママが
あかちゃんの指を1本ずつ開いて
オレの指を取り出した
あかちゃんは
まだオレを見て笑ってる
「シンくんのことがよほど好きなのね。シンくん、これからもリンのこと、
よろしくね。
おにいちゃんみたいなもんだからね」
オレはうなづいた
オレが守る
何があっても
オレはリンのおにいちゃんなんだから
なのに
なぜ
あんなこと言ってしまったんだろう
***
リンは奔放な子だった
じっとしていなかった
目を離すとすぐにいなくなって
探すのがたいへんだった
オレはリンから目を離せなかった
「この間、保健師さんに相談したの。
『少し気になりますね。一度専門の医師に診てもらってはいかがですか?』と言われて。その分野では有名な先生を
紹介してもらったわ…」
リンのママは深くため息をついた。
――そうか…リンは病気なのか…――
リンは悪くない
病気だから
病気がリンにそうさせてるんだ
リンは悪くない
必死にさがして見つけた時のリンは
いつもうれしそうなんだ
「リン!」と呼ぶと
オレの顔を見て
オレのところに走ってくる
がばっとオレの体に抱きつくと
ぎゅうっっとオレを抱きしめて
顔を上げてオレの目を見て笑うんだ
オレの指を握ってはなさなかった
赤ちゃんのときみたいに
***
来年からは中学生になる
これまでのように
ずっとリンについていられなくなる
心配でしかたなかった
進学しないで
このままここにいたかった
クラスの女子たちが
オレにまとわりつくリンを見て
こそこそ笑ってるのも気に障った
そのころから
リンのお守りに
嫌気が差していたオレがいた
そんな時に
あの事件が起きたんだ
***
「ごめんね…今日もお休みするね。
先生には、おばちゃんから連絡するから。」
これで3日めだ
どうしたんだろう
転んだときのキズが痛いのかな
骨が折れてたのだろうか
今日こそリンに会いに行こう
カバンをベッドに放り投げ
かあちゃんがつくってくれたおやつを
頬ばる
妖精からお見舞いをあずかった、って
あの切り株のそばに咲いてる花を
摘んでいこう
リンは目をきらきらさせて
オレに抱きついてくるだろう
リンの声 聞くの久しぶりだな
またあの変な歌うんだろうな
「…声が出ないんだって…
脳波や声帯も調べたのだけれど
異常はないらしいのよ。」
電話で話すかあちゃんの声がする
「昔から通ってる病院の先生は
『様子がこれまでと違いますね。
学校で何がありましたか?』って
聞かれたそうよ。」
あいつらだ
リンは病気なのに
バカにしたり迷惑がったりするから――
「お医者様は
『成長とともに自分で学習して
いきます。
リンさんは病気じゃありません。
これはリンさんの個性です』と
おっしゃったから大丈夫なの、って
リンちゃんのおかあさんは言ってたけど…」
―――リンは病気じゃないのか――
お医者さんが言うんだから
病気じゃないんだよ
誰だよ
リンが病気だって言ったのは
だから
オレ心配で
ずっと守ってきたのに
これからも
ずっと
死ぬまで
リンを守っていくんだ
そう思ってきたんだ
ずっと ずっと
リンもリンのママも
病気だなんて思ってなかったんだ
オレが勝手に
病気だと思い込んでたんだ
――でもさ、しかたないだろ!
病気なんだから!――
リンは病気なんかじゃなかった
***
あれからリンと話していない
リンが女の子と
毎日二人で足を踏み鳴らしてるのは
知ってる
声をかけようとしたけど
途中から大人の女の人が来たから
かけそびれちまった
向こうの家のおばあさんとこに
遊びにいくようになったことも
知ってた
あのときも
有名な歌手が来ると聞いて
ちょっと覗いてみようかと
会場に行ったんだ
改札の前で
リンの歌声をきいたとき
懐かしくて
嬉しくて
悲しくて
動けなかった
でもそのとき空に
キラキラしたものが見えたんだ
リン
おまえの声が見えたんだ
***
空に舞う光る粒を見ながら
あのとき決めたんだ
オレはもう一度
ここで
リンの歌を聴くんだって
***
「今日はアスカさんに来ていただいて
います。
25年前、ここに
野外ステージが できる前
ここで聞かせていただいた
あの天使の歌声を
今再び、このステ−ジに響かせて
いただきましょう!」
***
オレはアスカさんに深く頭を下げた
「ありがとうございます!」
「あの場所に屋外ステ−ジが…
私の目を覚ましてくれた場所です」
アスカは静かに目を閉じた
「またあそこで歌える…うれしい…」
目を閉じたまま ほほえむ
「あの近くには妹夫婦が
住んでいます」
ユウとサエ
たしか男の子と女の子がいたと思う
コンサートの後の
ダンスコンテストに
エントリーしているはずだ
「…あの、それで…折り入って
お願いがあるのです」
アスカは驚いたように目を開けた
黙ったままシンの顔を見つめる
「…一緒に歌っていただきたい歌手が
いるんです…その歌手というのが…」
ゴクリと唾を飲み込む
アスカさん気を悪くするだろうか
怒って出演を辞めると言い出したら
どうしよう…
こんなにつっかえるのは初めてだ
市長選での初めて演説会でも
こんなに緊張しなかった
もう一度深く深呼吸をし
言葉を発するための
最後の息を深く吸い込んだ
「リンさんですね」
息を吸ったまま呼吸が止まってしまった
オレは
ハトが鉄砲玉をくらったような顔を
していたに違いない
「僕もあの方ともう一度歌いたかった。
あの場所で」
「ご存知なんですか?リンを」
息を止めていたので
洩れるような問いかたになってしまった
「妹の親友です」
オレの目をじっと見つめた
***
上手の舞台袖に
リンはいた
こんなに近くで見るのは
あれ以来だ
胸がドキドキする
おいおいどうしたんだ オマエ
こんなとこでうろたえて
市長たるもの
こんなところで動揺してどうする!
――だってしかたないじゃないか!
病気なんだから!――
自分の声が頭の奥に響く
あのとき
オマエの声を奪ったのは
リン
このオレなんだ
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