魔道祖師:魏無羨は誰に殺されたのか

ネタばれ満載ですのでNOネタばれの方はそっ閉じお願いします。


アニメ→原作→ドラマと全履修して、いまだにリピーターでもあるんだけれども、私の中で解決したい疑問がいくつかあったので、それを整理してみようと思いたち、メモを取り始めたら止まらず、気が付いたら明日ゼミ発表ですかぐらいの勢いでまとめておりました(笑)
その結果、これって、実はそんな悩むほど難しいことでもなかったかなと思いつつ、自分なりに納得できて満足できた記念にメモ残しておきます。
これで私の中の邪崇が祓われ魂鎮めとなりますかどうか。

【1:あらまし】


『魔道祖師』(原作:墨香銅臭)。
中国のBL小説。現在アニメ版『魔道祖師』と実写ドラマ『陳情令』コミック、ラジオドラマなど多彩なコンテンツによって発信されている。
ここで取り上げる媒体は↓の通り。ベースは原作本。
→原作本『魔道祖師』は先日日本語版が発売された。(がっつりBLです。後半きっちりいたしてます)
→アニメ『魔道祖師』(中国では完結編放映中、日本では第一集前塵編、第二集羨雲編まで放映済み(描写なし)
→ドラマ『陳情令』は中国、日本ともに完結し全話放映済み(描写なし)

十三年前、邪道を修めその無軌道ぶりを理由にいわゆる正道の仙師たちに滅ぼされた魏無羨(夷陵老祖)が、縁もゆかりもない莫玄羽という男から献舎の術(身体を捧げられ、その見返りに本人に代わって仇を討つという呪詛(請願?))を受けてこの世に戻ってくる話。戻った途端に鬼腕の鎮圧に巻き込まれ、それをきっかけにして自分の死を招いた十三年前の出来事の真相を探ることになっていく。

正道:霊力をもとに剣術を使い邪崇(呪いや怨念など)を清めたり払ったりする道。修為を高め金丹を育てる必要がある。
邪道:てっとりばやく霊力と生来の才能に左右されない方法で邪崇などに対処する方法。呪符を使う、死体を操る、など剣術以外の方法(?)

五大世家
岐山温氏←五行「火」
蘭陵金氏←五行「金」
清河聶氏←五行「土」
姑蘇藍氏←五行「水」
雲夢江氏←五行「木」
魏嬰=魏無羨=夷陵老祖

 現在と過去の話が並行して語られていくので、読む方としては現在進行中の当世の物語に間にばらばらと思い出話が挟み込まれてよみづらい印象もあるが、実はこれが目眩ましになっている。実際この目眩ましのせいで「?????」を飛ばしたことは何回かあったけれど、読み終わってみるとなるほどと納得できた。とくに最終巻四巻での怒濤の伏線回収には圧倒された。ほぼすべてのフラグを綺麗に回収して終わったのではないかと思う。とはいえ、それでもまだ気になっているところもあるのでそれを自分なりに解決したい。
 一番大きな謎だと思っているが、これは作者が敢えて見せなかったところなので自由にとってね、ということなんだろうと思う。


それは「魏無羨を殺したのは誰か」ということ。

 私はアニメで見たときからずっと温晁なんじゃないかと思っていたのだけれど、なかなか決定力もない気がして……。それで原作に手をだし、やっぱりそうなんじゃないかと思いながら、ドラマでそうやんね、と腑に落ちた、ような気がした。けれど、ほんとうに?という確信は持てずにいたので(というのは原作の時系列に振り回されて読み込めている自信がなかったし、演出の事情で変わっている可能性もなくはないのかと考えて)、そこをちゃんと納得するために整理したいと思った。
 もしかしたら、そもそも現地の中国の方には悩みどころにもならない自明なことだったのかもしれないような気もするけど、そこはご容赦。
ちなみにドラマ『陳情令』はこのルートで作っていると思われる。アニメでは現在も思い切りぼかしていると思う――2021/10/08、完結編9話まで放映、全12話のなかで明確にされるか?)メディアによる解釈違い?演出の違い?は後述する、たぶん。

【2:原作で語られる死の様態】


 作中、彼が「死んだ」≒「殺された」と思われる場面が実は二つある。どちらも乱葬崗という場所で起きたことだ。

A:最初の乱葬崗→温晁に突き落とされる

B:二回目の乱葬崗(乱葬崗殲滅戦)→温氏なきあとの四大世家に攻められ、  その結果→①江澄に殺された、②術の反動で八つ裂きになった


 本文中では魏無羨自身の言葉として何度も「俺は八つ裂きにされた」という言及があって、八つ裂きだったということはわかる。けれど、それがどの時点なのか、誰がしたのか、体なのか魂魄もなのか、じつは肝腎なところがいまいちわからない。ただ、この言葉があることでB-②の正当性は強く認知されていると思われる。しかしその実AでもBでも成り立つ死に方である。これは敢えてそこをぼかしているのではないかと思う。

 まずは文中で言及される魏無羨の死に方について。
・巷間の噂になっている死に様。
……あの夷陵老祖(注:魏無羨のこと)にとどめを刺したのはいったいどこの英傑だ?」
「誰って、そりゃあ奴の弟弟子で雲夢江氏の 若き宗主、江澄だろう。
……〉(1-10:1巻10頁以下同じ)
……そりゃ私が聞いた話とちょっと違うぞ? 魏嬰は自分が作り出した邪術の反動を受けて、手下にしていた鬼どもに噛みちぎられ喰われて死んだんじゃないのか? 生きたまま木っ端微塵に噛み砕かれたって聞いたぜ」
(1-11)
 この会話(一部省略)はBの乱葬崗殲滅戦直後のもの。上記B-①②の死に様が紹介され、これがこの物語のなかで表向き語られる魏無羨の死に様となる。
その時、彼(注:聶懐桑、魏無羨の友人)は一人の人間を思い出した。このようなモノへの対処や、こういった問題を解決することが最も得意な誰か。
 ─ ─ 夷陵老祖。
だが、夷陵老祖は既に八つ裂きにされ葬られた。
〉(4-209)
 これは友人の心中を魏無羨が想像している部分。物語の最終盤に置かれており、魏無羨自身が知っている自分の死の真実より友人の持つ情報として、という点が優先されそうなのでこの部分は決定打にはならない。書いてあるという指摘にとどめる。
・魏無羨自身の言及
「江宗主が人を率いて乱葬崗を攻めて、公子を殺したって」
「待て、 これだけははっきり言っておくぞ。あいつが俺を殺したんじゃない。俺は、術の反動で死んだんだ」
〉(2-121)
 これは前世時灰になって砕かれた(つまりこの世から消された)と思われていた魏無羨の配下温寧(甦った死体、理性がある稀なる死体)と再会したときの魏無羨との会話。
 それまで奪われていた理性を取り戻し、魏無羨がいなくなっていたこの十三年間の、温寧が記憶していることを報告しているなかでのやりとりだ。噂として聞いた「江澄(魏無羨の主筋にあたる江家の宗主。魏無羨の元義弟)が殺した」という噂は本人から明確に否定され、「術の反動で死んだ」と明言された。つまり物語における魏無羨の死に様はB-②であることが魏無羨自身の言葉で語られたことになる。

