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責任

責任。

この言葉を、この半年のうちにどれほど突きつけられただろうか。
責任者としての立場を担っているのだから当然と言えば当然だけれど、こんなにも重く大きく感じたことは、これまでになかったと思う。

何かを計画し、実行し、終えるまでのプロセスには、とてつもないエネルギーが必要だ。バレエの発表会と聞くと、小さな子達が踊りを繰り広げるほのぼのとした会を想像する人も少なくないと思うが、実際裏側はそんな生易しいものではない。大人も、もちろん子ども達も、プロダンサーも真剣に取り組む現場。その会を企画し主催していくことは、15年やってきたけれど未だに怖さを感じる。

コロナ禍での開催ということももちろんあった。開催そのものを問われるご時世で「やるのか」「やらないのか」という二者択一を迫られた。いくら感染症対策をしても100%じゃない。絶対なんてない。
リスクと隣り合わせの”開催”の決断は果たして正解なのか?考えない日はなかった。

けれど、今回はそれ以上に私自身の判断で「責任」を突き付けられる場面が幾度も訪れた。
それは誰のせいでもなく、まぎれもなく私自身の責任。
責任を取ります、そう伝えても「取れるものと取れないものがある」と言われた。かけがえのない大切なものを失ってなお、自分ではどうしようもできない物事があり、泣いても叫んでも、それは帰ってはこない。
責任というのは、何とかして自分が負えるものにしか使えないのだと、知った。


どうしようもない物事は、それこそどうしようもないのだ。
諦めではなく、成す術すら、ない。

失ったものを悔やんでも仕方ないと人は言う。次に同じことを繰り返さないように教訓にすればよい、と。
自分の心が痛むことはまだいい。けれど相手に失わせてしまったものを考えると同じ事を繰り返さないだけでは済まない。
せめてここからできることを考えて、真摯に取り組んでいくしかないのだろう。その道はまだ見えない。

人生の中で色々な絶望や希望を味わいながら、それでも希望に向かって進んでいきたいと願う。
自分の希望というのはある種の欲望であって、それはときに誰かの絶望かもしれない。誰かの希望が自分の希望になったとき、本当の意味で光が見えるんじゃないか…そんな風に思った。

強く在りたい。
大切なものを、人達を、守れるように。

だから。
こんなにも弱い自分を知れたことは、きっと絶望じゃない。

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