行為と好意――百鳳山での巻狩「木」・「目隠し」 etc.――藍湛と小龍女


いつの間にかたくさんスキを頂戴していましてありがとうございます。さすが魔道祖師とたじろいでいます。

アニメ吹替版の完結編も放映が始まったかと思うととうとう最終話まで漕ぎついたようです。まさかほんとうに終わるのかとかなりの衝撃を受けています。

それはそれ、このマガジンも更新したいと思いつつなかなか読書もすすまずにいますが、『神鵰義侠』1巻の中でうわーと思ってメモっていたものを書いておきます。まとめようと思って取り散らかしたままになっていたものなので、わかりにくかったらごめんなさい。
『神鵰義侠』の大事なところのネタばれになりますのでご興味ある方だけどうぞ。




前にも書き残したとおり、藍湛という人物造型は小龍女のそれと重なるわけです。
性別以外の、衣装、性格、その他もろもろ。
それを踏まえた上で『魔道祖師』原作と『神鵰義侠』、ドラマ『陳情令』の重要なシーンを比べておきます。これは結構衝撃的な違いで、こんなに違うのか、うわどうしよ……、と。

それは百鳳山での巻狩のシーン。
アニメ版では師姉と金子軒とのエピソードだけが描かれてこの藍忘機と魏無羨の絡みは描かれませんでした。


誰かが近づいてきている。
しかしその人物からは殺気を感じなかったため、彼は木のうえで寄りかかったままでいた。それどころか、起きることも、目を覆う黒い帯を外すことさえも億劫で、ただ少し首を傾げて様子を窺う。(中略)
魏無羨の両手を木に押さえつけてくるその動きは極めて強引だ。両手を捕らえられた魏無羨が、足を上げて相手を蹴りつけようとした瞬間、突然唇に温かい感触がして思わず息を吞む。
(3-149)

先ほどの出来事は、どこか荒唐無稽で扇情的な白昼夢のようで、魏無羨は思わず山精やお化けの伝説を思い出した。(3-150)

魏無羨が誰かに唇を奪われてしまう場面。目隠しをして弓比べをしたそのままの姿で寛いでいた魏無羨に近づいてきて無理矢理唇を奪ったのは実は藍忘機。初めて自ら魏無羨の身体への接触を求める行動に出て、結局自己嫌悪のまま取り乱す彼の姿をあとから魏無羨は目撃することになる。
原作ではふたりのやりとりそのものは淡白に進む。むしろ、藍忘機の取り乱し方などを見るとすこし笑いを意識した場面だったとも思える。魏無羨が藍忘機を人外のものかもと一瞬思ったというところも可笑しいと言えば可笑しい。

その場面、ドラマ『陳情令』では次のように再構成されている。

目隠しをしていない魏無羨が笛を吹いているところへ藍忘機が通りかかる。彼に声を駆けようとした魏無羨は、藍忘機の兄曦臣によって
「“世に定法あり”、我が道に固執すれば君を案ずるものにまで影響を及ぼす」
と諭されたことを思い出して思いとどまる。
けれども藍忘機のほうから魏無羨に近づき声を掛ける。最近覚えた新しい琴譜を試したいという申し出に
「藍忘機よ、俺はお前の何なんだ? 俺に関わらないでくれ」
と尋ね、さらにつきまとうなと釘を刺す。(この場面で魏無羨が「藍忘機、藍忘機」と二度繰り返しているのがなんだか好き。魏無羨が藍忘機に声を掛けるとき二度繰り返しているの、親しみを持たせるため?金鱗台逃げるときの「藍湛、藍湛」とか。魏無羨が名前を繰り返して呼びかける相手、他にはいなかったような←気になってきたので再履修して確かめます(笑))
これに対して、藍忘機は悲しそうな表情になりながら
「私は、お前の何だ?」
と問い返す。そこで魏無羨が
「かつてはお前を――生涯の知己だと」
と答え、藍忘機が
「今もそうだ」
と言う。(第25話「不協和音」)

この場面、ふたりの気持ちが通じ合っているということをこちらも再確認させて貰えてほっとする場面。ブロマンスというこのドラマの立ち位置から見ると、この場面は互いの真情を確認する、いわば愛の確認をする場面と言っていい(知己は中国では重い言葉だそうです、出典は失念)。

『神鵰義侠』でも同じような台詞を使った場面がある。
楊過と小龍女が、それまでいた石室を後にして野に出ての話。ばったり楊過の父代わりのひとり欧陽鋒と出会って楊過は彼に脇へ連れて行かれる。

「さあ、お前の師父(注:小龍女のこと)に聞かれぬよう、あっちへ行こう」
と、欧陽鋒に手を引っ張られて、頼まれても姑姑(注:小龍女)が盗み聞きなどするものか、と思いながら、気の触れた義父にも逆らいかねて後についていった。
 小龍女はぐったりと木に凭れて苦笑した。腕は磨いたが、実戦の経験に乏しくて、すぐこんな不意打ちに遭ってしまう。(中略)(1-378)