 この言葉通りだったら、なにも問題はないわけなのだが、気になっているのは最初に温晁に突き落とされた乱葬崗からの帰還について「本当はどうなっているんだ」というところ。ここが気になって仕方がない。たぶん、ここをきちんと整理しないとみえてこないことがあるのではないか。
つまり「生きて戻った」or「死んで戻った」一体どっちなんだろうと。
 「生きて戻った」であれば魏無羨は乱葬崗殲滅戦でその死を初めて迎えたことになる。であれば、彼はいったいどうやって乱葬崗から逃れることができたのか?という新たな疑問につながる。実はこの疑問は読者のみに与えられるものであって、作中人物には一切迷いがない。これがこの物語を読んでいて違和というかある種の落ち着かなさを生んでいる。実はここが物語の肝でもある。
 もし「死んで戻った」であれば、みなが「死んだ」と思っているB-②というのは本来いるべき場所へ帰っただけ、この世から「消えた」と考えるべき事象となる。

 実はこの乱葬崗からの帰還について、作中人物は乱葬崗と魏無羨との関わりを知らない。だから自ずと物語冒頭の巷間の噂というものが全編を通じて肯定されることになるわけだ。

【3:「乱葬崗」という場所】


「ここはかつて戦場で、その屍でできた山だ。(中略)いかにも邪気が強いだろう?その上、怨念も濃い。(中略)生きている人間が足を踏み入れれば体も魂も二度と戻らず、永遠に出てこられない」〉(3-50,51)
 この山を管理して手こずっている温氏の次男温晁がいうのだからそうなのだろう。しかもここは〈「夜になればこの中からどんなモノが出てくるかわからない」〉(3-51)、だからこそ、温晁は捕らえた生意気で怖いものなしの魏無羨の処刑場所として彼に恐怖を与え、さらに復活ができないようにこの場所に落としたわけだ。当時の魏無羨は16、7歳、前途有望な大世家門派の仙師のひとりとして既に頭角を現しており、この修真界では知られている存在。
 ここまでの魏無羨は基本的に明るくて前向きで怖いもの知らずであることが様々なエピソードを通じて語られてきていたが、おそらくここで初めて魏無羨が恐怖を見せる。
その名前(注:乱葬崗)を聞くと、魏無羨の背中から頭までをひやりとした寒気が駆け抜けた〉(3-50)
 温晁によって放り投げられ、魏無羨は叫び声を上げながら空の上から乱葬崗の山に落ちていく。空から落とされているわけで、普通に考えても死ぬだろうと思うのだが、そこは活字の裏に隠されていて見えてこない。山の高さや落ちていく深さも見えない。文中には彼が落ちていく叫び声しか描かれないので実際に何がどんな風で、ということが読者任せになっている。そこで何が起きたのかは一切語られないのだ。

 そして次の章で彼は戻ってくる。この乱葬崗から戻ってきたから魏無羨は凄いわけで、読者はよかった戻ってきた、と安堵し、前途有望な魏無羨の英雄性は担保されることになる。彼の持つ霊力や胆力、剣術についてはすでに何度も語られてきたとおり並外れているから当然のことだと考え、さらにはこの乱葬崗で三ヶ月に渡って多くの邪念や怨念に晒されたことで鬼道を操ることもできるようになったのだと考えるかもしれない。

 例えば、この直後、戻った魏無羨は温晁と温逐流を追い詰めているが、温晁に対しては陵遅刑でもって徐々にその生命を削っている。この温晁の姿を見た江澄は、
今目の前にあるこの光景は、まさに天罰覿面に他ならない! 江澄は心底愉快に思い、声を出さずに口角を上げ、まるで理性を失ったような笑みを浮かべた。〉(3-64)
 と、ここではまだ姿は見せてはいないが魏無羨の行った残虐な行為に満足している姿が描かれる。このあと魏無羨が連れた鬼童や青褪めた顔の女についてはかすかに不快感を覚えるものの、それでもその章の最後では、
二人ともが今や復讐というこのうえなく大きな快感の波に吞まれ、他人に構う余裕など欠片も残ってはいない〉(3-79)
 と、すっかり同調して温晁を殺し、江家の復讐の一端を果たす喜びが彼らの持つ残虐性のようなものとともに語られる。つまり、魏無羨と江澄の内面の同調が語られることでこのふたりの住む世界は同質であると暗に肯定されることになる。このことで魏無羨に対する密やかな疑問はいったん立ち消えとなるのだ。この魏無羨と江澄との同調はおそらくは大きな仕掛けであって、変わってしまった魏無羨をすんなり受け入れていくひとつの鍵になっていると思われる。その結果、
以前の魏無羨は、抜きん出て明るく意気揚々とした人好きのする紅顔の美少年で、目元と眉にはいつでも笑みを浮かべ、ぶらぶらと自由気ままに歩くのが常だった。しかし今彼らの目に映る魏無羨は、全身がひどく冷え冷えとした重苦しい気配に覆われ、美しい顔は青褪めた色をしていて、その微笑みまでも不気味さに満ちている。〉(3-66)
その笑顔には冷えきった厳しさと、残忍と、愉悦が浮かんでいる。〉(3-78)
 と、それまでの魏無羨とは様子が違う、ということが繰り返し語られるにも関わらず、三ヶ月乱葬崗にいればそうなる、という受け止め方を容易にもしている。

【4:彼はどこから帰って来たのか】


 読者は魏無羨が温晁によって乱葬崗に落とされたことをもちろん知っているが、実は作中の人物はそれを知らない。本を読み返して(掘り返して?)気が付いたが、魏無羨が乱葬崗にいたことがあると作中で語るのは温情、温寧姉弟や温氏の生き残りを助け出して逃げ込んだ先(=乱葬崗)に江澄が訪ねてきたときのみだ。
「まさか本気でここに長逗留するつもりか?こんなろくでもない場所に人が住めるとでも?」
「俺は以前、ここに三か月住んでた」
魏無羨の言葉に江澄はしばらく沈黙して、再び口を開いた。
「蓮花塢
(注:江氏の仙府)にはもどらないのか?」〉(3-235)
 江澄の沈黙は、要は一緒に蓮花塢に戻る気はないのかというところに帰結されるのであって、この乱葬崗に、魏無羨が三ヶ月もいたことを気にしている様子はない。この時点で魏無羨は邪道の使い手として天下に知られているのでたいして驚くにはあたらないというリアクションなのだろうか。読者に知らされていないところで作中人物が情報交換をしていないという前提で考えるが、魏無羨が過去に乱葬崗にいたと語ったのは今のところ見つけられたのはここだけだ。(なぜ、温氏の一族や江澄がこのとき乱葬崗に入れたのかも後述する。)

