Road to master 1粒目

「はじめの一歩」
残りの人生をかけた「珈琲屋の店主」になる為に何を記していくか。ありのままを必要最低限に記してそして未来を見て進もう。そう思い記していく。

今の状態になる前、企業(ベンチャー)で働く居場所を失った僕は暫く何も出来なかった。起き上がる事ができなくなり食事も今となっては何をどう食べていたかも覚えていない。

元々上場企業で10年以上働き、最後の会社員というつもりで当時友人であった人間が社長を勤める会社に引き抜かれ仕事をした。片方だけの意見で何かを表現したいわけではないからここでは詳細は省く。結論として僕はそこで使えなく、切り捨てられたのだ。後遺症として薬を飲み続けなければならない身体にはなってしまった。

毎日時間は過ぎる。お金もどんどん減っていく。なんとかしなければと思うも齢40も過ぎて次に何か定職を求める気力も無くとりあえず以前より仲良くさせていただいていた税理士の先生の個人事務所で籍を置かせていただき税理士事務のお手伝いをさせて頂く事になった。「生きる事はできる」そんな感謝を思いながらも当時はとても使えたものではなかったであろう。

そして穏やかに毎日を過ごす中で「これからどう生きるか」を改めて考えた。先ずは自分の生きてきた道を振り返ってみた。実は1番したくない事が「自分の生きてきた道程の振り返り」なんだと言う事が自分で1番わかっていた。

国家資格をいくつか持っている。しかしその国家資格を使う仕事を続けていられないのが自分の弱さと根本的能力の低さの象徴なのである。

例えば「美容師資格」を僕は持っている。代々木にある美容専門学校を卒業し、在校中にメイクで日本一になり世界大会まで出場し、卒業後は東京の誰もが知っている有名店で働いていた。夜CLUBにいけばその美容室で働いてるというだけで女の子と仲良くなれるブランド力があった。しかし「有名な美容室で働いてれば有名な美容師」になれるのではない。
努力をする者には敵わない。スタイリストになった後、後進のスタイリストに顧客は次々と流れていった。
「美容師を辞めよう」そう諦める迄に時間は要さなかった。
ずっと「才能が無かった」と自分にもまわりにもそう言っていた。しかし今ならわかる「努力をしなかった」のだ。

そしてその後も様々な仕事に就いては「ある程度形になるとこまではいく」がその仕事を辞める。繰り返された。

しかし上場企業では10年以上も働く事ができた。これにはしっかりと理由があった。語弊があるかもしれないがよくも悪くも大企業はある程度のポストまで行くと「楽」なのだ。
そして「努力」が必ずしも「結果」には繋がらない。
「運」の要素が大きいボードゲームのようなものだ。
配属部署、上司、部下、異動。だから必死に努力をするといったど根性論はあまり意味をなさない。
つまりはなんとなく「居れる」のだ。そして一種の「営業職」であったのである程度の結果を安定的に出していれば「自由」が与えられた。
この環境がどこか「何かを成し遂げる非凡な成功者」になる事を諦めた自分には居心地が良かったのかもしれない。

少し脱線してしまったが結局僕の人生は常に器用貧乏で「逃げ」の人生だったのだ。

ここまで自分の人生を振り返り気付いた。
僕は凡人なのだ。そして今「何も無い」のだ。
「たくさんの経験」を「たくさんの経験値」と勘違いして年齢とプライドだけを重ねてしまい今の自分の肯定をどこかでしたかった「軟弱者」であった。所詮「続けている者」は「挑戦し続けている者」であり遥かに自分より優れているのだ。美容師だろうが個人事業主であろうがサラリーマンであろうが。そういう人に自分は敵わない。自分を認めた瞬間であった。

そして残りの人生をどう生きるか。
自分の居場所を「探す」のではなく「作ろう」
それが僕の生きる道。「はじめの一歩」だった。

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