そのうち目に何かが触れたかと思うと、何も見えなくなった。布で目隠しされたのだ。
続いて、腕に抱きしめられた。おずおずと抱き寄せた手が、次第に大胆になる。驚愕した小龍女は、悲鳴を上げようにも声が出ない。相手は顔中に唇を這わせてくる。
(1-379)


小龍女はこれを楊過の仕業と勘違いしてそのまますべてを受け入れてしまう。単なる悪ふざけと思っていたのが大胆な、と。草の上で目隠しのままぐったりとしている小龍女を、戻ってきた楊過が見つけて驚く。なぜ目隠しなどしているのか、小龍女のこれまでと違う打ち解けた振る舞いに驚いた楊過と小龍女の会話はかみ合わない。

「どうしてまだ姑姑と呼ぶの?まさか、あれは本気じゃなかったの?」
真顔になった小龍女は返事のない楊過に苛立ちをつのらせた。
「いったい私はあなたの何なの?」
「俺の師父だよ。俺をいとしんで、教えてくれて。だから俺は誓ったんだ。一生変わらず尊敬する。大事にする。なんでも言う事を聞くって」
楊過は真心を込めて答えたが、次に小龍女が言ったのは、まさに晴天の霹靂だった。
「あなたの妻じゃないって言うのっ?」
「そ……そんな、だめだ。俺なんか釣り合うもんか。そりゃ、師父だよ。姑姑だよ」
(1-383)

このあと小龍女は怒りと悲しみとでいっぱいになりながら楊過のもとを離れて行く。楊過は白装束の女性を追って同じく山を下りていくことになる。(近くの街で別の白装束の女性を追うことになり、小龍女と生き別れたことが明確になっていく)。

『神鵰義侠』では小龍女が初めて男と通じる場面として描かれる。目隠しのせいで楊過と信じて疑わなかった小龍女だったが、じつは別の男(注:全真教の丘処機の弟子のひとり尹志平)と通じていることに気がつかなかったという悲劇的なものになっている。
ここでのいさかいがもとでふたりは離ればなれになる。少なくとも小龍女は自分の思いとして明確に楊過を慕っていることに気がついたわけで、小龍女は自分の恋に自覚的になる。その意味でふたりの恋愛関係は確かにここで始まる。ただし、それは相手の行為(小龍女は好意と誤解)を受け入れた結果という、あくまでも受動的なあらわれかたにすぎない。だからこそ「私はお前の何だ」という台詞が小龍女から発せられたのだ。言い換えれば楊過は心当たりのない行為の責任を求められている。もちろん小龍女への好意は持っているし、小龍女を女性として思う部分ももちろん淡くではあったが描かれてきた。が、はっきりと態度や言葉に表す場面はなかった。行為の後、相手の気持ちを確認しようとする小龍女と楊過のすれ違いがはっきりする場面での台詞であり、ここで明確な返答がない以上小龍女が離れてしまうのは仕方がなかろう。
『神鵰義侠』1巻のあとがきに「楊過と小龍女の試練の愛は、ようやく幕が開いたところです」とある。この試練、重すぎる。

閑話休題。
このように「木」「目隠し」「台詞(私はおまえの~)」と道具立ては揃っているのに使われ方が全く違う。

『魔道祖師』原作では一方的に思いを募らせていた藍忘機の思いがけない行為が描かれる。このときおそらくは魏無羨が目隠しをしていて相手を確認できないということが藍忘機を大胆にしていた。藍忘機が奪うのは魏無羨の唇。それ以上のことに及ばなかったのは藍忘機の欲求がそこまで育っていなかったからか。いずれにしても相手に何かを確認する必要のない『魔道祖師』原作には「私は~」の台詞が登場する余地はない。
しかしながら面白いのは藍忘機ではなく魏無羨が行為の受け手となっているところまで含めて、『神鵰義侠』とは正反対に対置されている点だ。

『魔道祖師』原作→行為・好意の受け手→自ら目隠ししている=魏無羨
         行為の内容→相手のファーストキスを奪う=藍忘機

『神鵰義侠』→行為の受け手→相手から目隠しされる=小龍女
       行為の内容→相手の処女を奪う=尹志平
       好意のありかが不明→確認の台詞が必要=小龍女から楊過へ

ドラマ『陳情令』ではこの場面は互いの思いを確認し合う場面として使われている。ふたりともしっかり相手の目を見て言葉を交わす。目隠しをしない=逃げも隠れもしない、全き真実を問うという意味でふたりが相手の目を見交わすこの場面はこのドラマの肝である。好意と行為(友情の域を出ない前提があるので)が完全一致するこの瞬間のふたりには目隠しは不要なのだ。

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