 なので、作中人物たちは「魏無羨はどこにいたのかわからないけれどとりあえず帰って来た!」と思っていて、その流れのなかで彼ら自身の物語は紡がれていく。
 おそらく、魏無羨が乱葬崗から帰って来て最初に顔を合わせたのはたぶん温晁や彼を守る温逐流、愛妾王霊嬌で、これは心底恐怖したろうと思う。
その温晁を追っていた藍忘機と江澄とも魏無羨は再会を果たしたわけだが、そこで「魏無羨が三ヶ月間どこにいたのか」を魏無羨が明らかにすることはない。
 まず江澄との会話部分を必要なところだけ適宜抜き出してみる。

「お前な! この三か月、どこに行ってやがった!」
「ハハッ、いろいろあったんだ、一言で済ませられるかよ!……一言じゃ済まないって言っただろ。あの時、温狗どもは至るところで俺を捜し回ってたんだぞ。ちょうどあそこで待ってたところを捕まえられて、ろくでもない場所に放り込まれて痛めつけられてたんだよ」
「で、ろくでもない場所ってどこなんだ? 岐山(注:目下の敵温氏の本拠地となる地域名)か? 不夜天城(注:温氏の仙府)か? 」
「そんなところだよ。俺はある場所で謎の洞窟を見つけ、その中には謎の傑人が残した謎の秘伝書があった。それを読んだらこんなふうになって、外に出てあちこちで殺して回った……って言ったら、お前信じるか?」
「お前って奴は本当に……! 温狗に捕まっても死なないなんて!」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってるんだ?」
〉(3-70~72)

 次に藍忘機。
「道中で温氏門弟を殺したのは、君か? 君は、どういう方法でその邪悪なモノたちを操っている?」
「魏嬰。邪道を修練すれば、間違いなくその代償を払うことになる。古往今来、誰一人として例外はない」
「それなら払ってやるさ」
「その道は体を傷つけ、心をも傷つける」
「体が傷つくかどうか、傷ついたとしてどのくらいかは俺自身が一番よくわかってるよ。心の話なら、俺の心は俺が決めるし、それも自分でちゃんと把握してる」
「君の制御が及ばないこともある」
「俺なら絶対できる」
〉(3-76)

 江澄は結局煙に巻かれてしまうし、そんなことよりこの戦いの中、大きな戦力になるはずの魏無羨を歓迎する。義兄弟という人間関係に加え、温氏に対する強い憎しみは魏無羨とも共有しているので若干の違和感があっても気にしない。当然といえば当然なように見える。一方の藍忘機は鬼道を修する魏無羨に危機感を募らせている。
 しかし、三ヶ月の空白のあとで、ふたりとも「魏無羨が乱葬崗から帰って来た」ということは知らないままなのである。おそらく、作中において乱葬崗という場所は魏無羨が温氏残党を連れてやむを得ず逃げ込んだ場所としてのみ認知されていくことになる。

 魏無羨に近いこのふたりの受け止めはおそらくはそのほかの多数にも影響したのではないか。魏無羨という人物に違和感があり、どこかおぞましさや恐れを感じさせつつもそれ以上の疑問もなく接していく。
 多くの作中人物は「とりあえずどこかから帰って来たけれど、苦労のせいか、邪道を修めたせいか、とにかく人がすっかり変わってしまった」ぐらいの受け止め方ではないかと思われる。
 たぶん、そのことを指摘しているのは作中最も思慮深いとされる藍氏宗主の藍曦臣(藍忘機の兄)で、
「魏公子は、どうやら本当に心に大きな変化があったようだな」〉(3-211)
 と言及し嘆く。それほどに彼の内面には大きな変化が見られるようになる。とくに、激高するなど感情の抑制が効かない場面が多く描かれていく。

【5:魏無羨は怒りを抑えられない】


 ここで魏無羨の心のコントロールについて見てみる。
 温氏を滅亡させたあと、魏無羨の言動は横暴で無礼であると非難されるようになる。もともとの彼がルールを重視しない無軌道なところがあり自由奔放な人間だということは例えば姑蘇藍氏で行われた座学に参加したときのエピソードで最初から描き尽くされている(「雅騒」-1巻)
 この若い頃(注:15,6歳)の魏無羨は悪戯好きであることはもちろんのことすでに邪道をも受け入れる姿勢を見せている(どちらかといえば屁理屈的に)。
魏無羨は実際に
「霊力も怨念も、すべて人間が生み出すものです。霊力は体に溜め込んで、大いに人間のために使われているのに、なぜ怨念を人間のために使ってはならないのですか?」
「なら逆に聞く! その怨念たちがきちんと君の意のままに動き、他人を害さないとどうやって保証できる?」
「それはまだ思いついてません!」
「もしその答えを思いついたなら、仙門百家はもう君を放ってはおけなくなる。─ ─ 出ていけ!」
〉(1-130)
 実際、ここでの発言通りにことは動いていった。のちの彼の変貌もやんぬるかな無理もなし、といった感じでそれを受け入れる素地は出来上がっている。
 にしても、やはり中盤以降、魏無羨は激しやすくなっている。とくに怒りを抑えることが難しいようだ。とりわけ、江厭離(注:師姉。江澄の実姉)が絡むとその怒りの気持ちはとどめられず、結果的に師姉の夫の死を呼び込む結果を招く。
 おそらく作中人物たちがいちばん引いたのは彼のこのあたりの台詞だろう。
「それはな、ただお前らにわからせてやりたかっただけだ。たとえ剣を使わなくたって、お前らが言う『邪道』 だけで十分だ。お前ら全員俺の足元にも及ばない」〉(3-169)
 これは師姉につきまとう金子軒(注:蘭陵金氏の跡取り息子、この場で気持ちを告白することになり、のちに成婚)との行き違いから金子軒の従兄金子勲に罵られたことで思わず出た言葉。
 ちなみに江厭離と金子軒は母同士が決めたこどもの頃からの許嫁で、座学時代金子軒の思い上がった言葉が元で婚約解消、師姉をかばって魏無羨が金子軒を殴り、座学中退といういきさつ(1-179~183)がある。さらに、射日の征戦(注:温氏を倒すための戦い)中にも、金子軒が師姉の好意を誤解したことから再度喧嘩になった。
 この三人の関係を眺めてみると、師姉江厭離は遠慮がちながら一貫して金子軒を想い、金子軒は地味目な江氏を嫌い(金氏は派手好き)、幼いうちに勝手に決められた婚約に反発していたが、だんだんと江厭離の気持ちの美しいところを知ってその人柄に惹かれるようになっていく(3-156~166)。金子軒は、身勝手で見栄っ張りなこども時代から不器用な恋を経て結婚し一子をもうけて父となる。やがて彼が見せた父性や夫としての優しさが死を招くこと(3-300)になるが、そこにははっきりとした心の成長の道筋がある。それは江厭離の弟江澄も同じだ。こどもの頃、魏無羨と同じく姉に対して失礼だと感じていた江澄は金子軒を嫌っていたが、江氏宗主として門派を再興するなかで金子軒を許し、姉の恋を認め、金子軒の思いに応えてもよい(3-237)と考えるに至る。
 そういう心の成長を魏無羨は見せない。師姉が嫁ぎたいというなら仕方がない、不似合いなのに、と不承不承ながら受け入れるといった態度(3-253)である。言うなれば自分の好悪の感情に至って正直なのである。
 次は温氏生き残りのひとりで温寧(まだ生きている)を拉致した金子勲へ詰め寄ったときの台詞。なかなか温寧の居所を告げない金子勲に苛立って発した言葉である。
「俺が誰かを殺したいと思ったら、誰が止められる? そんな度胸あるか!?」
そう言い終える前に、魏無羨は腰に差した陳情
(注:魏無羨の使う武器としての笛の名前。これで死体を操ることができる)の上に手を置く。
その刹那、庁内にいる全員の脳裏にある記憶が呼び起こされた。まるで真っ暗闇の中、死屍累々として血の海 と化していたあの戦場へ戻ったかのようだ。
〉(3-209)
 その場にいる誰もが彼の功績を認めてはいる。戦場で一晩笛を吹き続け死体や怨念を操り続けた。彼は死体や怨念を操ることができるのだ。戦場での彼の姿を知っているものたちは恐ろしくて彼に立ち向かえないのだ。
彼は今の自分に絶対の自信がある。
 たとえば彼の数少ない理解者(魏無羨はそうは考えていないが)である藍忘機は鬼道を修し始めた魏無羨に最初からずっと何度も問いかけ、止める。

