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アイルランド留学日記②


ということで着いた当初のこと、振り返ります。
ちなみに到着してから今に至るまで5回くらい途方に暮れたりしてます。

その1回目。

ドバイ経由の飛行機でダブリンに到着した時です。
大学名の看板を掲げた人が迎えに来てくれるって言ってたのに、誰もいなかった。マジでビビる。

居たのは、Googleインターン生って書いてあったり、国で1番上の頭いい大学、トリニティ・カレッジの留学生を待ってるひとたちだけだった。絶対違うのにその人たちの看板何度も確認してしまった。アホだ…。

何度も周囲を見渡したが他には誰もおらず。

日本のエージェントも時差で繋がらない。
こっちから連絡しても何も応答なし。

結局1時間くらいたって漸く、向こうから第1ターミナルに来てくれとメッセージがきた。
なんやねん…第2ターミナルにつくってずーっと前に連絡してたのに忘れとるやないかい。
しかも結構遠い。

おなじ大学の生徒、第1ターミナルにつくフランス人と中国人が8人くらいいたからそっちで固まってたらしい。スタッフのおっちゃんしっかりしとくれい。

待ってた時は本当に心細くて心がやばかった。
メンタル雑魚すぎることを再確認。
いや、慌てたりはしなかったから落ち着いてはいるんだけど、マジか〜と心が沈んでる感じ。

だけどこの時、第1ターミナルにいた、同じ大学の、中国人に話しかけたら仲良くなって、連絡先交換できました。いい人だったな。ただキャンパス全然違ったのが残念。遠すぎて会えない。

なんだかんだあったけどその後はスムーズに誘導されて、ムキムキ&GIVENCHYの謎シャツをきたタクシー運転手に乗せられホームステイ先へ行きましたとさ。まじでムキムキだったな。

そして早くも二回目に途方に暮れた時。

それはホームステイ先でベル鳴らしても30分くらい出てこなかった時です。電話も全く出ない。周りの人に不審者だと思われるのも怖すぎた。めっちゃ知らない場所にポツンと置いてかれ、キャリーバッグとともに途方にくれていた。

やっとこさおばあちゃんが出てきてくれた。
そして狭部屋に案内される。

👵「あんたの名前は!!」
ワイ「ゴニョゴョ」
👵「ハァ!?!?」
「ヒェッ」
爆音の「ハァ??」にビビってワワァワワァって本当にこの時口に出してたかもしれない。

耳が遠いらしくて声がいつもクソデカです。

このおばあちゃんは1人でこの家に住んでいる。夫は1年前に亡くなっていた。

アイルランド発音すぎて本当に聞き取れない。最初はイヤァと思ってたけど今はいい人だなって思います。たまに怖いけど。ただ未だに一緒にご飯を食べたことがない。となりに住んでる孫と話す時だけ、僕に見たことの無いような笑顔をみせる。この人も人間なんだなぁと思います。他の留学生のホストマザーは色んなとこに連れてったりしてくれるらしい。そのレベルはマジで当たりだとネットとかには書いてあった。ワガママはやめて、この環境に慣れることにしようかね。

部屋について。机はアホほど低いし壁はボロボロ。鉄パイプのイスだしオワタ…とこの時は思ってた。だけど今は慣れて使ってる。住めば都。いややっぱ都ではないな。都では無いが慣れた。


初日はラザニアがでてきた。あの時は何も心が動かなかった。だけど今でてくる料理と比べればご馳走だったのかもしれない。日本に帰ったら何でも美味しいって思えるんだろうな〜。

よくある話ですけどね、飛行機では胸をときめかせていたけど着いてみたら辛い的なあれ。僕もはそんなにキラキラ心をときめかさることは無いのですがね、少しは期待してました。とは言えこの時は流石に意気消沈。
広すぎる空に知らない鳥たち。怖すぎた。

そんな臆病な自分を鼓舞するかのように「頑張るぞ、これからくじけずに行くぞ」という微かな、微かな光を作り出し、その日は眠りについたのでした。

留学来るために結構な苦労をしたからな、

というかこういう辛い時、経験をさせてもらってるというのは本当にありがたい、人生経験だ…とおもうようにしている。そうやって頑張ってます。
楽しい時も結構ありますし。

次は学校始まるまでのこと書きますぜ〜。

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