「自分を見失いかねない」〉(2-207)
「鬼道は体を傷つけ、心を傷つける」〉(3-185)
「君は本当に制御できるのか……ならば、もし君に問題が起きたら」〉(3-263~264)
 何度もそう魏無羨に直言している。それに対して魏無羨は、
「そんな言葉はとっくに聞き飽きたけど、まだ言い足りてないのか? 俺は自分が後悔するとは思わないし、他人に俺の今後を勝手に推測されるのも好きじゃない」〉(3-185)
「そうはならないし、させない」〉(3-264)
 と、にべもない返答をする。この自信の根拠は一体何なのか。根拠のない自信としか見えないが、とにかく魏無羨はそう言い切る。
 鬼道を修めることで藍忘機が予見し危惧するとおりに自分を見失いつつある過程にも見えるし、そうではなくおごり高ぶるだけの根拠をもっているようにも見える。

 ところで、魏無羨は金氏の横暴ともいうべき態度を満座の宴席で批判している。
「金宗主、一つ質問させてください。岐山温氏が消えた今、あなたは蘭陵金氏がその座を取って代わるべきだと 思っているんですか?何もかもあなたに渡して、誰もがあなたに従うべきだと?俺は何か間違ったことを言っ たか? 生きた人間を餌に使って、少しでも従わなければあれこれといじめまくる。これが岐山温氏とどう違うって?」〉(3-207)
 ここまで読んできたものには魏無羨の言葉は全くその通りと頷かずにはいられない。結局、邪道の使い手と言われ蔑まれている魏無羨が今助けに行こうとしているのは温氏憎しの声のなかに無残に虐げられている力なき温氏残党(血縁はあるが本家と一線を画し、医術を修めてきた一族。加担しなかったにもかかわらず温氏の一族としての責めを負わされている)。
 基本的に魏無羨の行動原理は「正義」もしくは「勧善懲悪」である。江澄は〈「お前は英雄病でもあるのか?」〉(3-241)と難じるが、事実、弱いもの力ないものをかばいだてすることで魏無羨はどんどん窮地に追い込まれていった。

【6:魏無羨は食べない――身体のこと】


 これもよく読んでみると魏無羨は酒を呑む場面は多いが余り食べない。明確に「食べた」と言われているのは蓮花塢で江澄と話しながら非難をかわすようにそこにあった梨を一口かじる(3-187)、婚礼前の師姉が作った汁物を食べる(3-284)。この二回は間違いなく口に入れているが、なじみの行商人から揚げ物を買う(3-198)、蓮花塢で藍忘機に会って吞みに誘う(3-186)、夷凌で藍忘機に会って食事に誘う(3-252)、温氏のものたちと一度だけ食卓を囲む(3-273)。などは酒は呑んでも食物を口にする様子は実は描かれない。食べたかもしれないが食べてはいないかもしれないという留保が生じている。また、それまでに世家とつきあいのある頃は大きな世家の宴会(「百花宴」)に出席する機会もなくはなかった(2-237)が、結局気が向かないと気が変わって出ない。このあたりの描写は勝手気ままに振る舞う魏無羨の放埒さを描きつつ、人付き合いを避けて孤立を深めていく魏無羨の姿を浮き彫りにしていく役割をはたしてもいるが、同時に食べる必要のない身体であることを暗示してはいないか。

 身体という点を考えてみれば、現世に生まれ変わって莫玄羽の身体を手に入れてから身体の弱さを愚痴る。
「現世に甦ったら、こんなに貧弱になっちゃってさ」〉(3-81)
 では前世の身体はどれだけ強かったのか。その強さが際立つ場面として二つ挙げてみる。
 まず、温氏の残党を連れて乱葬崗に逃げ込んだ直後、会いに来た江澄と袂を分かつべく決闘を行った場面。
魏無羨は凶屍温寧を操って、手のひらで江澄に一撃を命中させて彼の片腕を折り、江澄の方は、魏無羨の腹を剣で刺し貫いた。双方が重傷を負い、どちらも口から真っ赤な血を吐くと相手を激しく罵りながら離れていき、二人は完全に袂を分かった。……魏無羨の方は、江澄に刺された腹部を意にも介さずに、自ら腸を腹の中に押し戻し、しかも決闘の直後に何事もなかったかのように温寧を操って数匹の悪霊を捕らえさせ、さらにはジャガイモを大きな袋ごと何袋も買って帰っていった。〉(3-242)
 江澄はこのあと一ヶ月腕を吊ったと証言するのに対して、魏無羨は名医温情もいたから七日もかからなかったと答える(3-283)
 いかな名医であっても乱葬崗の荒れた土地の中に隠れ住んでいる温情がどこまでその治療に手を尽くせたかわからない。実際にはどれだけの期間で完治したかわからないが、少なくとも自分ではみ出た腸を押し込んでジャガイモを買いに行き、それを何袋も抱えて帰って来たというところは常人離れしているエピソードだろう。
 献舎の術で魏無羨が得た莫玄羽の身体の場合、同じところを甥金凌に刺されたが、
意識が朦朧とした状態でふっと目を開けた魏無羨は、いつの間にか藍忘機に背負われていた。……実は腹部の傷にそれほどの痛みは感じなかったのだが、それでも体に開いた穴だ。最初は何事もなかったかのように耐えていたものの、今の体はどうやらあまり急所を怪我した経験はなかったらしい。傷口から血が流れ続けるうち、すぐに眩暈がしてきて、もはや彼自身にどうこうできる問題ではなくなった。〉(2-274)
 怪我した経験がどうこうという話ではないだろう。少なくとも出血多量でくらくらするところまで描写していることは注目しておきたい。ただ、脆くて弱いはずの莫玄羽の怪我は結局藍氏の薬のおかげで四日ですっかり癒えているのである。
金凌はちょうど急所を刺していたし、 傷口は浅くなかったはずなのに、四日で傷痕すらなくなるまで癒えるなど、藍忘機が持っている姑蘇藍氏の高級丹薬がなくては無理なことだっただろう。〉(3-81)
 こんなことをされては判断に困るのだ。これも目眩ましの役目を負っている部分であろうと思う。あるいは姑蘇藍氏の丹薬はよく効くという宣伝か。この修真界は仙師たちの世界であり、霊力で以て怪我や疲労を回復する術はある。その塩梅を加味しなければならないので単に怪我の程度を日数で測るというのは困難かもしれない。

 話を戻す。B-②直前の「血の不夜天」と呼ばれる決戦時。
その言葉が終わらぬうちに、魏無羨の喉がぐっと詰まり、胸元から予期せぬ鈍痛が伝わってきた。俯いて見る と、彼の胸元には一本の矢が真正面から刺さり、その矢尻は二本の肋骨の間に埋まっている。頭を上げた魏無羨の顔には殺気が表れ、逆手でその矢を抜くと力一杯に投げ返した。〉(3-324)
 おそらく作中もっとも人間離れした魏無羨の反応である。飛んできた矢を身体に受け、刺さったそれを抜いて射た本人に投げ返して、しかもそれを当てて殺してしまう。ジャガイモよりも迫力と説得力のある超人エピソードだといえよう。
 こうしてみると、莫玄羽の身体は本当の意味で人間らしい身体であり、前世の魏無羨の身体はやはり人外の、といっても過言ではない強さを見せているといえよう。

【7:夷陵老祖の正体】

――鬼。

 魏無羨が鬼としてこの世に戻った姿ではないか。

 この物語には「鬼将軍」が登場する。だからよけいに「鬼」というものの姿が見えづらく隠されてしまう。この鬼将軍は、要は魏無羨が使役した温寧のことである。魏無羨が呼び起こしたことで動き出した凶屍(死体のこと)で、のちに彼の理性を取り戻すことにも成功し稀なる死体としてその名を知られた。おそらく、「鬼将軍」の鬼は「強い、大きい」の意味をとる「鬼」であって、これも一種の目眩ましと言ってよいのではないか。

「人帰スルトコロ鬼トナス」……いずれにしても「鬼」字を解けば、それは招魂によって帰ってくる死者の魂である。(注:『説文解字』による「鬼」という字の理解についてである。「人帰スルトコロ鬼トナス」は『説文通訓定声』(朱駿声)の註。)「魂魄」ということばも「云」は「雲」であり、「白」は「晒された状態」であって、死後の世界をそのまま示唆する字形である。すなわち、死者の「魂」は上昇し、「魄」だけがのこって、この「なきがら」は祭祀を受ける。いつの日か、ふたたび「魂」が戻って来た時の宿り処だからである。魄を祀られぬ魂が、永遠に帰所を失ってさまようすがたに悲怨の鬼が想定されてゆくのもこのゆえであろう。〉(『鬼の研究』39p 馬場あき子 ちくま学芸文庫 1988)

 祭祀を受けなかった亡骸は魂を受け取れないので、帰る場所がない魂はさまよい続けるのだということになる。そして戻るところのない魂が鬼と化すという理解が生まれたのではないかと。
 つまり、鬼は戻るべき肉体を持たない魂が人の形をとってこの世に現れたものという解釈は可能だ。
「もうすぐ死ぬからこそ嬉しいんじゃないか!むしろ死ねない方困る。お前ら俺をなぶり殺して見ろ!残忍であればあるほどいいぜ。俺が死んだら絶対に悪霊に化けて、昼夜問わず岐山温氏中をつきまとって、おまえらを呪ってやるからな!」
……名門世家の血を引く者の多くは、生まれた直後から一族の教育と法器の影響を受け、さらに成長していく過程で数えきれないほど安魂礼を受けるため、死後に悪霊となる可能性は極めて低い。
 しかし、この魏無羨は違う。彼は家僕の子供で、しかも江家で生まれ育ったわけではなく、魂魄を安定させる 儀式を受ける機会もそう多くはなかった。もし彼の死後、本当にその怨念が天まで届き、魂魄が現世に留まって 悪霊と化していつまでもつきまとうとなれば、それは確かにいささか頭の痛い話だ。しかも、生前受けた苦痛がより大きく、死体がより粉々にされ、死にざまがより残酷であればあるほど、死後に化けた悪霊も一層凶悪残忍 で相当手強くなる。
〉(3-48)
 乱葬崗に落とされる直前、捕らえられた魏無羨が温晁に言い放ち、温晁が一瞬考え込んだ場面だ。この魏無羨の言葉を真に受けてその通りになってはかなわない、と温晁は魏無羨を乱葬崗に落とすことにしたわけだ。
 ところが、温晁の目論見は潰えて魏無羨は無事帰還してきてしまう。一体何が起きたのか。……正直わかりません!
 魏無羨の、仙師としての修為の高さ? 最初、そう考えていたけれど、ある時点で(原作小説を読み終えて)それはないと気が付いた。アニメ版ではまだここははっきりと明かされていない部分になるが、温晁に捕らえられる直前に、魏無羨は金丹を失っている。
 金丹を失って霊力を失った魏無羨はあっけないほど簡単に温晁に蹴倒されてしまう。あるいは金丹を毀す得意技を仕掛けた温遂流が手応えのなさに怪訝な顔をする。アニメでも原作でもえらく簡単にやられるな、とは思ったものの、そのまま見逃していた部分だ。アニメも原作小説もストーリー上のこの場面では魏無羨が金丹をなくしたとはまだ明らかにしていないので見落としたり読み違えたりしやすいところなのだ。
 金丹のあるなしにかかわらずあの高さを落とされるのだから普通に死ぬだろう、と思う。だからたぶん、ここは金丹があろうがなかろうが普通に死んだと考えていいのだろう。むしろ、ここでは魏無羨の念の強さがものをいう場面なのかもしれない。
 江氏が温氏に攻められ、江澄と共に魏無羨も本拠である蓮花塢を船で逃れることになるが、そのとき江澄の母に言い渡される。
……このろくでなしが! 忌々しい! なんて忌々しい奴なの! 見てみなさい。あなたのせいで、うちにどんな災いが起きているかを!……魏嬰! よく聞きなさい! しっかり江澄を守るのよ。命を賭けてでも守りなさい。わかったわね!?」〉(3-379)

補足★
魏無羨は死を恐れてはいない。怖いのは、江澄を助け出せず、江楓眠と虞夫人に託された思いを裏切ってしまうことだ。〉(3-25)

 魏無羨が死んで心残りになるのはたぶん、この江澄の母の言葉に応えられなかったことではないか。蓮花塢に悲劇を招いたことにも責任を感じていた可能性はある。それにすべての関係者たちの恨みを負っていたはずである。その恨みを晴らし、江澄を守るためにはなにがなんでも乱葬崗を出る必要があった(注:魏無羨は早くに両親を失い、浮浪児として町で暮らしていた。それを引き取って育てたのが江宗主。魏無羨の父は昔この家に仕えると同時に江宗主の親友でもあった)。今彼にできることは、温晁に言ったとおり悪霊となって化けて出ることしかないではないか。あるいは、彼は自らを怨念に捧げて身体を八つ裂きにされそのことによってより強い悪霊となろうとしたかもしれない。恨みをはらすそのためにも彼の思念は乱葬崗の怨念の中に溶け込んではならない。それらの怨念を統べ、率い、操る事が出来ねばならない。この乱葬崗の怨念をすべて従えたとしたら、彼は怖いものなしだっただろう。彼の一見根拠のない自信はここに裏打ちがあるのではないか。だからこそ、それまで入ることのできなかった(一度入れば出てこられなかったはずの)乱葬崗に温氏の人々や江澄、藍忘機も出入りすることが可能となったのだ。
 ここでの三ヶ月間を、どう過ごしたかはわからないが、彼が肉体を失い、さまよえる魂の統べ手としてこの世に再登場した、というなら彼の豹変ぶりのすべてに納得がいく。もしかしたら魏無羨の名「魏嬰」、とりわけその氏の字に「鬼」の字が入っていることはそのための必然ではないのか。
 この物語では死体が生き返ったり歩き回ったりするのでそちらに目が行きやすいが、実は最強の怨霊がここに出現していると考えられるのではないか。

 藍忘機は繰り返し魏無羨のことを心配してその心身を気遣う。その彼の言葉の中で何度か登場するのが
「魏嬰、やはり私と一緒に姑蘇へ帰ろう」〉(3-184)
 である。魏無羨は現在「鬼=怨霊」としてこの世に存在している。とするならば、まず、「祓われる」可能性のある存在である。最初の乱葬崗から帰還したときにも、このようなやりとりがある。
「私と一緒に姑蘇(藍氏の本拠地)へ帰るんだ」
「お前と姑蘇に帰るって? 雲深不知処
(注:姑蘇藍氏の仙府)に? 行ってどうするんだ?……そうか、忘れるところだった。お前の叔父貴の藍啓仁は、俺みたいに道を外れたまともでない奴が何より大嫌いだったよな。お前はあいつのお気に入りの教え子だから、当然、あいつと同じ考えだろうな、ハハッ……断る」〉(3-75)
 藍忘機は何度も同じような言葉を口にするし、そのたびに断られる。このやりとりは、魏無羨が藍氏の本拠に入ったとき、祓われることを嫌ったからであろう。単に邪道のために「禁足(ここから出られない)」(3-76)というレベルでなく、この世で存在してはならないもの、存在することができないものとして消されることを恐れていたに違いない。「姑蘇に行こう、帰ろう」-「いやだ」のやりとりは平行線のまま繰り返されるのは当然だ。

【8:BL】


 魏無羨の方ではそれほどに切実な問題だったのだが、実は藍忘機の方でも非常に切実な問題であった。
「兄上、私は、あるものを雲深不知処に連れ帰りたいのです。……連れ帰り……隠します」〉(3-199)
 あるものとは魏無羨である。藍忘機はこのまま魏無羨を失うことを恐れている。だから、自分の手もとに置いてその無事を確保したいと考えている。
 見事に二人の気持ちはここで行き違っている。そして、実際に「血の不夜天」「乱葬崗殲滅戦」という大きなうねりの中において魏無羨はこの世から消滅してしまうことになる。このころの藍忘機の気持ちを思えば、それが恋であろうが友情であろうが失う流れは必然で、それもまた悲壮感をかき立てられる。
 ならば。ここでBL(ボーイズラブ)の要素としてのふたりの関係にも言及しておきたい。
 物語の初っぱな、魏無羨夷陵老祖の趣味については次のようにまとめられている。
「美しい女性と遊ぶことが何よりも大好きで、いったいどれほどの仙子たちがこの遊び人に泣かされてきたか知れない」〉(1-102)
 その彼が、どういういきさつでBL化していくのか。基本的には、魏無羨は受け身であり、藍忘機が魏無羨に片思いしていたということになっている(でも実際にどこでそうなったかはよくわからない-優等生女子がやんちゃ男子に憧れる心理パターンに近いのだろうか)。

魏無羨 -女好き
夷陵老祖-女好き、狩の最中に目隠しをしていて初めてのキスを誰かに奪われる(3-150)
莫玄羽 -男色家:斂芳尊に言い寄っていたとされる(2-175、だが本当にそうだったかどうかは実は不明)
莫玄羽に献舎された魏無羨:はじめのうちは男性との関係に否定的(1-239)
「俺が今もっと気になっていのは、断袖って献舎を通じてうつるのかどうかってことなんだよ!」〉(4-66)
藍忘機とともに旅をするうちに少しずつ関係が深まっていく。→藍忘機の添い寝がないと寝られない(4-67)

 魏無羨という存在の厄介なところは出世魚のようにその時々で名前ばかりか、その存在の有り様まで変わるところだろう。実際の魏無羨(乱葬崗で殺される前までの)は、恋愛経験は皆無、なんらかの肉体経験もないまま死を迎えたと思われる。だが、人並みな男子として女性に興味があり、例えば羅青羊(2-289)や、温情(3-35)への言及などを考えても恋愛対象はたぶん女性。春画も見るし(男女もの)、女性との関係に憧れもある。(第四章「雅騒」、第十一章「絶勇」など)。
 怨霊としての夷陵老祖は、「色っぽい服装をした二人の女性修士と談笑に興じている」(3-141)、「魏無羨の周りを数名の少女が囲む。……「人ならざるモノたちと、一日中一緒にいるべきではない」(藍忘機)」(3-184)。

わが国でいう「幽霊」のことを、漢語(中国語)では「鬼」(gui)という。……「幽魂」「幽霊」「亡魂」「亡霊」などという言葉も本来は漢語(中国語)であって、それがほとんどそのままの意味を持ったまま日本語になってしまったものである。いずれも「死者の霊魂」という意味である。中国では、 幽魂、幽霊、亡魂、亡霊などが人間としての形をあらわしたものを「鬼」という。冒頭に〈わが国でいう「幽霊」のことを漢語(中国語)では「鬼」という〉と書いたのはこのためである。……中国の「鬼」は、多くは若い娘の亡霊で、この世の人間を恋い慕って情交を求めてくる。その姿かたちはの世の人間と少しもかわらないばかりか、情緒纏綿たる絶世の美女であることが多い。……だが 一般には、人間は亡霊と情交をしつづけていると次第に陽の気を吸いとられてついには死ぬ、というのが中国の亡霊説話の主流で、なかには一夜の情交だけで死ぬもの(「汝陽の宿」)もある。〉(『中国怪奇物語<幽霊編>』あとがき 駒田信二 講談社文庫 2000)

 これを見る限り、二人の関係をこの夷陵老祖時代に進めることはどうやら不可能だ。ここでいう美女の立場に夷陵老祖が立つとして、陽の気を持つ(しかも霊力の強さから言って、相当強い陽の気であろう)藍忘機は怨霊の餌になってこの話はおわってしまう。BLとして話を進めるならやはり莫玄羽の身体を手に入れてからが無難で妥当である。
 そのふたりの関係を進める要素としてきっかけをどこに持ってくるかは難しい思案かもしれない。もともと美女好きとみなが了解している男をこちらに引きこむには? しかも、お互いに少年時代の淡い頃合いを過ぎてしまっているのだから明確な意思表示や確認なしに事を進めるわけにはいかないだろう。
 そんなところから、魏無羨が自分の身体で以て生き返る(必然的にそれは無理な話ではあったが)より、他者の身体を得ることで、それを介したという流れを作ったほうが受けとめやすいということか。
 魏無羨に身体を与えた莫玄羽が男色家だったとされている。斂芳尊につきまとって金氏を追い出されたというのがもっぱらの噂(2-179、それが事実だったかどうかは誰も知らない)。少なくとも、その身体に招き入れられた魏無羨はその身体のせいで自分がそちらに傾いていくのかと不安になっている。
 ここで、一読者として悩ましい事実に行き当たる。藍忘機の気持ちである。彼がどうやら一途に思っていたらしいのはわかる。しかし。「莫玄羽の身体でいいのか?」。莫玄羽は「秀麗な顔立ちに垢抜けた雰囲気をした青年だった」(1-78)ということで、魏無羨に劣らぬ美男子と言えそうなのだが、好きな人がいてその人と違う身体でも問題ないものなのだろうか。それとも魂が入っている器に過ぎない身体のことだから気にならないという解釈が成り立つのか。もしかすると、実は藍忘機にとって魏無羨は高嶺の花過ぎて、いっそ他人の身体の方が抱きやすいとか? 一度藍忘機に会ってそこを問いただしてみたい気がする(大きなお世話)。少なくとも、乱葬崗までの彼らにはそうなる要素は接点含めて少ないので、一緒に旅していてふたりはなるようになったのだと言うことにしておくのがいいのかもしれない。

【9:『陳情令』の演出/アニメ版『魔道祖師』の演出-魏無羨の死をめぐって-】


 『陳情令』では、江澄と藍忘機は自分たちの剣を取り戻すため温氏の教化司を攻めたときに、温氏の門弟たちから魏無羨は乱葬崗に落とされたことを知らされる。魏無羨はもう生きて帰らないのではと半信半疑になる。
 藍忘機が差し出された魏無羨の剣を抜こうとして抜けなかった。この時点で封剣されている(持ち主以外に鞘から剣が抜けない)。これがシナリオ上の演出なのか収録上起きた事故なのかどうかが気になるところ。もし封剣しているならば、この時点で剣は持ち主の死を知っていることになる(ストーリー展開上、原作でも封剣の事実が公表されるのは献舎の術を受けて莫玄羽の身体で復活してから)。
 魏無羨は、
「俺は一度死んだ人間、俺もこいつ(陰虎符:死体を操る法具)も冥界からやってきたのさ」〉(第23話「落日後の形勢」)
 と宿敵である温氏宗主に嘯く。これが彼のはったりに過ぎないのか、真実を語っているのかは表情からはわからない。
 また、莫玄羽の身体で復活し魏無羨に、藍忘機は次のように語る。
「お前が落ちた谷底を江澄は捜索させたが骨しかなくてな――3年後行ってみたが白骨もなくなっていた」〉(第33話「16年後」)
 この台詞はちょうど下の引用と重なるのではないか。
「死」もまた「水つきる」ことなのであり、そうした状態が「鬼」なのである。「水つきる」とは、風葬によって白骨になった状態であるといわれる。〉(『鬼の研究』馬場あき子 ちくま学芸文庫 1988)40p
 さらに江澄の母虞夫人の台詞
「お前ときたらどこまで憎たらしいの? こんな災いを持ち込むなんて(突き飛ばす)
 魏嬰 よくお聞き。江澄を守るのよ。 命に代えてでもね できるか答えなさい(魏無羨涙を浮かべながらちいさく頷く)〉(第15話「母の思い」)
 からの
「約束どおり 江澄と師姉を 守りました ご安心を(祠堂でふたりの位牌に額づきながら魏無羨が呟く)〉 (第20話「邪を呼ぶ笛の音」)
 このあたりのシナリオは魏無羨が鬼となって戻ったことの証左として用意されたものではあるまいか。第20話の台詞はドラマにしかないもので、魏無羨の帰還の意味を補強する意図によって付け加えられたと考えられる。

 アニメ版の方での魏無羨の死はどう描かれているのか。
 第二期羨雲編第6話「進むべき道」で意識を取り戻した温寧が語る。
「話し声が聞こえました。乱葬崗のひとはみんないなくなり、江宗主が配下を率いて若様を殺したと」
「俺を殺したのは江澄じゃないぞ。俺が消滅したのは因果応報だよ」

 第二期羨雲編第8話「更なる謎」
「夷陵老祖は邪気に吞み込まれてれて死んだんだぞ」
 という町の噂を聞いて、藍忘機が隣を歩く魏無羨に尋ねる場面がある。
「魏嬰、今もひとつわからないことがある。……お前は邪気に呑み込まれて死んだのだとみなは思っている。乱葬崗を調べた限り真相は違う」
 魏無羨はしばらく黙ったあと答える。
「俺は死んだ。死に方なんてどうだっていいだろう」
 先の魏無羨の言葉からB-①が、次の藍忘機によって町の噂(つまりB-②)が否定されるのである。目眩ましのように「俺が消滅したのは」という言葉を残してはいるが、これはあくまでも魂の総体としての、つまり「鬼=怨霊」としての魏無羨が消えたわけで、人としての魏無羨はやはり温晁に殺されたのだと言うことが明確にされる。

【10:魏無羨の金丹】


 初めてアニメ版を見たときに「金丹があれば祟られて死ぬけれど、ただの人なら祟られないから生きて出られたんだ」とおめでたくも私は考えたのだったが、その実、すでに金丹はとられたあとだったので金丹のあるなしは魏無羨の死にはおそらく関係がない。ここで、金丹が残っている方が魏無羨の帰還の説得力に寄与するのになぜ、金丹を江澄に譲る話になったのか。
 もちろんひとつには恩返しとともに悲劇性を高める働きがある。何も知らなかった江澄が邪道を修める魏無羨と決裂せざるを得ないこと、つねに魏無羨の敵側に回り続ける立ち位置であることは、この二人の義兄弟の関係性から見れば十分悲劇だ。
「お前は俺たち江家にどれほどの借りがある? 俺はお前を恨んじゃいけないのか? お前を恨むことさえ許さ れないのか!? どうして今になって俺が逆に、お前に申し訳ないなんて思わなきゃいけないんだ!? どうして俺 が、 自分のことを長年ただの道化だったクソ野郎だなんて思わなきゃいけないんだ!? 俺はなんなんだ? 俺は ただ燦然と輝くお前に、当然のように目も開けられず照らされるだけなのか!? 俺はお前を恨んじゃいけないのかよ!?」〉(4-137)
 この江澄の叫びは悲痛だ。あとから真実を知らされる辛さは彼に持って行き場のない怒りと悲しみを与えている。
 これは温寧や藍忘機にも同じことが言えるのだろう。邪道を歩むしかなかった魏無羨への痛ましさが募る場面である。
「もし、このこと(金丹をなくしたこと)がなければ……」
温寧がぽつりと言う。
――もし、どうしても他の道を選べない理由などなければ。
〉(4-52)
 忘れてはならないのは、江澄も藍忘機も温寧も、魏無羨が乱葬崗で温晁に殺されたのだということを知らないのだ。他の道を選ぶ可能性はすでにない。むしろ、ここで少なくとも読者は魏無羨の金丹が無駄にならなかったことを喜ばなければならないし、魏無羨自身の理解もおそらくはそうなのではないか。
 息子はなにをしても魏無羨に勝てないと母にまで思われていた(3-278、350~357)江澄は、例えば、「五感が鋭」(3-179)くなっているし、「最年少の宗主としてたった一人で雲夢江氏を立て直すなんて、大変感服させられました。かつてのあなたは何をやっても魏公子には勝てなかったのに、射日の征戦のあと、いったいどうやって逆転できたのか」(4-137)などと斂芳尊に当てこすられるほどに有能な宗主として認知されている。
 江澄には申し訳ないが、魏無羨は温晁に落とされて死ぬ運命にあったとするなら、むしろこれは魏無羨の力が義弟に継承されたと考えて喜んでもいいのではないか(もう一度いう、江澄の気持ちを考えるといたたまれないのだが。)

【11:「清心音は俺には効かない!」】


 いよいよ魏無羨がこの世から消えようかという乱葬崗殲滅戦の直前。不夜天城で温氏生き残りと夷陵老祖魏無羨の殲滅を目指す正道の仙師たちが集まり決起大会が行われた。ここに魏無羨が登場する。ここでの魏無羨の台詞がよくわからない。単に書き忘れ消し忘れという類いなのかどうか。
 それが不夜天炎陽列焔殿の棟の上での魏無羨と藍忘機との対峙のシーンで魏無羨が言った台詞、
「お前はとっくに知ってるはずだぞ。清心音は俺には効かない!」〉(3-326)
 清心音は藍氏の秘技のひとつ、琴を奏でて心を落ち着かせることのできる秘曲である。それを聴いた藍忘機は琴を背負って剣を抜く。
 藍忘機にとっては苦渋の決断、魏無羨の気は暴走を始めていた。
「いつか俺たちはこんなふうに本気で殺し合う日が来るって。俺のことを目障りだと思っていただろうしな。ほら、かかってこい!」
その言葉を聞いて、藍忘機は微かに動きを止めた。
「魏嬰!」
 それは怒鳴るように発した一言だったが、冷静な者であれば誰が聞いてもわかるほどに、藍忘機の声は明らかに震えていた。
〉(3-326)
 おそらく、見せ場のひとつになる場面である。すれ違いの果てに対峙する二人の図。
 ここまでに魏無羨に清心音が効かないという場面があっただろうかと振り返るのだが、どうも出てこないのだ。
 では、魏無羨はいったいどうしてこんなことを言ったのか。「誰が聞いてもわかるほど」の藍忘機の声の震えに気が付かないぐらい気が立っている魏無羨だから、これまでのことを全部すっ飛ばして自分の思いつきでものを言っている可能性、これはあるかもしれない。あとは藍忘機がうすうす魏無羨の鬼化怨霊化に気が付いている可能性。これもあるのかもしれない。この直前に藍忘機はわざわざ乱葬崗まで足を運んでいる。この修真界でトップを争う彼の洞察力ならあるいは。
 金丹をめぐる事実を知ったとき、
「藍公子、あなたはそれほど驚いていないように見えます。もしかして、あなた……あなたも、このことを知っていたんですか?」
「……」
藍忘機は言い淀み、言葉に迷っているようだった。
「私はただ、彼は霊力を損ない、それで何か異常があるのだと思っていた」
〉(4-52)
 と温寧と藍忘機は会話している。もしかすると言い淀んだのは、夷陵老祖魏無羨が人ならざるものと見抜いていたからかも? 
 人の出入りを許すはずのない乱葬崗、そこにある怨念をすべて清めるのは無理だということはすでに何度も温氏が経験してきたことだった。何らかの方法により人の出入りが可能となった異変。藍忘機がそれに気が付かないわけはなく、それに魏無羨も気が付かないわけはない。もしかするとそうことなのかもしれない。


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